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(ガルトゥング博士)ご著作の『調和と平和を求めて』の中で、平和の積極的な創造に、仏教はもっともふさわしい信仰体系であるとして、博士は二十の長所(無我・非暴力・慈悲・共生・多様性・中道思想など)をあげておられます。と同時に、障害となるべき六つの短所も指摘しておられます。長所をいたずらに誇るより、短所を自覚的に克服することが、仏教を真に活性化する道であると私は信じています。それゆえ私は、博士のあげた六つの短所にこそ注目したいのです。
あえてここに引用しますが、それは、
①仏教は、その寛容性ゆえに、たとえば軍国主義という極めて暴力的な組織をも容認しがちである、
②また、経済政策における構造的暴力も黙認しやすい、
③僧伽(サンガ)は、しばしば社会から孤立して自閉的集団と化す、
④報酬と見返りをもたらす権力に、時に容易に迎合する、
⑤容易に敗北を受け入れる"宿命論"に陥る傾向がある、
⑥ときとして儀礼的になり、華美になり、けばけばしくなるー
以上の六つです。
総じてこれらは、仏教が民衆の生活から遊離して「人間のための宗教」であるという本来のあり方を忘れ、制度と宗教的権威に隷属してしまったときに陥る傾向性である、と私は考えます。仏教にあっては、「法」(ダルマ)の内在性ゆえに、短所を克服するためには、とりわけ不断の自己革新(ルネサンス)運動が欠かせません。
‥仏教と政治権力との関係は、仏教の短所を克服するうえでたいへんに重要な課題であり、私も日蓮大聖人の仏法と出会って以来、この点についての思索を続けてきました。仏教の寛容性が政治的暴力の容認という誤った方向に向けられがちであったのも、権力との関係についての思索が欠如していたからであると思います。
しかし私は、仏教の中では唯一、日蓮大聖人の教えと実践に、この点に関する鋭い問題提起と答えがあると確信しています。博士は『仏教は政治・宗教双方の権力者に対する抵抗運動であった」と指摘されました。しかし、そのことを明確に思想化し、行動したのは仏教史上、日蓮大聖人だけであると言っても過言ではありません。
ご存知とはおもいますが、日蓮大聖人は、政治権力に対しては一貫して「諌暁」という形の行動をとりました。これは単なる権力の否定ではなく、まして権力への盲従でもありません。仏教者としての責任のうえから、民衆を不幸にする政治的誤謬ないし不正に対しては、権力者といえども恐れずに諌め、改めさせていくという態度です。
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