登録 : 2015.05.14 21:24 修正 : 2015.05.15 00:43

 だらしない格好でテレビのリモコンを押していた先週末(9日)の夜だった。日本の公営放送NHKにチャンネルを回した時、尋常ではない内容が放送中であることを直感した。すぐに姿勢を直して、机からメモ用紙とボールペンを取り出した。 「NHKスペシャル」の「総理秘書官が見た沖縄返還」というタイトルのドキュメンタリーだった。見終わってから30分間、ぼんやり空を眺めるしかなかった。ほぼ放心状態だった。

 番組は沖縄返還という「偉業」を成し遂げた佐藤栄作(在任期間1964〜1972)元首相の秘書官だった楠田實氏(1924〜2003)が残した極秘記録の内容を紹介する形式のものだった。当時沖縄の返還を議論していた日米にとって最も重要な争点は、沖縄に配備されていた米国の核兵器を維持するかどうかだった。 1945年8月、広島などで行われた「原爆投下」の経験のため、日本は核に対して本質的な拒否感を持っていた。さらに、佐藤首相は1968年1月、核は「持たず、作らず、持ち込まず」という、いわゆる「非核3原則」を宣明した。しかし、米国は「極東における沖縄の軍事的役割は絶対的」だとし、返還した後にも核を維持するという立場を貫いた。

 沖縄の核をめぐる意見の相違を調整するため、佐藤首相はハリー・カーン(1911〜1996)という人物と2度にわたる極秘会談を行う。カーン氏は、ニューズウィークの国際部長を経て、日本の敗戦後日米間の様々な交渉の黒幕として大きな役割を果たした人物として知られている。

 米国にとって沖縄の米軍基地はなぜ重要なのか。最初の会談が行われた1968年12月9日、カーン氏は、「米国にとって日本本土と沖縄の基地は、基本的に朝鮮半島の有事に対応するためのものだ。後方基地として、日本と沖縄が担当する役割は絶対的だ」と述べたという。

 これに対する佐藤首相の答えは、2回目の会談が行われた1969年2月28日に明らかにされた。この席で佐藤首相は「朝鮮半島の有事に対処するために、必ず沖縄に核を置く必要はない。そのような核なら、むしろ韓国国内に置いた方が良いだろう。何よりもそのような事態(朝鮮半島の戦争)が発生した場合、米軍は日本本土の基地を使用すればよい。その結果、日本が戦争に巻き込まれても仕方ない」と提案した。その言葉を聞いて背筋が凍るようだったとしたら、「大げさ」だろうか。それより当時朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、日米間に行われたこのような重要な議論を知っていたのだろうか。日米は、佐藤の提案を骨子として沖縄の核問題に対する最終的な合意を行った。

 そのためだろうか。米国のジャーナリスト ドン・オーバードーファーが書いた、朝鮮半島に対する歴史的な著作である『二つのコリア』によると、(これら会談が行われた)1970年代の初めから韓国に配備された米国の核兵器の数が急激に増え、沖縄返還が行われた1972年には、その数がなんと763発に達したという記録がある。日本が新たに行使するようになった「集団的自衛権」がなくても、韓日は既に米国に捕獲された一つの巨大な安全保障共同体として機能してきたのだ。

キル・ユンヒョン東京特派員//ハンギョレ新聞社
 

 このような厳しい環境の中で、私たち(韓国)が自らの運命を自主的に決めるためには、どのような道を選ぶべきなのか。繰り返される結論ではあるが、答えは南北関係の改善を通じた東アジア懸案に対する韓国の発言力の強化と、これを実現させる最小限の手段である戦時作戦権の返還だけだ。今の朴槿恵(パク・クネ)政権がその道に向かって一歩一歩歩んでいけるだろうか?おそらく無理だろう。だとすると、現在の東アジアの最大の不安要素は「安倍の歴史認識」や「金正恩(キム・ジョンウン)の暴走」ではなく、「朴槿恵の無能」かもしれない。

キル・ユンヒョン東京特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-14 18:37

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/691227.html 訳H.J

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