|
かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。
全員が会長であり、全員が大将軍であり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。
いかなる悪も、見逃してはならない。
私は青年時代、学会や戸田先生を悪く言う者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
栃木など、遠くにも、どんどん足を運び、無理解や偏見を厳然と正していった。
何も恐れなかった。一人、敵陣に乗り込んだ。
相手が非を認め、謝罪するまでは、一歩も引かなかった。
そんな私に、戸田先生は一言、「ありがとう」とおっしゃった。それだけで十分だった。
「師のために」「同志のために」──この一念で私は戦い抜いてきた。
ドイツの哲学者カントは叫んだ。
「高慢は厭わしくまた愚かしいものである」
「わがままは愚か者の特性である」(ともに御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)
学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、
まじめな学会員を見下す愚かな人間は、断じて許してはならない。
そして油断や慢心、堕落やエゴといった「内なる悪」を、厳しく戒めていくことだ。
カントは、こうも述べている。
「高慢な者が他人から尊敬されようとあせればあせる程、却って誰でも彼に尊敬を拒否する」
傲慢な人間は、必ず見抜かれ、ついには、だれからも相手にされなくなる。
本当に哀れだ。いわんや、仏法の因果は峻厳である。
どこまでも皆を大切にし、悪に対しては、決然と正義の声を上げる。
これが指導者の鉄則である。
戸田先生は、悪に対して、「絶対に頭を下げるな」「断じて打ち倒せ」と厳しかった。
卑劣な人間を震え上がらせる、勢いと強さがあった。
悪い人間を、絶対に見過ごしてはいけない。
だれからも、何も言われなければ、悪はますます増長する。
若き諸君は、「善の大連帯」「正義の大連帯」を広げ、学会を厳然と守り抜いていただきたい。
皆、立派なリーダーに育つてもらいたい。
頼むよ!
【全国各部協議会 二〇〇八(平成二十)年二月二十六日】
|
|