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偉人列伝

第13回 瀬島龍三(1911年―2007年)

瀬島龍三  太平洋戦争時における大本営陸軍参謀、関東軍参謀、陸軍中佐。戦後は11年間に及ぶシベリア抑留を経て帰還。伊藤忠商事会長などを務め、中曽根康弘首相のブレーンとして行政改革に尽力し臨時行政調査会(臨調)委員や第2次臨時行政改革推進審議会(行革審)会長代理などを歴任し、3公社(国鉄、電電公社、専売公社)の民営化に道筋をつけた。  富山県生まれ。1932年陸軍士官学校卒業(44期)、38年陸軍大学校を主席で卒業(51期)。39年参謀本部作戦課に配属され東京の大本営に勤務。戦時中はガダルカナル島撤収作戦の主任参謀、関東軍参謀などを務めた。  帰還後の58年に伊藤忠商事に入社。3年後の61年には越後正一社長の目にとまり商社の経営中枢部門である業務部長に抜擢され、翌62年は取締役。以降、68年専務、72年副社長を経て78年に会長に就任。この間に石油部門への進出やいすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携の仲介や安宅産業の吸収合併などを指揮して、繊維商社だった伊藤忠商事の国際化と総合商社化へ大きく貢献した。また陸軍参謀本部の組織をモデルとして直属の部下を率いたことから「瀬島機関」とも呼ばれた。  公職では78年に日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭を歴任。さらに81年には中曽根康弘行政管理庁長官の要請で臨時行政調査会会長の土光敏夫氏のもとで参謀役として役割を果たした。82年には首相になった中曽根氏の意を受けて政府特使として大韓民国(韓国)を訪問、日韓関係正常化の露払いをした。  幅広い人脈と深い洞察力、また戦前戦後を通じた活動から「昭和の参謀」とも呼ばれ、小説家山崎豊子氏の作品『不毛地帯』のモデルのひとりとされる。84年勲一等瑞宝章受章。 (肩書は当時)

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瀬島龍三 岡田茂・東映社長(後列左から3人目)の案内で、京都撮影所を見学。瀬島氏の隣は女優の香山美子さん(1973年) 小矢部市の生家で清子夫人とくつろぐ(1981年) 土光臨調の知恵袋として活躍。土光敏夫会長(左)の信頼も厚かった(1981年)
牛尾治朗・ウシオ電機会長と 明光商会の創立謝恩パーティーで乾杯の音頭を取る(1979年) 本誌連載「佐藤正忠の極意対談」の第1回ゲストとして登場。本誌主幹・佐藤正忠を相手に難局に直面した時の心構えなどを語った(1982年) 鈴木治雄・昭和電工会長と(1981年)
その叡智、哲学、情勢分析力は多くの経営者、政治家を魅了した