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>本門の本尊とは?<
※「本門の本尊」とある御書をあえて全てだしてみよう(当方の知る限り)。
観心本尊抄 P253(13) 文永10年 弘安2年の6年前
但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊末だ広く之を行ぜず所詮円機有って
円時無き故なり。
法華取要抄 P336(2) 文永11年5月 弘安2年の5年前
問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、
答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、
顕仏未来記 P507(6) 文永10年5月11日 弘安2年の6年前
此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、
法華行者逢難事 P965 文永11年正月 弘安2年の5年前
竜樹・天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず、
此に口伝有り。天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を
残したもう、
日女御前御返事 P1243(2) 建治3年8月 弘安2年の2年前
さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし、
教行証御書 P1282(17) 文永12年3月 弘安2年の4年前
但此の本門の戒を弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし、所謂正嘉の地動・長星是な
るべし、仰当世の人人何の宗宗にか本門の本尊戒壇を弘通せる、
※どの箇所にも弘安2年10月12日とはありません。
つぎに大曼荼羅をだします。しばしお時間を。
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