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それは、私の義父母と学会の首脳数人が先生を囲んだ、厳粛な語らいの時であった。
「大作は体が弱いのに、これほどまでに、学会のために、師である私のために、
命を削り、言語に絶する奮迅の努力をしてくれた」と落涙されたのである。
さらに先生は、胸を患い、寄せ襲ってくる病魔と闘う私のことを思い、慟哭されていた。
そして、「三十歳までしか、生きることはできないだろう」と寂しそうに語っておられた。
事実、私自身も、壮烈なる戦いを展開し、敵を打ち返しながら、
師の前で死んでいくことが無上の喜びなりと決意していた。
若き妻は、師の心も、弟子である私の心も、みな清く、深く、読み取っていた。
彼女の祈りの勤行は、続いた。静かに夜中に起きて、幾日も幾日も、丑寅の勤行をしてくれた妻。
私が知らずに、ぐっすり休んでいると思って、妻は、そっと起きて祈りを重ねていた、そのいじらしさよ。
師弟の道も、厳然としていた。夫婦の決意と愛情の深さも、厳然としていた。
先生の生活まで、私の給料で支えた。
師は、その心を知っておられ、いつも「小さい家で、かわいそうだ」
「私のために、本当に健気だ」と言っておられたようだ。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・
地獄にをつといへり、師弟相違せば なに事も成べからず」(九〇〇頁)
甚深の、あの「華果成就御書」の一節である。
人類の頭脳ともいうべき、アインシュタイン博士は語った。
「古来から偉大な精神はつねに凡庸の徒からはげしい反対を受けてきた」
まったく、その通りだ。
「あの汚き中傷は愚劣漢の言葉だ」と軽蔑して言い切った友がいた。
「立ち遅れている精神世界の、わが国における嫉妬と負け惜しみの仕業は、百鬼夜行の如くなり」と嘆いた文学者がいた。
それぞれの時代に、それぞれの暗い歴史もあるが、
人生を生きゆくうえで、今ほど荒涼たる、殺伐たる、哀れな時代はない。
ともあれ、勝ち誇って進むことだ。
大聖人は断言なされた。
「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(御書九九八頁)と。
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