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今すぐ決着がつく問題ではない。その通りですね。
問題提起したのは会則変更発表前に教学部レポートの公開を妨害し、
幹部の誤りを指摘してきmしたが、当時必死に正当化していた方々が、
この現状をどのように思っているかを知りたかったからです。予想どおりでした。
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問題提起です。以下について創価学会の公式見解からどのような破折が可能でしょうか?
特に本部に間違いはないとする立場の方々にお願いしたいですね。
役に立たない南元さん、新宿クイズさん、北国さん、ポンコツじいさん
お願いしますね。
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(Yahoo!知恵袋から転用)
ひとことでいえば正式に「宗旨を変えた」ということです。
創価学会は創立以来、「弘安2年10月12日にご図顕された本門戒壇の大御本尊」を信仰する団体であり、「大御本尊は日蓮大聖人である」としてきました。それは歴代会長の指導を見れば明らかです。
【牧口初代会長】
◆大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である(第三文明社『牧口常三郎全集【第10巻】』P151)
【戸田会長】
◆日蓮大聖人の法門では、拝む対象はただ弘安二年十月十二日御認めの戒壇の大御本尊様あるのみである(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P100)
◆日蓮大聖人様はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊様として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人様の御当体とは気がつかないでいるのである(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P33)
◆本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者はすべて謗法として禁じなければならない(戸田城聖著『立正安國論』創価学会 P130)
【池田先生】
◆信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである(池田大作著『広布と人生を語る【3】』聖教新聞社 P98)
◆ひとつの時代に、正しい宗教、正しい信仰というものは、必ず一つしかないのです。末法今時においては、大聖人様の三大秘法の大御本尊様以外に仏になる道はないのです。ぜんぶ、だれびとがなんと言おうが、経文のうえで、哲学のうえで、現証のうえで、日蓮正宗の一閻浮提総与の大御本尊様しかないということだけは断言をしきっておきます(池田大作著『会長講演集【第1巻】』創価学会 P322)
◆大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです(池田大作著『会長講演集【第10巻】』創価学会 P192)
それが今回の改正で「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と原田会長が明言しました。従来の信心からいえば「もう日蓮大聖人は信仰しません」と言っているに等しいのです。創価学会は名実ともに80余年の歴史に終止符を打ち、まったく新しい宗教団体を旗揚げしたということです。
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