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自身の境涯を数値化するとしたら「何人の人のことを祈っているか」が基準になると思う
日蓮仏法は一人の人を根底から救う法である
だから徹して一人を大切にするのが、仏法者の振る舞い
御観念文の最後で「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と御祈念していますが、現実には自分が関わっている人たちこそが一切衆生ということになる
せいぜい一人の人間が直接関われる人の数は、数百から数千でしょう
御祈念帳に何人の人の名前が載っているのか
「たくさん功徳をいただきました。だけど誰のことも祈っていません」では話にならない
人間革命とは「自己中心性の克服」だと私は考えています
自分のみならず、人の幸福も祈れるようになることが、自己中心性を克服する鍵だと思います
自分も含め、一人ひとりを根底から救う戦いこそが広宣流布であり、それ以外は枝葉ではなかろうか
新聞啓蒙も、支援の活動も仏縁を拡げることは可能だが、それだけでは浅い
やはり「一人を根底から救う」という一念があってこそ生きることではないか
そして、某政党に立正安国や国家諫暁というのは荷が重いのではないか
そこまでは期待できないといいますか
国民主権である現代においての真の立正安国とは、民衆一人ひとりが賢くなることではないか
仏道修行の要であり土台となるのが、一人ひとりのことを祈ること
そうするといろんなものがみえてくる
相手のことを知らない自分、同苦できていない自分、浅い祈りの自分等
案外祈れているようで祈れていないもの
自分のことばかりだと境涯は開けない
行き詰っている組織にありがちなのは、長が一人ひとりのことを祈っていないケースが多いのでは
一人ひとりのことを祈っているのなら、組織悪を放置できるわけがないのだから
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