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私は心に強く決めていた。
“私が頼りとし、心から信頼できる関西の同志と、永遠の祝賀の「五月三日」を痛快に祝うのだ。
去年のあの悔しさを断じて忘れるな。学会は学会らしく、断じて勝利する戦いをするのだ!”
私の体は疲れきっていた。
しかし、私の魂と、関西の同志の魂が互いに一体となった歓喜と決意の渦巻きに、私は勇んで飛び込んでいった。
いずこに行っても、記念勤行会の会場には、大歓声の爆発があった。
私は嬉しかった。
学会は勝った。不死身の如く立ち上がった。
永遠に勝ちゆく法則を、関西がつくり上げた。
新出発を互いに祝賀しあいたいと、何ものをも恐れず、立ち上がった友は無数であった。
その行列は限りなく続いていた。
入場整理券など、まったく必要なくなってしまった。無我夢中で駆けつけて来た友も多かった。
学会は厳然と再び立ち上がったのだ。関西は、その先頭をきって立ち上がったのだ。
私は、私の決意を、関西の同志の決意のなかに放った。
「何があっても、共に戦おう。何があっても、学会は勝ち抜こう。
何があっても、創価の使命は、勝ちまくって歴史を残すことだ。
真の人間の強さは、真の信心の強さなのだ。
断固として、同志として戦い抜こう! そして断じて勝利しよう!」
すべての会場で、関西魂は燃えに燃え上がっていた。
その使命と決意の信心の陣列は、大きく、そして深く、全世界へと広がっていった。
それが巨大な波動と衝動となって、限りなく、今日までも広がってきたのである。
私の滞在は七日間であった。
しかし、まさに、永遠なる勝利への原動力、そして推進力となったのである。
その関西の英雄の同志は、実に五万人が集合したのであった。
この常勝関西からは、いわゆる反逆者は出していない。
こうして関西に燃え上がった師弟一体の大攻勢の炎は、
十年後、二十年後、いな二十一世紀の創価の勝利を、決定づけていったのである。
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