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私が感じるのは、
御本尊をこの世に具現されたのは仏でありますが、
その仏である大聖人もやはり一人の人間であるという事実です。
御本尊を区別する者も人であるなら、
受取る側の一念の問題と感じます。
ならば、どの本尊でもいいと言う訳では無く、
しっかり功徳を受ける事の出来るモノが御本尊として相応しいのではないでしょうか。
我が家にある御本尊も、大誓堂の御本尊も、
戒壇の御本尊も人法一箇の御本尊であるなら、
受取る側の信心の血脈があるかないかの違いによって、
功徳の実証も違いが出てくると思います。
創価が素晴らしいのは、
大聖人の仰せ通りに戦われて来られた、
師匠がいる事が最大の強みであり、
御本尊に祈り、どう行動して良いかという
指導の歴史を築き上げて来られた事だと思います。
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