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完器講;異流儀

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2014年12月21日(日)15時19分19秒
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  >>おそらく、宗門の僧か法華講員の講義だと想いますが、江戸時代に完器講という
  講が有り、大石寺批判を繰り返していたそうです。
  以下。引用。
=============================================
完器講(かんきこう)は、もとは堅樹派(けんじゅは)といって、
堅樹日好という人が、江戸時代後期の明和9年(1772)に
日蓮宗一致派日朗門系から大石寺に帰伏しましたが、
まもなく大石寺批判を重ねるようになり、
離反して異流儀を唱えはじめました。
日好は「大石寺は折伏をせずして、自行の研鑽に明け暮れているので
法水が濁っている」と、そして四箇(しか)の格言を
徹底的に主張することが大事だなどといい、
「四箇の格言を妙法と一緒に唱えることが大事である」と
一方的に相手かまわず強弁し、納得させるどころか
自己の強弁に、自分が陶酔してしまって、
「我こそ大聖人・日興上人の正統である」と自讃し、
本門戒壇の大御本尊、並びに唯授一人の血脈を否定し、
また御本尊書写の権能も
「御本尊は折伏を行ずる者の胸中にある」という
宗祖直結・御本尊直結の「己心本尊説」を立てて、
必然的かつ宿命的な異流義を創出したのです。
 しかし、このような布教が明和七年(1770)、
「自讃毀他の説法御停止」の法令に反したため、
幕府の取り締まりの対象となり、主導者であった日好は投獄されたうえ、
はじめは三宅島に流され、次いで利島に流されて在島38年の後、
文化九年(1812)に罪人のまま、74歳で没しました。
大石寺は、かかる当時の幕政下で、
非妥協的な形式論を捨てて、令法久住を第一義として、
本門戒壇の大御本尊と、その御内証である宗祖以来の
唯授一人の血脈を厳護することが、大聖人の正嫡の
教団たる本筋であるという精神に立ったのです。

さてその後、堅樹日好の邪義は、門下の臨導日報が受け継いで、
完器講として勢力を広げていましたが、
相も変らず大石寺を誹謗し続けたため、第五十二世日霑上人は
「異流義摧破抄」を著して破折されました。
しかし、自説に固執する日報が「聖語明鏡顕魔論」をもって
反抗してきたため、日霑上人は「叱狗抄」を送って
再度強く破折されました。
日報は、その後も大石寺を誹謗し続け、
臨終には悪相を現じて非業の最期を遂げています。
その様相は「妙壽日成貴尼伝」につぎのように記載されています。

「明治5年8月1日より、臨導日報は大病にかかった。
そして翌明治6年6月20日に死去した。
日報の臨終までのその容態は、さながら三悪道の実現であった。
まず言語が自由に話せない。
耳の端が動くという犬猫のような畜生道を示した。
次に食べ物が自由に通らなくなった。
大小便が一切不通になるという餓鬼道を現じた。
それらの苦しみから出る脂汗は、頭からお湯を注いだように垂れ、
またその頭上からは火炎のような煙が昇る。
まさに地獄にあって苦しむ相であった。」

この日報の臨終の姿を、看病に当たった
佐野広謙(妙寿日成尼)と富士本智境(日奘)という、
二人の弟子が見ていたのです。
この師匠である日報の臨終の相が、常軌を逸脱するほど
異常あったという現実を目の当たりにし、
ついにそれまで感じていた、その信仰に決定的な疑問に対して、
日報死後、大石寺へ回帰しようと決意されたのです。
明治8年(1875)に日霑(にちでん)上人のもとに帰依した、
佐野広謙(妙寿日成尼)・富士本智境(日奘)の二人が
折伏を推し進めたことにより、感化されていた人々も、
徐々に大石寺に帰伏するようになりました。
このようにして完器講(堅樹派)は、
堅樹日好から百数十年を経た明治中頃に消滅しました。

=========================================
>>これは、歴史的事実かどうかは確認のしようも有りませんが、今回の
  会則変更はこの完器講のように、本家は大石寺で創価学会は宗門の過ちを糺す
  という点では大いに酷似しています。
  ご本尊も大石寺の亜流、教学も大石寺の亜流、焼き直し。
  こういう事態に成るようでしたら会則変更などはすべきではない。
  いや、あえて言います。
  こうなった以上は、大石寺教学、本尊は全て返却すべきであります。
  それを根本の本尊として行くなど、堅樹派の二の舞いに成るのは目にみえて
  います。
  御書も録内御書を根本として編纂し直すのが肝要であると想います。
  根本のご本尊様もご真筆を入手もしくはお形木を入手して、根本の本尊と
  すべきで有ります。
  いつまでも、宗門に綿々としている時期はもう過ぎた。
  此れぐらいの気迫、矜持がなければ時代に流されて、自然消滅への道をたどる
  事は必定です。
  政治団体に付け足しの宗教団体として生きるのが本部の方針ならそれでも良い。
  しかしながら、私ごとき一介の信者でも、判ることですが、創価学会には創価精神
  というか、牧口。戸田。池田。三代会長の創価思想というものが厳然として有る。
  この創価思想の原点に帰えるべき時期が来ているのではないか。
  何のために三代会長は、世間の誹謗中傷、難を受けられたというのだ。
  決して、創価学会を大きくして天下を取るというような俗心で動かれたのでは
  ない。
  この創価思想で権力や境遇に虐げられた庶民を救済。進んでは世界平和。
  仏国土建設のために組織を創設。維持発展させてこられたのだ。
  戸田会長も言われた「民衆救済の目的を外すようなことになったら、即学会を
  解散せよ。」
  日蓮聖人の精神とこの創価精神が両輪として稼働しなければ、世界平和どころか
  イスラム国のような組織が世界中に跋扈して、世界は修羅の巷となるでしょう。
  本部の中枢幹部も既得権益を手放したくは無いでしょうが、ここは大きく物事を
  捉えて、わずか100年の我が身の利養を計るのではなく、この貴重な精神を後代に
  語りつごうではありませんか。
  それが出来なければ、大六天の魔王に魅入られて魂を売ったと言われても仕方が
  あるまいて。
  貴方方の舵取り一つで全部員さん。いや日本国民の命運が左右されるのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E7%B5%A2%E4%B9%9F

 
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