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会則改正はいろんな解釈ができてしまうところに問題があるのではないでしょうか
たしかに、波乗り様の記事にあるように、学会は大御本尊を否定していないと解釈することもできます
一方で、「受持の対象としない」という表現は、否定としてとらえることもできるのです
法華講員からしたら、否定したととらえて当然でしょう
学会員だって、先日までは、むしろ今でも御観念文が「三大秘法の大御本尊に南無し奉り」なのだから、普通に混乱する話ではないでしょうか
今までなんだったの現象も十分あるでしょう
その理由として「会員の皆様の感情や歴史的な経過を踏まえ」とあるように、会員に配慮してきた結果、大御本尊を破門後も受持の対象として認めてきたと
このあたりのこじ付け感が痛い
身延や中山と宗門を同列に扱うのなら、2002年の時点でも可能だったのではないか
波乗り様の解釈でいくのなら、もっと詳しく本部は説明をしなければならない
わかりづらいこと自体、誤解を生むこと自体が敗北なのです
教学部レポートの中でも、会憲案で「(この会は)一閻浮提総与・三大秘法の御本尊を信受し」の中の御本尊に戒壇の御本尊は含まれるか否かというやりとりがある
原田会長は「含まれる」、秋谷議長は「含まれない」と、意見が割れている
もともと、どっちが正解かわからないような話なのが御本尊の問題である
そして、戒壇の大御本尊を重要視する文証も圧倒的多数にわたり、日寛教学だって大切にしてきたのではないのか
破門後においても池田先生は大御本尊への信心はいささかも変わらないと明言している事実もある
これらも方便としてとらえるわけですかね
変更するのではあれば、信仰の根幹に関わる御本尊の問題なのだから、会員にたいする配慮をどれだけしたって足りないくらいしなければならないのではないのか
漫画家じゃないんだから、とりあえずドバーンと新展開を迎えて、内容は後付けで締め切りまでに考えるみたいなノリは許されない
御本尊に対する雑さは一切許されないのは当然中の当然でしょう
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