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会則の事がどうなっていくのか、今後のためにどうしておくことが最善なのか、
何とも詳細考えてみるとわたしには難しい問題です。
本部や聖教新聞や、公明党ですら、維持発展させていかなければいけないのなら、
創価学会は大聖人の仏法と三代会長の生命をかけた闘争と御精神あればこそ、存続の意義がある。
いまの執行部がその御精神を継承する覚悟があるのか、ないのか、皆さんならどこで線引きしますか。
当然私も、宗門的な大御本尊観をもって常住御本尊を戒壇の本尊とすることなど反対ですが、
仮に執行部の狂いが治まらず、自衛権の問題でもそうでしたが御書や三代のご指導を、「こんな風に解釈しました!」と無茶な会則変更したとして、異議申し立てしても
「気に入らなければ辞めてくれて結構」となり、(レポートで言われている通り)
そこから創価学会の分派が派生していくのだろうなぁ、と。
他の宗教さながらの事態を辿ることに…
なによりいちばんの問題は、執行部に信用が無い、ということに尽きると思います。
わたしが執行部不信を持つきっかけは党の動きでした。
なのでわたしは政治面がバロメーターとして万人にわかりやすいと思っています。
現状もいよいよのところまで来ていると思いますし。
池田先生の非暴力思想を実現できるのか、何かと言い訳をもって先生の思想を捨て、
国民生活を疲弊させ、この国を変質させてしまうのか。
会員のみならず、世間の人もよく知り、感じていますから。
政治はただの世法、とのご意見もありますが、先生の事を師匠と仰ぐ人の考えではないでしょう。先生はそんな軽率なお考えで指揮とって来たのではありません。
もちろん教義のことは重要であることにかわりありません。大聖堂に詣でなければ
宿命転換できないなど言う宗教は真っ平御免です。その辺りは、会長が先月発表した内容で今後、あり得なくなったのでは、と思います。油断はできませんが。
そして何より、ここでの議論が誰の正義を体現していくための場なのか、常に顧みることが大事だと思います。
お粗末ですが、私の考察です。
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