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>さて、虹さん・・・・・・・グリグリは忙しいっちゅーねん ! 笑<
スミマセン・・・忙しいと分かっていて質問しました。お許しを・・・
>なぜ大聖人は何回も何回も「頚の座」の事を語るのでしょうか。<
う~ん・・・忘れっぽい人が多いからですか?大事だから(汗)???
>「この御文が好きだ」というのは、虹さんの命の奥底で、この御文の真意を体得しているからです。<
泣けるほど嬉しいお言葉、誠にありがとうございました!
自分では「好き」「読んで燃えてくる」という抽象的表現しかできませんので宜しくお願い致します。
自分なりの考えを下記に追記してみましたので明年にもご指摘して頂ければ幸いです。
>しかし、今は民主主義の世の中。
起こり得ることは、そうしたことではないですかね。<
解説者様のおっしゃる通り、今の日本で 国主諌暁しても死罪はありえません。
もしかしたら讒言で不当な逮捕される場合でも・・・・・・・死刑は無い。
池田先生のように、大阪事件で戸田先生の身代わりになれるような立場でも御座いません。
しかし弟子が池田先生を永遠の師匠と確立し、創価学会を守らねば未来はありません。
何も持たない一現場会員が、死罪のような恐怖に打ち勝つことで未来を拓けると思いました。
自身の力と使命に目覚めた会員がどんどん増えていったら、天魔を永久追放できるのではないでしょうか。
開目抄の肝である「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」。
これは、死罪という極限の中で御本仏が人間の善性の素晴らしさである「勇気」を表して頂いたものだと思いました。
また「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」こちらは「忍耐」。
天魔に勝つには「勇気」と「忍耐」が最高の武器と思っています。
その力は「死罪」という極限の中で敵の力が大きいほど、更に大きく発揮できる人間力(人間の善性の素晴らしさ)と思っておりました。
先生のご友人には民主主義の極限の戦いをされた、マンデラ元大統領を始め多くの方々が世界にいらっしゃいます。
そして私たちは幸福なことに、その勝利の前例を残された大聖人と三代の師匠の弟子です。
未来は本門の弟子に委ねられました。
その上で本気で天魔と戦う行動を起こすなら、グリグリ様に是非とも解釈頂き確認しておくべき内容だと思い質問させて頂きました。
「今夜頚切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり」
この時のために悪と戦う勇気をふるいおこしたい!
今年は第一次宗門問題から35周年。
自身を目覚めさせたい!発迹顕本したい!!
そんな思いでおります。
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