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会則改訂

 投稿者:波乗  投稿日:2014年12月11日(木)20時36分8秒
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  会則改定に関する、ある方の私信(部分)です。参考になると思われますので、その方の了解を得て掲示しました。
 今回の会則改定のポイントは、創価学会が弘安二年の本尊を否定していないということです。学会は弘安二年の本尊が後世の作であるなどとは一切言っておりません。たとえ弘安二年の本尊が日蓮大聖人直接の造立によるものであったとしても、「大謗法の地にある」故に、学会員が信受し、礼拝する対象としては適切ではない、というのが今回の会則改定の趣旨であると理解しております。それ故に、私としては今回の会則改定に「教学的に矛盾」があるとは考えておりません。
 そもそも大聖人御真筆の御本尊は、今日、百二十数幅が現存していますが、それらは全て身延や中山などの邪宗の寺に所蔵されています。大聖人の真筆ですから御本尊は本物ですが、だからと言って、身延や中山に参詣してその御本尊を礼拝するでしょうか。そのような行為自体が邪宗に供養する与同罪の謗法となることは言うまでもありません。学会が弘安二年の本尊を礼拝しないのは、身延や中山にある真筆本尊を礼拝しないのと同じです。「生死一大事血脈抄」に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(1338頁)とあるように、たとえ御本尊(法華経)が本物であったとしても、それを拝する人間の信心が大聖人に違背し、狂っていたならば、一切の功徳はなく、むしろ罰しか出ないのは当然の道理です。大聖人の御本尊はあくまでも「観心の本尊」「信心の本尊」であり、正しい信心で拝してこそ初めて本尊としての力用が顕れるからです。
 今回の会則改定に対し、「大御本尊否定」などと宗門が喧伝して学会を攻撃しているのは、明らかな「すり替え」であり、悪質な「だまし」であると見破っていかなければなりません。「会則のどこが大御本尊の否定なんだ」と破折してください。邪宗の手口は、日顕宗に限らず、全て人々を欺く「だまし」です。どうか、「大白法」が理論的に筋が通っているなどとだまされないでください。
 団体の会則が時代状況に応じて改定されていくことは当然であり、それ自体何らの問題もありません(宗門の宗制宗規も変更を重ねている)。学会が以前は弘安二年の本尊を根本とする趣旨を会則でうたい、また歴代会長が指導してきたのは、宗門のそれまでの伝承を尊重・擁護してきたからです。そもそも牧口・戸田両先生が昭和三年に日蓮正宗の信徒となったのは、多くの問題があったにしても、基本的には日蓮正宗宗門に日蓮大聖人の正しい仏法が伝わっているとの判断があった故にほかなりません。だからこそ学会は、宗門が学会の破壊を企て、破門するまで、三百数十箇寺を建立・寄進するなど誠実に宗門の外護に努めてきたわけです。その宗門が変質して大謗法と化した以上、根拠に乏しい従来の伝承を無批判に持続していくことは時代状況に適応せず、むしろ適切ではないでしょう。
 歴代法主の本尊が弘安二年の本尊を書写したものであるなどということも、実は何の根拠もありません。日達上人などにそのような趣旨の発言がありますが、根拠となる確かな文証は存在せず、弘安二年の本尊を教団経営の中心軸として利用しようとする極めて党派的な論理に過ぎないと言うべきです。
 日興上人は、五老僧と違って、曼荼羅本尊を書くことを「書写」と称し、曼荼羅に「奉書写之」と記すことを原則とされましたが、「之」が弘安二年の本尊を指すなどとは一切言われていません。「之」は弘安二年の本尊であるなどというのは明らかに後世に作られた論理です(法主絶対論と同様、それ自体が信徒をあざむく「だまし」です)。日興上人は、自身が曼荼羅本尊を書くことについて、日蓮大聖人が曼荼羅本尊を図顕されたことと同列にせず、自身の記した曼荼羅はあくまでも大聖人が図顕した曼荼羅の様式を「書写」したものであるとしたのです(五老僧は南無妙法蓮華経の首題の直下に自分の名前と花押を記し、彼ら自身を大聖人と同列においた)。「奉書写之」の「之」とは、日興上人が書いた曼荼羅本尊自体を指すと解すべきです(「之」の文字は「これ」と読む場合は「直接にその事物や人などをさす代名詞」〈新漢和辞典〉で、「之」を書いたもの自体とすることは「顕仏未来記」冒頭の「沙門日蓮之を勘う」など、御書にも多数の例があります)。
  弘安二年の本尊については、日興上人の弟子である日禅に大聖人が授与された御本尊(弘安三年授与)をもとに後世に造立されたものであるとの説が近年出されています。
これに対する宗門の反論は要するに「ごまかし」で、全く説得力がありません。弘安二年の本尊と日禅授与本尊の首題が筆跡から大きさまでほとんど一致していることは両者の写真を比較してみれば一見して明らかであり、弘安二年の本尊が日禅授与本尊を模写して造られたと考えるのが世間一般の常識的判断でしょう。宗門の反論は写真の掲載を意図的に回避しており、両者の一致について正面から反論できていません。私としては後世造立の可能性が高いと考えております。「報恩抄」に「拘留外道は石となつて八百年、陳那菩薩にせめられて水となりぬ。道士は漢土をたぼらかすこと数百年、摩騰・竺蘭にせめられて仙経もやけぬ」(311頁)とあるように、大石寺が数百年にわたって人々をたぶらかしてきた虚構も、遂に崩壊する時を迎えたということでしょう。これも世界広布進展の一つの瑞相であると思います。次に「聖人御難事」の解釈が問題となります。弘安二年の本尊を後世造立と考えるならば、大聖人の出世の本懐は弘安二年の本尊ではなく、熱原法難において示された民衆次元での信仰の深化・定着であると解すべきでしょう(今回の任用試験の教材でも、出世の本懐は弘安二年の本尊であるという表現は注意深く避けられています)。
 結論として、「会則改定は御本尊否定ではなく、あくまで宗門教学(古い言い伝え)を悪用する宗門との決別」であるとする理解は誤っていないと思います。


 
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