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偉人列伝

第1回 永野重雄(1900年―1984年)

永野重雄  敗戦に打ちひしがれた日本復活の原動力となった鉄鋼王国を築いた立役者である。後に経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭となり、池田勇人内閣の頃から桜田武(日清紡社長)、小林中(開銀総裁)、水野成夫(産経新聞社社長)の各氏と共に「財界四天王」と呼ばれた。  東京帝国大学卒業後、旧浅野財閥系の浅野物産を経て旧富士製鋼に入社、それから鉄鋼マンとしての人生を歩む。戦中から戦後にかけて鉄鋼業界は何度となく再編成を繰り返したが、永野氏の存在が一挙にクローズアップされたのは1970年に新日本製鉄(初代会長)を誕生させたことである。好敵手だった八幡製鉄との大合併は、規模で劣る富士製鉄にとっては不利であり、公正取引委員会も当初は懐疑的だった。永野氏は政財界の人脈をフルに活用してその壁を打ち破り、ついに対等合併に持ち込んだのである。  財界人としては日ソ、日豪、日印など経済委員会を組織して国際化の先鞭をつけた。 (肩書は当時)

フォトギャラリー

永野重雄 将棋の升田幸三九段と談笑(1977年) 東映・岡田茂社長(写真左から2人目)と永野氏 中内纉宦Eダイエー社長と
毎朝7時に起床、ビューティーサイクルを漕ぎ、永野式柔軟体操で汗を流すのが日課だった(1975年) 東商主催の「経済危機突破商工業者大会」で不況からの脱出をはかれと訴える(1975年) 松崎芳伸・日経連専務理事(右から4人目)を励ます集いにて。左から根津嘉一郎・東武鉄道社長、伍堂輝雄・日本航空社長、中尾栄一衆議院議員、永野氏、松崎氏、野原正勝労働大臣、川又克二・日産自動車社長、本誌主幹の佐藤正忠(1971年) 松下幸之助氏(松下電器産業相談役)と(1978年)
藤井丙午氏(新日本製鉄副社長)と固い握手を交わす(1973年) 風呂上がりにせつ夫人にタワシで背中をこすってもらう(1975年)