腎臓の持病が再発した気がしなくない。様々なことがどんどん悪化している気がする
高校2年、3年の時に同じクラスだったきれいな顔したアニメ声のハルちゃんは慶応大学に行ったらしい。
また、可愛い顔した慶応大学にご進学なされたマナちゃんは、慶応大学に合格してからツイッタアカウントを非公開にしていた。
きっと自分は生きているだけで、この世の誰かから妬まれるとわかっていたのだろう。
だが最近、大学での交際の関係か彼女はツイッタアカウントを一つ公開設定に変更した。
アカウントを見てみると彼女のフォロー数とフォローワー数が吊り合わない。彼女にフォローされていないが彼女をフォローしている人間の多くは慶応大学の男子学生だった。
自分は、ハルちゃんやマナちゃんが持つ美しさを持つことはないという事実に気が狂いそうになる。
ゴミのような僕はゴミのような大学のゴミのような学部に毎日通っているのだ。ゴミのような容姿と腎臓で。
ある日、僕はゴミのような大学で教養科目の戦後政治の授業を受けていた。
一生懸命に先生に質問する容姿の良くない産業社会学部の男と、一方でゴミキャンパスに居着いているネコのような愛らしい寝顔の産業社会学部の女の子を見た。
僕は色々と悲しくなった。絶対に女の子の方が世の中から優しくされるだろうと思ったことと、容姿がよくないだけで他人を馬鹿にする自分が。
ゴミキャンパスで容姿のいい女を見ると歯軋りして、ブスを見て軽蔑する毎日に疲れる。
映像を見るのが嫌になってきた。授業中に見させられるのも、家で見るのも苦痛だ。テレビもほとんど起動しなくなった。
映像なんて見るのも作るのも好きじゃなくて、本当は映像に出てくる容姿のいい女の子になりたいだけだ。
東京に住んでいた頃も死にたいことばかりだった。でも本とカレーの街が歩いても電車でもすぐだった。その街のお陰で、とりあえず保っていた気がする。
京都は何もない。僕をただただ苦痛にさせるだけだ。もしかしたら、今では本とカレーの街も僕にタワー大学を見せつけたり、容姿のいい女を見せつけて嫌な気持ちにさせるだけかもしれない。
僕が今住んでいるゴミ大学の学生専用のマンションは田舎の成金のような人間の所有物だ。
きっとここで死んだら、田舎の成金は親に出来る限り多くの金を親に請求するのだろう。
なんてことだ。
ロクに信じてもいない神様に哀れんでもらって健康で美しくしてもらうのという都合の良い奇跡が起きるを信じるしかないのだろうか。