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真摯な言葉使いで恐れ入ります。
さて、ジョーカーさんがお考えになっている「人間主義」について拝見しました。
新しい発想には「経験」が邪魔だとのご意見ですね。
私は一概にはそうは思いませんが、でも誤解があるようなので整理させてください。
私はジョーカーさんを私の経験で縛ったことはありません。
過去の経験では無く、今現在、新聞配達している中で、本来の休刊日15日が変更になった事は、会長や執行部に心が無いからだ、とは思わないと言っただけです。
国民の多くの関心ごとである衆議院議員選挙の開票翌日だから新聞を配達する事に抵抗はありません。幾ら正義感からの叫びだといってみても、味噌くそのアジテーションに組みすことは無いという事です。
勿論いろいろな意見があってもいいですが、現状を、現場を認識せずに意見を述べられても、参考になり難いと言うことです。
当然、様々な方から意見を聴く事は大事です。
現状の創価学会では、殆どが組織から降りてきた指示を如何に「降ろす」かにばかり心を取られてしまい、本来なら如何に学会員さんに納得してもらえるかに心を配らなければなりませんが、そこが欠けていると思っています。
今の創価学会に欠けているのが
「人びとを納得させる力」ではないでしょうか?
これこそ「信心の指導力」と考えます。
ここの板で書きましたが、信心の根本中の根本である「祈る」事について
ご観念文の内容と信仰の対象とする本門の本尊に違いある事について答える幹部がいません。
このままだと、創価学会は日顕宗のように
「信者」ばかり育てる気なのでしょうか?
本来なら「行者」を育てなければなりません。
しかし、創価学会の幹部は「業者」ばかり多くなっている気がしますので、こう言う業者の人びとにも我々が祈って差し上げることが肝要かと思います。
結論として、会長が悪いだの、執行部が悪いだのとばかり言わず、同じ弟子として、善導して差し上げる事が大事になります。
一番は祈って差し上げる。
そして事実に基づいて組織悪に加担しない様に諌める。
例えば、公明党の議員と創価学会の職業幹部が如何なる場であっても飲食を共にする事は誤解を招きますので自制すべきであるし、当然、議員に飲食代金を支払わせる事など言語道断!
もしそんな事があれば、利益供与となり大問題になるからです。
当然、無いと信じておりますが、念のために言いました。
皆さんも、選挙後にあちこちの呑み屋で何かを見かけたら、京都乃鬼新聞社迄ご一報くださいませ(鬼笑)
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