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>大曼荼羅とは?<
大曼荼羅と御書中にあるもの全てだして見ます(当方の知る限り)。
御講聞書 P807 弘安元年3月19日~同3年5月28日 弘安2年の1年前~1年後
されば此の題目には余事を交えば僻事なるべし、此の妙法の大曼荼羅を身に持ち
心に念じ口に唱え奉る時なり、
同 P812(15)
法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、
同 P831(7)
今末代入って此の珠を顕す事は日蓮等の類いなり所謂未曾有の大曼荼羅こそ正しく一念
三千の宝珠なれ、
同 P841(7)
今末法に入って、眼とは所謂未曾有の大曼荼羅なり、此の御本尊より外には眼目無きなり云々。
百六箇抄 P865(3) 弘安3年 弘安2年の1年後
本化本尊の本ジャク 七字は本なり・余の十界はシャクなり、諸経諸宗中王の本尊万物下種の
種子無上の大曼荼羅なり。
新尼御前御返事 P906(4) 文永12年 弘安2年の4年前
此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、
日女御前御返事 P1243(7) 建治3年8月 弘安2年の2年前
ここに日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を
・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、
同 P1244(2)
伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の
大曼荼羅と名付け奉るなり、
草木成仏口決 P1339(13) 文永9年2月 弘安2年の6年前
一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、
五人所破抄 P1614(5)
つらつら聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実巳過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが
為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間・一閻浮堤の内未曾有の大曼荼羅なり、
※どの御書にも弘安2年10月12日とは大聖人は記されていません。
出生の本懐については以前掲示したとうりであります。
あくまで御書だけに照らしました。
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