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《随筆, 新・人間革命 2003.11.6》
師は厳しかった。 あまりにも厳しかった。
師は優しかった。 あまりにも優しかった。
私は、師の残した一言一言を、すべて遺言であると、毎日、胸に深く刻んだ。
ある日、戸田先生は言われた。
「大作、野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな!
そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 英雄の道を歩むのだ。 偉人の道を歩むのだ。
私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛に過ぎないのだ」
そして、先生は「開目抄」の一節を拝された。
「山に山をかさね 波に波をたたみ 難に難を加へ 非に非をますべし」(御書二〇二ページ)
私は、わが師匠のご生涯を、青春をなげうって、お守り申し上げた。
一心不乱に、あらゆる迫害に次ぐ迫害のなかを、お守り申し上げた。
師は、厳しくも、全生命に響きわたるような愛情をもって、常に私を励ましてくださった。
それは、「大阪事件」の時である。
「お前が牢獄に行って倒れたならば、わしは、その上に、うつぶせになって、一緒に死のう」と涙ぐんで言われた。
師とは、かくも深くして偉大なものかと、私は涙を流した。
事業が大失敗した折には、先生は死をも覚悟で再建にあたられた。
私は、師を守るために、青春の全生命の限りを尽くした。
すべてを犠牲にして、お守りした。
給料も貰えなかった。 進学の道も、師のために捨てた。一家も犠牲にした。
しかし、師と共に苦しみ、師を守る喜びに、永遠の誉れの炎が燃え盛っていた。
先生は、亡くなられる半年ほど前から、
「私は、教えるものは、もう全部、大作に教えた。
多くの弟子が忘れ去っていこうとも、大作は絶対に忘れない」と語っておられたようだ。
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