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私どもは決して、「民衆の幸福」という根本目的を忘れてはならない。
ここに仏法の本意がある。
しかし、既成仏教も含め、多くの宗教は、この本来の目的への真摯な努力を放棄し、
財産を蓄えながら、かえって宗教的権威のもとに「民衆」を奴隷化しようとする傾向がある。
この本末転倒を正し、真の「民衆のための宗教」の時代を築きゆく「宗教革命」
――これが、七百年前、日蓮大聖人が敢然と始められた「広宣流布」の戦いであると拝される。
そして、ここにわが創価学会の誉れの使命がある。
日蓮大聖人は、「観心の本尊」と仰せである。
その深義をふまえたうえで、平易にいえば、「信心」こそが「観心」となる。
一切衆生が「信心」によって成仏できることを、御本仏がお約束くださった本尊なのである。
ゆえに大切なのは「心」である。
大聖人は「此こ御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書一二四四頁)
――この御本尊も、ただ「信心」の二字に収まっている――と明言されている。
また「ただ心こそ大切なれ」(御書一一九二頁)、
「心こそ大切に候へ」(御書一三一六頁)と教えてくださっている。
広宣流布をめざす「一心」、人々の幸福を祈り、動く「一念」、ともに仏子を守り、
栄えさせていこうという団結の「心」――そうした「信心」によってこそ、
御本尊の偉大な功力があらわれるのである。
どんな高性能の車でも運転する人の「心」が狂っていれば、事故を起してしまうであろう。
また走らせる力がなければ、何の価値も生まない。
ともあれ、人が目的地に着くための車である。車のために人間がいるわけではない。
次元は異なるが、宗教もまた人間のためにある。民衆のためにある。
これこそ大聖人が繰り返し、また身をもって教えられた「宗教革命」の精神である。
私どもは、この精神で、どこまでも民衆とともに、民衆のために、民衆の最大の味方として進んでいきたい。
また一次元からいえば、広布の戦いは、正法を掲げての言論戦、《言葉の戦い》である。
納得と共感を広げゆく戦いである。私どもにとっては、《口は最大の武器》である。
しかも、どんなにしゃべってもタダである。
リーダーは「明快に」語らねばならない。「あいまい」は皆の心を曇らせる。
一時的にうまくとりつくろおうとするような「策」は、信頼の絆をみずから断ち切ってしまう。
皆の心を、すっきりと、晴ればれと、明るくさせていくためにリーダーがいることを、あらためて強調しておきたい。
【「長野県婦人部の日」記念研修会 平成三年七月二十六日(全集七十七巻)】
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