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【魔の特徴】池田先生指導①

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年12月25日(木)09時50分20秒
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  仏道修行を妨げる「魔」は、どんな特徴をもっているのか――。
このことについては、前にもお話ししたが、ここでふたたび御書を拝し、心に刻んでおきたい。

大聖人は、南条時光に、警告の意味をこめて、次のように仰せである。
「大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつれば・それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり」(御書一五三九頁)

――大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、その一人をきっかけにして多くの人を攻め落とすのである――。

「日蓮が弟子にせう房と申し・のと房といゐ・なごえの尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばらなりしかば・事のをこりし時・たよりをえて・おほくの人を・おとせしなり」(同頁)

――日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こったときに、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである――。


大聖人が、退転した僧侶や、在家の大先輩たちを例にあげられているように、
「魔」といっても、いわゆる外の世界からだけ競うものではない。
この原理は永遠に不変である。

また「邪法」と戦うのであれば、
世間には多くの「邪法」があるのに、それらには目もくれない。

むしろ、外面は立派そうな大聖人門下の姿をしながら、
心の中では、真の仏子の集いを切り崩すことに喜びを見いだす――「大魔」のつきたる者の残忍な、どす黒い心根である。

彼らは、大勢の前で堂々と正面きって自説を主張することはしない。
実情を知っている人がその場にいれば、たちまちウソが露見するからである。

先の御文の前段では「たばかり」(謀)と断じられているが、
彼らは陰のほうでこっそり策謀をこらす。
そしてまず「一人」を退転させる。

それを足がかりに広げていこうという計略である。
こうした人間は、まさに《泥棒》のような、いわましい存在であると、仏法では説く。

性格的には「欲が深い――少欲知足でない」
「臆病である――権力とは戦わない」
「愚かで物覚えが悪い――信心の《心》が身につかない。またグチっぽく、信念がない」
「にもかかわらず、うぬぼれが強く、自分は智者とおごり、いばっている。尊敬されたがる」。

こういう者があぶないとお示しである。
こういう人間は、ふだんから自分の信念で行動しているわけではない。
何かあると、時の勢いに便乗して、蠢動(うごめく)し始める。

状況が変われば、また、手のひらを返すように急変する。
信じてついていった人こそ哀れである。

――こうした特徴のある者は「大魔」の使いであるからだまされるな、との大聖人のお教えである。

【「長野県婦人部の日」記念研修会 平成三年七月二十六日(全集七十七巻)】
 
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