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バース・デイ「懸命に戦い続けた8年間 フラガール感動のラストステージ」5/2(土)夕方5時〜
8年前、18歳でフラガールの世界に飛び込んだ身長176cmの少女は、同期の中で誰よりもダンスに苦しんでいた。そんな彼女は今、フラガールの中心的存在に成長を遂げた。4年前、東日本大震災を経験、強い思いでフラガールを続けてきた。そんな彼女が今年、結婚。引退を決めた。落ちこぼれ少女が懸命に闘い続けた8年間。そのラストステージを追った。
2015年3月21日。この日、一際高い人気を誇った1人のフラガールが引退を発表した。彼女の名前は、小野寺千尋(26)。8年前、フラガール養成所を密着取材していた時、初めて彼女と出会った。この時18歳だった小野寺は、身長176cmと大柄で、同期の中で最も目立っていたが、ダンスは誰よりも遅れをとっていた。しかし、時を経た今、同期8人の中で残っていたのは、彼女ただ1人。
地元・福島県で生まれた小野寺は、中学は砲丸投げ、高校では槍投げと陸上競技に青春をぶつけていた。そして大学に進み、陸上を続けようと考えていたが、高校卒業間近にケガをした小野寺が通っていた接骨院でダンサーの人に会ったのがきっかけだった。何度も舞台を見るうち、魅了された小野寺は、大学進学をやめ、フラガールの養成所、常磐音楽舞踊学院に入学した。陸上競技で鍛えた体は、同期8人の中で一際、目立っていた。しかし、ダンスは、いくら練習しても腰がうまく動かせない。皆に遅れを取りたくない…。必死に頑張った。養成所で8時間練習した後も、自宅で先輩の映像を見ながら1人踊り続けた。そして、養成所に入って3か月、ぎこちなさは残っていたが、懸命に笑顔を見せ踊った。この舞台で、フラガールとしての第一歩を踏み出した。しかし、想像以上に過酷なフラガールの世界。小野寺の同期も、半分の4人が辞めた。しかし、小野寺はフラの魅力にのめり込んでいった。 そんな小野寺がフラガールになって5年目を迎えた2011年、22歳の時にあの悲劇が起こった。東日本大震災。小野寺の実家がある地区は、幸い被害はなかった。しかし、スパリゾートハワイアンズの被害は大きく、フラガールの踊る場所は失われた。練習が再開されたのは、震災から42日後。「全国キャラバン」と銘打ち、フラガールたちは、風評被害で、ダメージを負った、いわきの街をPRしようと、北は青森から南は宮崎まで全国を巡業することになった。この時、まだ余震が頻繁に起こっていた。しかし、そんな娘を後押ししたのは、両親だった。そして、5か月に渡り、全国各地を飛び回り笑顔を振りまいた。そして、震災から11か月、2012年2月8日。ハワイアンズのショーが、ようやく再開。その朝、家族から寄せ書きを渡された。震災から11か月、小野寺は、福島で、そして家族の前で踊れる幸せを噛みしめていた。再開後、小野寺は、実力を上げ、フラガールの中心的存在になっていた。フラを始めた頃のあどけない雰囲気は消え、大人の女性に変貌した。彼女を目当てのファンも着実に増えていた。8人いた同期生の中で、フラガールは小野寺だけになっていた。しかし今年、26歳になった小野寺もまた、悩んでいた。5年前から同じハワイアンズの音響効果を務める6歳年上の男性と付き合い、結婚を意識し始めていた。しかし、ハワイアンズでは、結婚すればダンサーを辞めなくてはならない。大好きなフラガールは続けたい。しかし、愛する人と共に人生を歩みたい。小野寺は悩んだ末、結婚を決意し、引退を決意した。
2015年3月21日、彼女のラストステージの日を迎えた。仲間のエールに8年間の思いがあふれだした。18歳でフラガールの道を歩み始め、同期の中で誰よりもダンスに苦戦していた小野寺。あれから8年必死に努力を重ね、1人踊り続けてきた。そんな彼女のフラガールとしての人生が終わった。
人々に笑顔を。未曾有の震災という悲劇も経験しながら、8年間フラガールとして踊り続けた小野寺千尋。彼女のもう1つの人生の幸福を心から祈る。
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4/17(金)第2話 [よる10時〜] 金曜ドラマ「アルジャーノンに花束を」
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