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人間主義と不自惜身命

 投稿者:Rira  投稿日:2014年12月21日(日)08時15分27秒
  通報 編集済
  >本尊が大切と信じ火事の中に飛び込んで大怪我をしたり亡くなった方も
>おられるかも知れませんが今ここに大聖人がいたらそんなことを許すでしょうか?
>「本尊などいくらでも書いてあげるからやめろ!生命を粗末にするな!」と止めると思いませんか?

確かに命がなくなれば、仏道修行ができません。

一方で、不自惜身命という言葉があります
「法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり」

実例として、四条金吾は、竜の口の法難で大聖人様にもしものことがあれば、
自らも腹を切ってお供しようとされました。この不自惜身命の御奉公に対し、
金吾殿を法華経の行者と賞嘆(しょうたん)されています。

自害をしても大聖人さまは戻ってこないし、命が無くなれば仏道修行も続けられませんが、
”命を粗末にするつもりか、ばか者!生きて修行しなさい!”ではなく褒められたんですね
しかも法華経の行者とはこうあるべき、との最大限の賛辞です

人間主義と不自惜身命を、両立させていくのは難しそうですが
どちらを優先させるのがいいのでしょうか?



『各日蓮の弟子と名乗る人々は一人も臆する心を起こしてはならない。
親を思い、妻子を心配し、所領を顧(かえり)みてはならない。
無量劫の昔から今日までそうした事の為に命を捨てた事は大地の微細な塵の数よりも多い。
だが、法華経の為には未だ一度も命を捨てた事は無い。』

親を思い、妻子を心配し、その幸せのために命を尽くすのは人間主義ですよね。
しかし、それだけではダメだというんですね

>本尊が大切と信じ火事の中に飛び込んで大怪我をしたり亡くなった方
大聖人がいらっしゃったのなら
飛び込むのを強制はしませんが、このまま焼けた場合、新たなご本尊は書写しませんよとおっしゃると思います。
そして悔い改めて十年ぐらい修行ののち、また書写のチャンスを下さるかもしれません。
失火しといて、すぐにご本尊を書写することはないはずです。

事後であれば
”この人は法華経のために身命を惜しまなかった、これこそ法華経の行者の姿であり
みなも、このような強情な信心を目指していきなさい”
と賛嘆され、手厚くご供養された、と思います。

私の信心が間違っているのでしょうか?
 
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