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松野殿御返事(十四誹謗抄)
「誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき
(慢心)(正義を貫き)
便あらば身命を捨てて仏法を学すべし」 P1386 (4)
(今この時) (三代会長の御精神)
受けがたき人身を得て、適ま出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒に遊戯雑談
(執行部・職員) (豪遊)
のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養う
(幹部) (執行部)
といへども法師となる義は一もなし、法師と云う名字をぬすめる盗人なり
(真の弟子)
恥づべし恐るべし」 P1386 (7)
※ 又云く
「身命を捨てて法を弘むべしと見えたり」 P1386
※このお手紙を三位房日行にたくし、松野殿を激励されてありますが、たくされた三位房といえば
対論の名手、対論の急先鋒であった人、なのに後に弘教のさまたげとなり晩年を終えた人物。
仏(大聖人)が何故、三位房にたくしたのか?
三位房が自らの才能におぼれ、慢心を起こすことを見抜かれてあった大聖人は「三位房よ気付よ」との
慈悲ではなかろうかと・・・・・。
失礼しました、これこそまったく当方の勝手な所感です。
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