May.11 2015 「So What!」漢検を救え!を削除します。
いろんな人たちが漢検事件を追求し、さまざまな方法で世間に事実を伝えようとしていますが、漢検を乗っ取った側の一人が、名誉を棄損されたとその人達を訴えまくっています。
私も、「So What!」の執筆者として名誉棄損で訴えられた一人ですが、この度、500万円を支払えと言う要求に対して30万円を支払えと言う判決が出ました。
主文では、「So What!」で追及している現役漢検理事と漢検関係者による恐喝行為(反社会的勢力への影響力を示唆しつつ金銭要求をした)があった事は認めるも、しかし、犯罪が確定していない段階での実名での指弾は、一部、名誉棄損にあたるとして敗訴しましたが、「So What!」のメンバーと協議のうえ、恐喝行為が裁判で認められたことは大いなる成果が得られたと判断し、控訴はしない事にしました。
ついては、その訴訟した本人から「So What!」の文中の自分の名前を削除しろという通知が届きましたが、この際、一旦、全てを削除し、この2年間に状況も大きく変化しましたから、追って、リニューアルして再アップすることにしました。
先日、係争中の元嫁側から「信じる者は掬われる」の内容が名誉棄損にあたると警告が届きましたが、単に事実を述べるだけの行為に対して、名誉棄損、名誉棄損って、泥棒を見つけて「ドロボー」と叫んだら名誉棄損で訴えられているような納得のいかない乱用ですが、今回の「So What!」のように、名誉棄損で争う事によって、複利的に事実が明らかになるという効果もあるようですから、予告通り、追って「信じる者は掬われる」の最新版をアップします。こちらはもう、名誉棄損満載ですから訴えまくられることになるでしょうが、その過程は逐次報告していきます。
Apr.13 2015 「SFシャーシに関して、孫悟空たちに一言」
レース界ではそういう風評であることは耳にしていたが、最近になって、身内にもそれを信じている人がいると聞いて、改めて、何ともナイーブな人たちだなと心休まる思いだ。
スーパー・フォーミュラの現行車両への切り替え時期での話だが、あの代理店が輸入する外国車が鉄則であり、それ以外は選べないことになっているのにかかわらず、JRPが、それでも国産に色気を使い始めたのは、あの代理店の会長が逝去したために、今までのように阿吽の呼吸での取引が難しくなってきたうえに、JRP自身に予算がなくなっていたから、背に腹は代えられなくなっただけの話だ。
つまり、着手金(開発費)を払ってオーダーし、納品に引き換えて残額を払うという、まともな取引が出来なくなっていたので、仕方なく、開発費を立替えそうなJMIAにすりよってきていたと言う訳だが、JRPは、「採用を検討してやる」という上から目線の雰囲気を醸し出しつつ、支払い条件的に関しては厳しい内容を突き付けて来ていたから、私自身としては、何を今更の話だし、「日本の自動車レース産業の発展振興」というような大義名分でもあるのならまだしも、予算が無いから、立替えてでもやりそうなJMIAでも仕方がないか、なんてご都合主義的な話には乗れないと無視してやろうと思っていたら、大半を占めるJMIAの穏健派が、受け入れるべきと言いだした。
理由としては、「ここは厳しい条件でも、一度、投入してしまえば、今後、国産化が続く可能性があるんだから赤字でもやるべし」との太っ腹なご意見だが、開発するのは童夢だし、赤字を抱え込む役目も童夢だけだ。
まあ、JMIAは多数決をベースとした民主的な運営を心掛けているから、ここはまあ、私の意見は引っ込めて、ついでに、JRP様のご機嫌を損なわないように私自身もプロジェクトから外れ、最も人当たりが良いと自認している由良拓也が交渉を担当することになった。
土台、外国のコンストラクターに発注できるだけの原資もないのだから、本来は交渉もあったものではないが、なんだかんだと交渉が続いていた頃、私のJMIAのホームページでの発言が気に入らないという理由で、JRPが交渉を中止し、追いかけるように「Dallara」の採用が発表された。
その私の発言とは、2012年6月12日のJMIAのホームページに掲載した「JMIA KIT RACER展示ブースの展開」というコラム(http://www.jmia.jp/news/ns120612.html)の中の「マレーシアで汗まみれになりながら日本製レーシングカーの海外進出を図る自分と、何かと外国製のフォーミュラの輸入を画策するJRPの連中の落差が、より虚しさを増幅してくれます」という一文の「連中」という文言という事だが、これで簡単にシャーシが変わる訳もなく、そんなに私の一言に力がある訳もなく、通常、その裏を考えないか?
調べるまでもなく解かったことは、GP2の新型車を受注していたDallaraが、先行的に開発を進めていたところ、突然、GP2の発注がキャンセルになってしまった為、好条件で、行き場のなくなったGP2マシンを売り込んできたから、渡りに船のJRPとしては、ほぼ決定と言うところまで来ていたJMIAへの発注を回避するために「連中と言った」から止めると言い出した訳だ。
まあ、もう引退する私が何をいう事もないが、私の一言で、一瞬にしてスーパー・フォーミュラのシャーシが変更されるなんて単純な仕掛けで世の中が動いていると思っている人が居たら、自分は、お釈迦様の掌の上で飛び回っていた孫悟空のような存在だと思っていた方が間違いが無いだろう。
Jan.01 2015 HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。恒例の正月旅行はどこも予約がいっぱいだったので、少しずらし、年末はパラオで過ごしました。紺碧の空! コバルト色の海! 爽やかな浜風! 心地よい潮騒! ああっ! パラオのビーチは最高です!! って、まあ、この原稿を書いている時点ではまだ出発していませんが。
一時期、頻繁にパラオに行っていましたし、ハワイにも通っていましたし、LAには会社を作ったほどですし、レースのついでにヨーロッパも駆け巡っていましたが、今、考えるに、あの頃は、どうしてあんなに気軽に海外を飛び回れたのかさっぱりと解りません。
当時、時間が有り余っていたというよりも、時間の流れは今と変らないんだけれど、今は、自身の動きが遅くなっている分だけ時間が速く流れるとか時間が無いというように感じるんでしょうね。
確かに、原稿を書く時間は数倍になっているし、休憩も頻繁になっているし、パソコンの前で寝てしまっている事も多々ありますが、何よりも、決断が付かなくなって迷う時間ばかりが長くなり、なかなか結論が出せないのも時間を浪費する原因となっているようです。
よく、「まだまだ引退は早い」とお愛想を言っていただきます。しかし、私は童夢の生み出す製品のほとんどをデザインしてきましたし、それが楽しみでもありましたが(既にデザインされた物を製品化する仕事も有りますから、童夢製の割にはデザインの悪いものはほとんどこのケースと思ってください)、昔の私にとってデザインは瞬間芸のようなものだったのに、今は、延々と絵を描き続けて終わるところを知りません。
悪いことに、デザインに対する意識レベルはどんどん向上して行くのに、それに反して実力が落ちていって落差が拡大しているにも関わらず、デザインを他人に委ねることをプライドが許しませんから、解決策はありません。
致命的な事は、今まで長年に亘って阿吽の呼吸だけで進めてきたあらゆる施策が、私が右に向かって走っているのに、気が付いたら社員が左に行って後ろに居なかったというような齟齬が目立つようになってきましたが、これも、社員の理解力不足と言うよりも私の徘徊がひどくなって行く先が掴みにくくなっているからでしょう。
引退
つまり、これを潮時と言うのでしょうね。私が60代での引退を決意したのは10年前の、えーーーーーーっと、思い出せません、ほら! あの60になった時の、赤いちゃんちゃんこ着て祝う、あの、そら、そうそう、還暦の頃でしたが、その頃は、まだまだ衰えを意識していませんでしたし、米原に新社屋を建設して意気軒昂でしたから、その頃にイメージしていた引退と言うのは、能力の低下と言うよりは、あっさりと退きたいと言う「カッコ付け」が主たる動機だったと思います。
しかるにその後、いろいろな面で自らの能力の低下を思い知らされる出来事が相次ぎ、早く足を洗わなくっちゃと思っていた頃、決定的に引導を渡されるような出来事がありました。
このように、自身の能力の低下を意識しつつも、一方で、自らの集大成と言える作品も残しておきたいという思いも募っていましたから、私の「最後の夢」と位置付けるスポーツカーの開発プロジェクトを考え始めていましたが、デザイン能力の衰退は止まるところを知りませんし、遅れれば遅れるほどデザイン・クオリティが下がるという強迫観念もありました。
だから、焦っていたのも事実ですが、何よりも、自分の理想とする作品を残すためには今までと次元の異なる投資が必要であることも事実でしたから、タイミングもさることながら、通常の方法での予算の確保は難しいという状況も有りました。
幸い、事業は好調でしたから銀行から借り入れすることは可能でしたが、引退を前提としたプロジェクトで借金だけを残す訳にもいきませんし、その頃は、会社は清算してしまう可能性も高かったので、それらの事情を勘案するに、結論として、私が引退して童夢は清算することを前提として、盛業中の子会社である「童夢カーボン・マジック」を東レに売却して、その資金を投じて私の「最後の夢」であるスポーツカーを開発して、私の有終の美を飾ることが私の最後に最もふさわしいと考えるようになりました。
その後の経緯は「信じる者は掬われる」に詳しく述べているように、元嫁との離婚に絡んで、その売却益のかなりの部分を収奪されてしまったので計画は頓挫のやむなきに至ってしまいましたが、それはそれとして、並行して進めていたデザイン工程では、アメリカ在住の元童夢のカー・デザイナーである「クニ伊藤」を呼び戻して手伝ってもらっても、いつまで経っても10%も満足のいくデザインが完成せず、ずっと同じ壁にぶち当たったまま堂々巡りを繰り返していました。
最終的には、ほぼ方向性だけは固まってきたと言うところですが、その頃に、計画の中止の已む無きに至ってしまったので、大変に無念ではありますが、一方、心の片隅に、あのまま勢いだけで発表してしまっていたら、有終の美を飾るどころか、恥をさらして終わったかもしれないと言う危惧も少なからずありました。
それほどに私は自信を失っていましたから、私の「最後の夢」は、潰されたとも言えますが、諦めたと言う部分も少なからずありますし、その両方が私の引退に拍車をかけたと言えます。
最後の一大プロジェクトが霧散してしまった今、その為に東レに売却した「童夢カーボン・マジック」は、現在、「東レ・カーボン・マジック」としてますます隆盛を極めていますし、昨年末の12/05には新工場を増設して盛大なお披露目のパーティが催されました。
ついこの間まで童夢の子会社だった所は、増設されて、最新鋭の工作機械類が追加されるなど高度な生産設備が備わっていて、まるで異次元のレベルの企業に成長していましたし、国内のカーボン・コンポジット製造関連の会社はすべからく東レ・カーボン・マジックの下請けとして多忙を極めていますし、同時に売却した「童夢コンポジット・タイランド」も数倍規模の工場を建設中で、そのものすごい躍進ぶりに目を見張ってるところです。
こうして、元嫁には追い出され、優良な子会社を売却したにもかかわらず目指していたスポーツカーの開発は頓挫し、歳と共に満足なデザインも出来なくなり、社内での様々な施策も空回りに終わる事が多くなり、それに輪をかけて、私生活の上でも、元嫁とのドロドロの裁判が始まり、漢検の大久保君の支援を続ける中で名誉棄損で訴えられ、その上、友人の井川に童夢を継承してもらう事にはなったけれど、本人が海外に居住しているだけに先行きが不安で、気分的には、もう1日も早く逃避してしまいたい気持ちでいっぱいです。
こう言うと、とても不遇な状況に意気消沈しているように思われるかもしれませんが、そこは人生、巧くできたもので、これが老いと言うものなんでしょうか? 私としては、もうこれらの全てに未練の欠片も有りませんから、後は、いかにスマートにいかにスムーズに後進に後を委ねるかだけが課題です。
今は、残された童夢の継承問題や、引退のパーティの準備や、新たに建築する童夢の新工場と自宅の設計に追われる毎日ですから、それだけで手一杯で余裕の欠片もありませんし、これ以上は何もできません。
私は、自分で言うのも何ですが、いや、決して自慢とかじゃなくって、いわゆる自他ともに認める客観的事実としてですが、異常にモテたのに、60を過ぎた頃から、やや「男として見られていない感」を感じる事が多くなってきていたものの、どんどんモテなくなると同時に、どんどん処理能力も低下していくので、つまり、需要と供給のバランスが絶妙だったために、まるで問題なく老人となっていきましたし、今や逆転して、女性に誘われるのが億劫な領域まで到達してしまいましたから、最早、生きている価値すらありません。
まあ、このように、総体的には、自分の老化に気付くのが遅かったために仕掛けるタイミングが遅れた感は有りますが、自らの老化にタイミングを合わせて全ての物事が進行していっているような調和を感じるくらい自然に終わりを迎えつつありますから、絶妙な幕引きの頃合いだったんだろうなと思っています。
裁判
さて、話は変わりますが、「信じる者は掬われる」で詳しく述べているように、もともとは、元嫁の理不尽な要求が世間に歪んで伝播することを恐れて真実を詳らかにせざるを得ない状況がありました。
想像していただければ解ると思いますが、元嫁一族は一部上場企業の創業者一族ですし、元嫁の兄は地元でも有力者と呼ばれていますし、元嫁が自ら「名声があり社会的信用も高い(元嫁の答弁書による)」と豪語するように、地元での元嫁一族の力は強大ですから、その有力者一族と金の奪い合いをしている私が世間からどのように見られるかは自明の理ですよね?
ほとんどの人が、私が離婚に乗じて元嫁一族の金を取りに行っていると思われているのが現実ですし、誰も、名声高き(自称)元嫁一族が庶民である私の資産を収奪しているとは思わないでしょう。
こういう状況は体験してみないと解らないと思いますが、さすが、街を歩いていて石を投げられることはありませんが、生活上のあらゆる面で影響は大きく、行きつけの店でちょっと対応がおかしいと思ったら元嫁一族が来なくなると心配されていたり、弁護士や税理士なんかから仕事上差しさわりがあるからと断られたり、友人からも「Y子ちゃんも参っているみたいだから、いい加減にしてあげたら」などと言われたり、連絡の途絶えてしまった友達は枚挙にいとまはないし、私にとってすれば、急激に世間が1/10に縮小してしまったような感覚ですが、だから尚更、汚名を着たまま退場する訳には行きませんし、世間に対しても私は私の正義をアピールしていかざるを得ないと思っていますし、それには、裁判によって白黒を付けるしかないと思っています。
動機はそうなんですが、裁判を始めてみて、元嫁側(の弁護士)の言い分があまりに稚拙で、なんじゃらほいという感じで肩の力も抜けましたが、この、まるで幼稚園児が「お前の母ちゃん出べそ」と言っているに等しい罵詈雑言を、当初の私の方の弁護士があまり気にしない様子が不可解で信頼に足りないために、また、時間をかけて、より戦闘力の高い弁護士を探して依頼したものの、戦術としての攻撃性は認めるも、やはり、私に対する誹謗中傷にはあまり関心が無いようで、ずっと私だけが一人、「ねえ、ねえ、こんな嘘八百を放っておいていいの?」と騒いでいる感じです。
最近になって、ちょっとは反論をしていただけるようになってきましたが、この、当初からの違和感はずっと続いていますし、元嫁側の一部上場企業の代表顧問弁護士たる人物が有りもしない与太話をでっちあげてでも私の人格攻撃に余念がない事に意味が無いと思えないし、もしこれが有効なテクニックであるのなら、こんな単なる悪口を判断材料とする裁判所もいい加減だし、キッチリと対抗しない私の方の弁護士の方針も理解できないし、何だか、その基本的な部分での不可解さと違和感が裁判と言うものの信頼を損ねつつありますし、大げさに言えば、日本の司法そのものが、とてもちゃちっぽく思えてきて、最後の拠りどころだと頼っていただけに、正直、戸惑いを隠しきれないというところです。
親友だった「無限」の本田博俊や「漢字検定」の大久保浩などの裁判を身近に見てきて、こんな善良な人たちが司法によって罪人にされて長期に亘って収監される事実を「嘘だろう?」という思いで見てきましたし、古くは「砂川事件」の裁判官も売国奴にしか思えなかったし(もちろん、当時は紅顔の美少年で何も知らなかったから、近年になってから知ったことですが)、光市母子殺人事件の弁護団の「ドラえもんが助けてくれると思った」等の発言には笑うしかなかったし、尖閣中国漁船衝突事件では那覇地方検察庁の次席検事の判断で(ということになっている)船長を釈放してしまったし、最近でも、PC遠隔操作事件で無実の4人が誤認逮捕され、しかも、その内の2人が自白させられている事実は驚愕しかないし、かねがね、日本の司法には疑問を抱いていたものの、こんな形でわが身に降りかかってくるとは思いも寄りませんでしたが、私としては、元嫁との争いもさることながら、この、近代的な法治国家であるはずの我が国における、あまりにもあやふやな感じの裁判沙汰という現象について、せっかくの機会だから、とことん付き合って、その実態を解明してやろうと思うようになっていました。
もし、これらの元嫁側の言い分が少しでもまかり通るとしたら、それはある意味でとても恐ろしいことだと感じていますし、まず先制パンチとして、嘘八百を並べ立てても相手側のイメージを悪くするような戦略が通用するような現実を私が体感した時点で、私は、これらの弁護士も裁判官も含めた日本の司法そのものに愛想をつかすと思いますし、裁判そのものが旅役者の三文芝居のように見えてくるでしょうし、もしそれが、法曹界が潤うための出来レースだとしたら、もう、日本は法治国家ですらありません。
そんな訳で、私としては、裁判そのものに係わる事がかなりつらくなっている反面、怖いもの見たさと言うのでしょうか? この、やや魑魅魍魎的な裁判というものの実態を覗いてみたい好奇心にも駆られていますが、最新の元嫁側からの通知書に「あまりに低い次元において争いたくない」「これ以上の名誉棄損行為は放置しかねる」「裁判所に適正な訴訟指揮を取っていただくように上申する」などと、まるで私の方が嘘八百を並べ立てて誹謗中傷しているかのごとき言い草をもって言論を封殺しようとしています。
私は単に、元嫁側から出てくる謂れも無い誹謗中傷の虚偽を論理的に解説しているに過ぎませんし、私がそれを解説しなくてはならないのは元嫁側から出てくる嘘八百を並べ立てて誹謗中傷が原因なのに、この本末転倒の謂れなき言いがかりも、弁護士的には留意すべきことらしく、その理由は、名誉棄損というものは不特定多数を対象にするものであり、裁判所に提出する書類は見る人が限定的だから何を言っても良いという法的解釈を根拠にしています。つまり、裁判所向けに嘘八百は言いたい放題ですが、ホームページで真実を書くことは名誉棄損に問われると言う事です。
弁護士は抗弁しないわ、私が誤りを正せば名誉棄損では、黙って言われ放題言われておけということになりますが、挙句に、元嫁側から「あまりに低い次元において争いたくない」「これ以上の名誉棄損行為は放置しかねる」「裁判所に適正な訴訟指揮を取っていただくように上申する」などと言われてしまうのですから、何をか言わんやです。
しかし、私の方の弁護士からは、重々、表現を押さえるように注意を受けていますし、私が最も望んでいる事は私の主張が正しかったことを世間に知ってもらう事ですから、その為には真実を詳らかにすることが最優先であり裁判に勝つことです。
しかし、その為に黙して語らずでは本末転倒ですし、「信じる者は掬われる」を読んだおかげで誤解の融けた友達も山ほどいます。「てっきり、若い女の為に子供を捨てたのかと噂をしていたのですが良かったです。頑張ってください」とか「林さんもお金の事で揉めるんだと少々がっかりしていましたが、これは仕方がないですね」というメールなんかが届いていますし、「読んだよ。頑張れ!」と言ってくれる知り合いも少なくありません。
いつまでかかるのか知りませんが、私が沈黙して裁判だけを続けて、例え中途半端に勝訴したとしても、それまでに悪意に満ちた噂だけが拡散していたら、逆に、やっぱり金が欲しかったんだと思われかねませんから、ここの所、そもそも「裁判に勝つことによって私の正義を証明する」ことが出来るのかどうか疑問が強くなっていますし、どうせ、どっちもどっち的な解決しか期待できないのなら、書くことはまだまだ山ほどありますから、全てを克明に暴露して潔く名誉棄損で有罪になってやろうかと言う衝動が強くなってきています。
そんな時、漢検の大久保君の上告が棄却され有罪が決定しました。あれほど真面目に漢字力のレベルアップに取り組んできた人が、努力が実って成功し、漢検に80億円ほどの内部留保が出来た途端、有象無象が寄ってたかってむしゃぶりついて、大久保君を陥れた挙句に遣いたい放題、もう20億円も残っていないようですし、その使い道も決まっています。
こんな鮮明な欲得ずくの構図ですらも、他人の努力の成果を散財する輩がのうのうと甘い汁を吸い続け、一からそれを構築してきた立役者が監獄にぶち込まれるのですから、まあ、私の問題なんか比べ物にもなりませんが、今朝、訪ねてきた大久保君とお茶をすすりながら司法の限界について語り合い、二人で、ふーっと深いため息をついて言葉が途切れました。
童夢の譲渡
これも、童夢のホームページなどで段階的にお知らせしてきていますが、ここでは、ややインサイドストーリー的に状況をお知らせしておきたいと思います。
要約すれば、童夢の株を井川高博に譲渡するということに尽きますが、予想通り、早速、「また売却益が入ってウハウハだね、おごってよ!」というようなやっかみが聞こえてきます。
しかし、私はこういう言われ方をしたくないのと、何よりも、井川が童夢を継承して成功するとは限らないから負担を軽くする意味からも、譲渡の時点で童夢が所有する土地と現金の価値で売却する、つまり、100円のものを100円で売るという形の譲渡とします。
ただし、この状態では社屋が有りませんので、井川は新社屋の土地の購入と社屋の建設に関して投資する必要が生じます。
この時点では、童夢の商標や意匠や古いレーシングカーなどの所有権は私個人で設立する会社に移管しますが、3年後に井川童夢が健全に存続していて、なおかつ井川が望めばそれらも譲渡します。すなわち、その時点で不要と言う事であれば、購入しないと言う選択肢もある訳です。
このように、負担の少ないスタートと先行きの見えてきた時の自由度を高くしておいて無理のない継承を望んでいますが、もちろん、私が死んだ時は全てを井川に託すように一筆を残しておきます。
さて問題は、新たに取締役として就任した「臼井里会」ですが、以前から海外での事業展開を希望していた井川は、当分、日本に帰ってくる気配は有りませんから、井川は、経営者と言うよりも投資家と言う立場です。
そのため、当分は鮒子田が社長を続投するものの、お互いにそれほど親しくなかった二人が海を隔ててうまく連携出来る訳も有りませんから、井川としては、そのパイプ役を探していたのですが、もともと、井川が絶大な信頼を寄せている臼井の名前がしばしば上がりながらも、童夢も取引先は大企業ばかりですから、やはり世間体を気にして決定には至りませんでした。
しかし、方針決定のタイムリミットとしていた2014/8のギリギリになっても適任者を絞り込めずにいましたが、井川にとっては絶大な信頼感を持っているし最も安心できる人材であることは間違いないし、私としても、井川が望む人であることが最も重要でしたから、特に反対する理由は有りませんでした。
では、何が障害になっていたかと言えば、ずばり、女性であることに尽きましたが、日本の社会では一般的には受け入れられないとは思いつつも、理由が女性というだけでは何とも前時代的ではありますし、これから新たな時代に向けて発進する新童夢としては、そんなことに拘るべきではないと考えを改めて、タイムリミットギリギリに臼井の就任を決めました。
というような経緯は有るものの、結局、世間では「彼女を会社に入れた」的な言い方をされますし、批判的な意見も多々頂きますが、当初はレースクィンからレース界に入ってきたもの、その後はレースクィーンのコーデネィトやイベントの手配など幅広くレース関係の仕事を手掛けてきましたし、自身もカートにのめり込んで、走りに納得がいかなかったら違うサーキットを梯子するほど熱中している大レースフリークです。
今も、F4デビューを目指して特訓していますし、何よりも、レース界での人脈は半端じゃありませんから、男とか女とかは別にしても、適任であることは確かです。
しかし一方、欠点も多々あり、その最たるものはレースと同じくらい酒が好きな事ですが、致命傷はシャンパンしか飲まない事です。中華のランチで男どもが980円のBランチと1200円のAランチを迷っている横で、躊躇なく「私、シャンパンとフカヒレ」と言いますし、人数が多いからなるべく安くと居酒屋風の店を選んで焼酎と椎茸を頼んでいる横で「私、シャンパンと焼き松!」とのたまいます。
時々、殺意を抱く時もあるくらいですが、きっともうすぐ、私無きあとの童夢の接待費で高いワインをおごってくれるようになると期待しています。
いずれにしても、私が入れたのではなく、次期オーナーである井川のご指名であることはご理解いただきたいと思っています。
さいごに
とまあ、今年の私は、「引退」「童夢の譲渡」「裁判」「新社屋と自宅の建設」など、雑多な用件に振り回されて過ごしていると思いますが、一方、新しい船を購入して古巣の「新西宮ヨットハーバー」に置きますので、新春からは、暇を見つけては瀬戸内海をうろうろしようと思っています。
そして、7/16には、ついに「古希」を迎えますが、その前日の60代最後の日に、米原に建設する新社屋の棟上げ式を兼ねて、私の引退をお知らせする「中締めの大パーティ」を開催する予定です。
ただし、中締めで終わる訳では無く、童夢はオーナーが変わっても次世代が引きついで運営していきますので、これからの童夢にも応援をよろしくお願い申し上げます。
最後になりましたが、私たち夫婦は、昨年の11月27日で結婚1周年(正確には結婚式から一周年。入籍からは1年半)を迎えました。1回目も2回目の結婚も3年は保ちましたから、まあ、1年半くらいは大丈夫ですが、それにしても睦美は変わらぬ愛情をいっぱい注ぎ続けてくれていますし、仮住まいの小さなマンションですが、いわゆる「暖かい家庭」を満喫しています。
まあ、大げさに言えば、私が何回も結婚してきたのは、こういう家庭を望んでいたんだろうと思えるくらい理想的な環境ですし、唯一、ここに足りないのは子供ですが、それも、姪っ子の梨々華(8)が懐いてくれているので満たされていますから、何も言うことはありません。
しかし睦美は、これが当たり前だと思っているようですが、現状は、弱ったライオンがたまたま家に居る事が多くなってきただけで、本来は、ジャングルを駆け巡って獲物を追い求める動物であることを理解していませんし、弱ったことが夫婦円満の理由と言うのも頂けませんから、時々、夜のジャングルに出かけて吠えてみたりしてみますが、もう、ウサギも驚いてくれません。
これを世間では遠吠えと言うのでしょうが、私の理想は、元気なライオンが突然に死んでしまうような終わり方ですから、あまり健康に留意し過ぎて中途半端に長生きするよりも、適当に不健康な生活を送るように心がけています。だから、不健康関係のお誘いは大歓迎ですからいつでもお声掛けください。
とりあえず、まだ今年は生きているつもりなので、本年もよろしく。
林みのる
Jan.01 2014 HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。クールな私としましては、観念的には正月も単なる時間の経過にしかすぎないとは思っているのですが、何だかんだと人の多かった子供の頃の我が家の年末年始の盛り上がりが体に染み込んでいるのか、年の瀬が近づくと自然にテンションが上がるものの、かと言って特にすることも無く、いそいそと買い物に出かけては無駄なものを買いあさって冷蔵庫が満杯になって困っています。
今年は平穏でおめでたい新年を迎えられることになりましたが、昨年、当ホームページで私がぶつぶつ言っていたように(Apr.18 2013 Separation→Divorce→Move)、私にとっては、ここのところの正月は、結構、気が滅入るような出来事が続いていて、特に昨年は気分どん底だったために逃げるように南の島に向かいましたが、その逃避行に付き添ってくれた女性は、それ以来、私にとって欠かせない存在となり、昨年の11月末にHawaiiで結婚式を挙げました。
ええ、4回目ですが、何か? その睦美は38歳という微妙な年齢で、アメリカからきている友人に紹介することになった時、私が「驚くだろうな!」とつぶやいたところ、睦美は「アメリカではこのくらいの歳の差の夫婦はたくさんいるから驚かないわよ」とのたまい、私は「違うよ、こんな年増を連れて行ったら驚くだろうなと言ってるの!」というくらい意識のギャップがありますから、いつまでこの平穏で安泰な時間が保てるかは微妙ですが、しかし、私には後がありませんから、多分、時間切れでこれが最後になると思っています。
HalekulaniのHau Terrace Lanaiの結婚式には約30名のご来臨を賜りましたが、 直前に、やむなき事情で3組のドタキャンが出ました。ところが、この3組の全てが過去3回の私の結婚式に出席してくれた人たちでしたから、つまり、4回すべての結婚式に出席した人は途絶えてしまった訳です。
全出席を表彰する余興を仕込んでいたので残念でしたが、まあ、過去を断ち切れと言う暗示だと解釈して、睦美と二人で新たなる気持ちでの出発を目指したいと思っています。
昨年は、良きにつけ悪しきにつけ波乱に満ちたプライベートに負けず劣らず、童夢も、子会社のM&Aという大きな出来事を中心に様々な動きを見せています。
私は、最後にロード・ゴーイング・スポーツカーを造り上げて有終の美としたかったのですが、新社長の興味はルマンの方が勝っているようで、現状、優先順位としてはかなりブービーあたりを彷徨っていますから、どうなることやら・・・。
童夢のような規模の会社が自費でルマンに挑戦を続けることに意義があるとすれば、それは唯一、そのノウハウに目を付けた自動車メーカーとジョイントしてルマンに挑めるチャンスが訪れるかどうかにかかっています。
それまで童夢にも、外国の有力チームなどから協力関係についてなどの申し出はありましたが、私としては、ターゲットはあくまで自動車メーカーとのジョイントでしたから紐付きになることは避けてきました。
そして遂に熱望していた自動車メーカーとのジョイントが決まり、契約も交わし、開発も始まったところで、世界の経済情勢の悪化によってお流れになってしまいましたから、私の気持ちとしては、もうそれ以上、待ち続ける気力も失せましたし、同時にルマンも遠い存在になっていました。
しかし、新社長の鮒子田にとっては、まだまだルマンに未練たらたらで、私から見るとルマンにしか眼が行っていないように思えますし、また悪いことに、それを横目で見ながら止めようとしない私が居て、土台、童夢とはそういう会社であるという事です。
私が引退を決意している2015年7月15日、それは、かねてより70の声を聴いて仕事はしないと宣言している60代最後の日ですが、それまでの1年半、レースの世界で遊び倒して静かに雲散霧消するのが理想であるものの、残される社員たちの先行きには責任を持たないといけないので、まだまだ、私には重大な責務が残されています。
そんな訳で、2015年の年賀に何が書かれるのか私にも全く想像もつかない幕引きへの本格的なスタートを迎えつつあるこの頃ですが、それはそれとして、レーシングカー・コンストラクターとして、最後まで車造りを満喫したいと思っています。
では、皆様におかれましても、今年が飛躍の年になるように願っています。努力次第ですが・・・・・・・・・。
賀正 林みのる
Nov.28 2013 日本に童夢があって良かった!
朝からずっとパソコンに向かい、日本が外国にばらまいている支援金などの詳細を調べているが、断片的な情報が錯そうしているだけでなかなか実態が見えてこない。きっかけは、10年くらいも前に、未だに中国にODAをしていると聞いてあり得ないと思ったが、事実だった。
それからかなり時間が経った今、ある本を読んでいて、まだ中国に金を払い続けていると書いてあるのを見て、10年前の1000倍くらいあり得ないと思って仰天したが、嘘八百を書くような本でもないので、念のために調べているという訳だ。
ディスプレーには、ミャンマー、チェニジア、インドなどの国名と共に巨額の数字が並ぶが、なかなかその全体像や実態は見えてこないから、午後は紙の資料を追及する予定だが、一方、国内には2年半も前の震災の被害者が未だに数十万人も避難生活を余儀なくされている現実もあれば、福島の原発が廃墟のような姿を晒したまま放射能汚染水を垂れ流し続けていたりもするし、単純に、そんな散財をしていられるような状況なの?と思う上に、
復興予算が好き放題流用されていたり、消費税増税と共に予算規模が200兆円におよぶ国土強靭化計画が自民党から土建屋への手土産にぶち上げられたり、32個も「その他」の付いた何でも有の秘密保持法が、たいした抵抗もなく審議が進んだり、一流のホテルやデパートまでが偽装表示をしていたり、とにかく、私はこの国の事がよく解らなくなってきている。
特に、無限の本田社長やホリエモン、漢検の大久保君やエリエールの井川元会長や普通に善良なるその他の親しい友人たち、まあ、多少は道を誤った奴もいるが、ほとんど他人に迷惑をかけていないような人たちが、いとも簡単に監獄にぶち込まれていく現実を横目で見ながら、福島の事故でこれほど多くの国民がいつ果てるとも知れない多大な迷惑をこうむっているにも関わらず、それを推進してきた政治家や当事者である東電の誰一人として起訴もされない現実は、正義の概念すらもあやふやになってきて、ますます、この国の事が解らなくなってくる。
そんな日本の、それも、小ぢんまりとし過ぎて目立ちもしない自動車レースの世界においても、私にとっては解らない事だらけだったけれど、こうして世の中の動きを見ていると、レース界だけが特別に劣化している訳ではなく、ここにも平均的な日本の現状が反映されていることがよく解り、ちょっとやそっとでどうなるものではないと、ますます絶望感が深まっていく。
思うに、概して私の人生はツイていたと言えるだろう。ルーレットの一点張りを続けるような冒険的な人生だったが、かなりの確率で成功しているから今日がある、つまり、運が良かっただけだが、最もツイているのは、世間やレース界に絶望を深めている現在、私はもうジジイだから成す術もなくグチるしかない事だ。
これが壮年期だったら、とても黙って見過ごすことは出来なかっただろうから車造りに専念していられなかっただろうし、徒労な努力を続けて、かなり無駄な人生になっていた可能性は高い。
そんな、失意の果てに半隠居を決め込んでいた私にとっても、さすがに看過しかねる出来事が勃発したが、日本のレース界のあまりのリアクションの希薄さにたまりかねて、生臭れのゾンビみたいに少し動き出してしまった。
詳しくは、先般、当ホームページに掲載した「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」 を参照いただきたいが、その後の状況を観察していて解ったことは、日本で、このFIA-F4の台頭に危機感を抱いているのはほぼ私だけであり、ほとんどのレース界の人たちにとっては安い外国製入門フォーミュラの出現は歓迎すべき事であるという能天気な現実だ。
HONDAのF1挑戦やR380やTOYOTA7の活躍などの黎明期の日本の自動車レースの輝きを色褪せたものにしていったのは、本質的には、日本の自動車レースの金主である自動車メーカーの不見識に尽きる。このあたりの自動車メーカーへの悪口は、TOYOTAの「GAZOO RACING」のコラム「クルマとモータースポーツの明日 9人の提言」でさんざん罵倒しているので参照していただきたいが、以下に抜粋を掲載しておく。
「日本の自動車レースのほとんどの資金源は自動車メーカーであり、各自動車メーカーの担当者がその使い道を裁量するが、これらの人は数年で配転となるから絶えず素人が采配を振っていることになる。一方のレース界には何十年と経験を重ねている人が大勢いるから、土台、話は噛み合わないはずなのだが、なにしろ、片や金を出す方で、片やそのお金が無くては生きていけない立場なのだから最初から勝負にはならない。
結果、「子供たちに夢を」とか「公平に勝とう」とか、自動車メーカーの素人の担当者が理解しやすいような安易な提案の出来る人が重宝され、小難しい話は敬遠されがちだから、おのずから日本の自動車レースは「ドライバーの育成」と「プロレス」だけになってしまった。
自動車メーカーにも、レース畑に長くとどまっている人もいるのに、どうしていつまでもこのような素人っぽい発想しか出来ないのかと不思議でならないが、自動車メーカーと長く付き合っていると解ってくるのが大企業のサラリーマンの特性だ。
彼らは、出過ぎたことをして汚点を残したくないものの、何もしないと評価もされないというジレンマの中で絶えず揺れ動いているから、本質的に、勝敗と責任の所在が明確な勝負事が苦手だ。だから、自動車レースに対しても、ドライバーの育成というようなワンクッションおいた取り組み方を好むようになるし、レースでも真剣勝負を避けるように複雑怪奇なシステムを考え出し勝敗の行方をあやふやにする。
つまり、自動車レースが歴然とした勝負事であるにかかわらず、勝敗という本質的な要素から逃避した形でしか取り組まないから、自動車レースは自動車レースで無くなるし、そんなレースをいくら続けていても、素人はいつまで経っても素人だ」
このように、担当者がコロコロと変わる自動車メーカーはしょせん素人なんだから、と言うことは、レース界が自動車レースの未来を見据えた建設的な提言を続ければその方向に誘導できたはずであるのに、では、誰が日本のレース界をこれほどまでに疲弊させてきたかと言えば、その真犯人はドライバーのOB連中である。
現在の日本のレースは、金の出どころこそ自動車メーカーだが、あらゆる手管でその自動車メーカーから金を引っ張り出しているのはこのOB連中であり、走ることしか能の無かった彼らが考え付くのは「ドライバー育成」だけだから、それが、前述した自動車メーカーのサラリーマンの出過ぎず埋もれずの感性と調和した結果、日本の自動車レースはそれが全てであり、それしか無くなってしまったという訳だ。
彼らはドライバーなんだから、自らの業績を誇りそれを後進に伝えたいと願うのは当然だと思うし、中島悟が、鈴木亜久里が、金石勝智が、関谷正徳が、「子供たちに夢を」と叫ぶのは理解できるが、それでも、何十年も日本のレース界を見てきているのだから、リタイアしてレース界に残るのなら、単なるドライバーOBの食いっぷちの獲得に汲々とするだけではなく、レース界全体を俯瞰して発展的な未来に誘導するくらいの見識を持ってもらいたいものだ。
これじゃ、アントニオ猪木と馳浩と橋本聖子と谷亮子とが中国が勝手に決めた航空識別圏への対応を協議しているようなもので、この体たらくは、当然と言えば当然だ。
何が、半分は地面に埋まっていたゾンビを起き上がらせたかと言うと、詰まるところは日本人としての誇りだ!
「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」で述べたように、このFIAの企みを座視していると、結果的に、日本のレースに使うレーシングカーは全て外国製になってしまうし、そうなれば、当然、自動車レース産業と技術は壊滅するし、なによりも、東南アジアに先んじること50余年のアドバンテージを誇る日本の自動車レースの歴史は元の木阿弥、ふりだしに戻って、東南アジア諸国と全くイコール・コンデションのもと、ヨーロッパから与えられるレギュレーションとレーシングカーによるレースを受け入れざるを得なくなる。
まあ、ドライバーOBの頭で考えることと言えば、「東南アジアで交流戦ができるね」くらいの話だが、その横で、本来は自分たちの表舞台を構築しているはずの産業構造が崩壊しつつあることや、その原因が自分たちの我田引水で狭量な思考回路であることには全く気が付かない。ドライバーだから。
毎日、募るイライラを押さえつつ日本のレース界を観察していて、ふと気が付いた。日本のレース界が何にもしないんじゃなくて出来ないんだ!と。
FIA-F4がレギュレーションで定める€33,000というキャッププライスも信じがたい数字だが、それが実現可能かどうかを検討できる経験もなければ技術水準にも無く、まして、量産が前提となれば生産体制(外注網などのインフラ)も想定外だろう。
まあ、何だかんだと言われつつも、童夢が動くしかない訳だが、しかし、そうして考えると、日本のレース界にとって、童夢という存在は貴重だと思えてくるし、私はもう、こんな、レース界に邪魔者扱いされるようなレーシングカー・コンストラクターは存在意義もないと思っていたから潰してしまおうと思っていたが、もし今、日本に童夢が無かったら、ヨーロッパから見た日本は全く東南アジアの近隣諸国と同条件となってしまう訳で、外車好きの日本のレース界の連中はさておき、私としてはちょっと待てよと言わざるを得ない。
私は、ずいぶん以前から日本の入門フォーミュラ・レースの東南アジアでの展開の必要性を提案し続けてきたが、どの自動車メーカーも興味を示すことはなかったから手付かずだったし、今更、違う方法でFIA-F4の進出を阻止するには甚だしく手遅れだから、私としては、せめてもF4マシンの生産者として参入し、いずれ日本にも上陸するFIA-F4を国産にしたいのと、出来れば、東南アジアをはじめとする世界のマーケットに対してシェアを拡げていきたいと思うようになっていた。
問題はやはりコストで、ヨーロッパのコンストラクターがこの価格でも検討できるのは、同種の既製品を流用できるから開発費が低く抑えられることが前提であり、また、インフラが整っているから量産の立ち上げに設備投資も不要だ。
また、東洋のコンストラクターが売り込むには何かセールスポイントが必要だが、コンペティターが流用品で開発コストを抑えにくるなら、童夢としては、あらゆる面で高品質なマシンを作って対抗したいので、かなり開発費が必要となるし、この開発費を製品に割掛けしていたのではコストが€33,000を超えてしまう。
つまり、開発費を無かったことにしないと成立しない訳で、もうはなからビジネスの体を成していないが、私は、このかなりの金額に上る開発費を自己負担してもFIA-F4には参入する決意を固めていたところ、私の運が良いだけの人生が幸いしたのか、思わぬ展開になりつつあり、この童夢のFIA-F4への参入が、日本の自動車レースにおける技術と産業の曙となるエポック・メーキングな出来事になるかもしれない・・・・・・という訳で、続きは、発表できる状況になり次第に順次、お知らせします。
しかし、ダラーラも参入を検討している中、もし我々が東南アジアに売り込みに行って、「あなたの国ではスーパー・フォーミュラにダラーラを採用しているが、童夢のFIA-F4がダラーラよりも優秀だというのなら、どうしてJRPは童夢のシャーシを使わなかったのか?」と聞かれるだろうが、我々としては、どう答えればよいのだろうか?悩むね・・・。
Sep.09 2013 女性ユーザー向け『私の取り扱い説明書』
このESSAYを読んだほとんどの人は「そんなにモテたのか?」と素朴な疑問を抱くと思いますが、実際、私は私ほどモテた男を見たことがありません。
それが虚勢か思い込みか幻想か勘違いか世間知らずかは別の問題として、私は、同志社幼稚園を強制退園させられて以来、仕事に関しても人生に関しても趣味に関しても全てがまともじゃなかったけれど、その結果、そこそこ楽しく人生をエンジョイしてきたと満足していますし、特に後悔も反省もしていませんが、事、結婚に関してだけは失敗を繰り返してきました。
原因は、こんな私が恋愛や結婚に関してだけまともであるはずが無いのに、都合よく曲解する女性が多いのと、また、結婚生活なんて、お互いに騙し合いながらごまかし合いながら維持するものなのに、私は開き直ってしまうから、ひとえに私の嘘をつく能力とごまかす努力の不足に尽きるのだと思っています。
しかし、それはこれからも変わることは無いので、事の良し悪しは別として、今後?に向けて、改めて真実の私をぶちまけておきたいと思います。
つまり、私の「取り扱い説明書」であり、「初めにお読みください」的マニュアルだから、「これ以外の使い方には対応していませんので保証の対象外となります」という警告です。
>>「女性ユーザー向け『私の取り扱い説明書』」
Aug.20 2013 小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>
一昨日は、約2年ぶりにGTレース(鈴鹿1000Km)に行ったが、意外とサーキットは賑わっていて、これじゃ関係者の危機意識が希薄な事もうなずけると思えるほどだった。
しかし、安定的に金を出し続けてくれている自動車メーカーからの資金が流れていく先だけは湿潤していて芝生も青いが、それ以外は干からびた砂漠のようで、そこに生存環境は無い。
それはまるで愛人とパトロンのような関係にしか過ぎず、パトロンが金を出し続ける限り愛人が生活に困ることは無いし社会的貢献や自立する努力も必要のない安穏たる世界だ。
その鈴鹿で見た風景は、派手なチームウェアに身を包みヘッドホンを装備しサングラスの奥の鋭い目つきがカッコ良く、きびきびとした動きでドライバーに指示を与える自動車メーカーのサラリーマン達の溌剌とした姿であり、一方的に金を出している絶対的な立場に乗じて自動車レースという遊びを満喫している姿だ。
そんな楽園の真っただ中に居ながらも、私にとってはとても場違いで居心地の悪い場所だったし、私が今、最も重大視している日本の自動車レースにとっての大問題について誰からも一言も無く、まるで別世界を浮遊しているような違和感を覚えながら帰途に就いた。
私は今までも、日本のレース産業と技術の発展向上を目的に、FNやFCJの国産化や、FIA-GT3の制限や、DTMの導入反対などを主張してきたし、東南アジアへの影響力の強化を主題に入門用フォーミュラ・レース普及への努力を訴えてきたが、自動車メーカーのサラリーマンの誰一人として興味を示すことは無かったし、例え、聞く耳を持っている人が居ても何も動くことは無かったので、結果、FNとFCJの購入代金は海外に流出し、GT300はFIA-GT3に寡占され、GT500はDTMに手籠めにされかけている。
そんな時、ヨーロッパの方向からFIA-F4の話題が伝わってきた。量産効果により、車体33000€、エンジン7000€(年間)という低価格を実現して、フォーミュラ・
フォード等まで含めて入門用フォーミュラの世界を一新しようという大胆な企画だが、日本の反応は、そんな安いフォーミュラが出来るなら、日本のF4もSFJもFIA-F4にしてしまえという、相変わらずのドライバー育成しか念頭にない偏狭な意見ばかりだし、日本独自のレースだったGT500を簡単にDTMに身売りしてしまうような連中だから、結果的にそうなってしまうのは火を見るより明らかだが、そんなことをしたらどうなってしまうのか解っているのだろうか?
1962年に鈴鹿サーキットが完成し、1963年には第一回日本グランプリを開催し、1964年にはHONDAがF1にまで参戦している、東南アジアの自動車レース環境では異次元の50年以上ものアドバンテージを持つ日本の自動車レースの歴史は完全にご破算となり、共にヨーロッパよりFIA-F4を導入してフォーミュラ・レースを展開する事において他の東南アジア諸国と全く横並びとなってしまう。50年の先祖がえりだ。
つまり、構造的には下記のようになる訳だ。
これが、今まで日本の自動車メーカーが金をばら撒くことによって主導してきた日本の自動車レースの末路だ。
今更、どうなる物でもないし、我々、日本のレース産業界の仲間も、乾いた砂漠で干からびかけているから立ち上がる余力も無く黙って見過ごすしかないが、それにしても、自動車レースに関わるほとんどの人の通過点である入門フォーミュラが世界統一規格、つまり輸入品になってしまうという事は、強いては、日本の自動車レースのレース産業と技術からの決別を示唆しており、ここから生まれてくる人材はドライバーだけになってしまうだろう。
まあ、現状とさして変わりは無いと言えばそのとうりだが、ヨーロッパの主導のもと東南アジア諸国とドライバーの速さだけを競い合う競技にいかほどの価値があるのか?それがこれからの日本の自動車レースに何をもたらすのか?今までの50年間は何だったのか?虚無の世界が広がるだけだ。
私がこういう文句を言っている時、一般のレース界の意見との大きな違いは「食うか食われるか」という論理だ。FCJのシャーシ決定は非常に政治的に進められたが、その際にメーカー系の人達(まあ、誰もがどこかの系列だが)から盛んに出てきた言葉が「グローバル・スタンダードに合わせる」という理由だ。
つまり、世界で多く使われているシャーシを用いることによって外国のドライバーと同条件で育成すべきというもっともらしい意見ではあるが、入門用のワンメイク・フォーミュラなんて熾烈な価格競争の結果生まれた、いわば、バッタ商品のようなものであり、乗用車にも軽四輪からフェラーリまであるように、F1を頂点とすれば最下層のレーシングカーだ。
F1を目指すドライバーを育成するというのなら、なるべくF1に近いレーシングカーを用いた方がベターなのは言を俟たないが、この言葉は、国産のレーシングカーがそのバッタ商品以下であるという前提で出てくるようだから、慎み深い日本人としての謙譲の美徳かまだ残るコンプレックスか単なる無知かはしらないが、生存競争で言えばはなから食われているに過ぎない。
私は、こういう場合、まず、日本製のレーシングカーで世界の市場を席巻しようと思うし、価格やクオリティを含めて負けるわけがないと思っているから、まさに食ってやろうと意気込んでいる横で、メーカー系の人達が進んで食われたがっているんだから、情けないしイラつくし、私はいつもそこに、LOUISVITTONの小銭入れに群がる日本女性を見る。
さて、相変わらずの日本のレース界は、このような局面にも全く無関心どころか、安いフォーミュラが出来たら入門者が増えると期待する声さえ多いが、それはさておき、FIAはFIA-F4のコンストラクターに関しては広く門戸を開いており、日本のコンストラクターも入札に参加可能だ。
来期用マシンの参加申し込みの期限は2013年8月31日だが、現在、これを書き殴っているのが8月20日なので、あと11日しかない。
私としては、何とか日本の力を結集して名乗りを上げたいとイライラの募る日々を過ごしているが、たぶん、日本国内でこの件に関してこれほどイラついているのは私一人だけだろう。
と言うようなことを今まで言い尽くしてきたが、この自動車メーカーのサラリーマンとドライバーOB主体の日本のレース界はドライバーの育成だけが全てで聞く耳も持たないのは百も承知だから、それはそれとしても、この日本の自動車レースの危急存亡の秋に際して、童夢の社長からも降りて自動車レースとも決別したつもりだしJMIAの会長も辞した、いわば門外漢となった私が思い悩む立場でも無いとは思うが、そんな私にも、東南アジア諸国と横一列なんて耐えられないほどのプライドは残っているし、日本の自動車メーカーのODAによって成長してきたヨーロッパのレース産業にこれからも貢ぎ続けるような環境はご免こうむりたいという気持ちは残っている。
月末の、FIA-F4参入の締め切りを目前にして、やはり私は悩みに悩んでいる。
まるで、熱烈な片思いの彼女に洟もひっかけられないのにうじうじと想い悩んでいるモテない男の気分だが、ここで放っておけば、必ず、日本の全てのフォーミュラ・レースはFIA-F4に寡占されることになるし、最早、母屋を取られつつあるSGTと合わせて、日本のレースは全て外国製レーシングカーになる日は近い。いやはや、本当の恋に悩みたいものだ!
<おまけ>
もう「どうすればいいの?」と聞く人も居ないが、どうなれば日本の自動車レースが発展振興するのかと問われれば、こうすればいいだけの話だ。
現状、海外に流出する一方のハード/技術関連の資金を国内に振り向けるだけで、その資金は日本のレース界の中で還流しレース界全体の資金量を増やしていくと同時に、日本のレース産業と技術力は飛躍的に向上していくだろう。
その結果、生み出されてくる製品や技術は外貨を稼ぐようになってますます発展するという訳だ。
また、日本からの資金で、ますます技術が向上し設備が充実していく海外のレース産業との格差も是正されていくことになる。百利あって一害なし、そのうえ至って簡単。
Apr.26 2013 COLUMN/ESSAYに「引越し完了!コンパクトながら必要十分で住み心地はそこそこです」を掲載しました。
いやーっ、やっと引越しが完了しましたが、凝りに凝ったつもりですが、それでも、マンションの内装と一軒家を建てるのとでは、プラモデルを造るのと実車を造るくらいの差はありますね。我が家を、写真入りで紹介します。
>>「引越し完了!コンパクトながら必要十分で住み心地はそこそこです」
Apr.18 2013 Separation→Divorce→Move
あっと言う間に桜の花は散ってしまいましたが、私の散りぎわは桜ほど潔いよいものにはならず、いろいろと心穏やかならぬ展開にガラス細工のような私の心がズタズタに傷ついているのを、私の周囲の人達は誰一人として気づいてくれないまま、独りストレスを抱えて夜の街をさまよう日々が続いていました。
しかし、不本意な妥協を余儀なくされながらではありますが、私はこの4月15日に4回目の独身に復帰し(つまり3ペケ)、住まいも変わりましたのでお知らせします。
この一年、子会社の売却(M&A)という、私にとっては結構な金額が動く交渉が大詰めに来ていましたが、今までは、少しでも余裕が出始めるといち早く使い果たしてしまう私の周りには、常に、金の匂いどころか香りすらもありませんでしたから、無い袖は振れない状況ながら、今まで、一切の金銭トラブルとは無縁でした。
しかし、このM&Aによって少しは香りが漂ってきたのでしょうか?今まで経験したことも無いような不快な出来事が見え隠れするようになっていましたし、それも、絶対にそんなことはあり得ないと信じ切っていたような人からの欲得ずくのリアクションは衝撃的でしたが、それもM&Aがらみとなれば無視も出来ない状況下、そんな理不尽な要求との戦いには、心底、疲れ果てました。
そんなことも絡まりつつの離婚手続きもやっと終了し、不本意な内容ながらも一段落を迎えたというところです。
昨年の初旬に私が自宅を出る形で別居を始めてからは、京都市内に40㎡という学生マンション並みの部屋を購入して仮住まいを続けていましたが、何しろ、それまでが、総床面積500㎡という家でしたから約1/12の落差はいかんともし難く、あらゆるスペースを有効活用できるように家具を誂え、家電やキッチン用品など、あらゆるモノを小さいもので揃えても、毎日、何をするのにも足りない物だらけだし、本を持ってきていないので何を調べるにもネット頼りになるものの、情報量が浅くて少なくて頼りないし、料理をするにも狭すぎてまな板を置くスペースすら無くて、何事につけてイライラが募るばかりの日々でした。
唯一、病的なほどの綺麗好きの私には狭くて掃除に手間がかからないのが救いでしたが。
もちろんその間にも、安定的な住まいを求めて土地やマンションなどを探しまくっていたのですが、帯に短し襷に長し、気にいった物件が見つからないままヤケクソで大きな山小屋を買いかけて友達連中に止められていた矢先、当初、売約済みという事で諦めていた大きなバルコニー付のマンションがキャンセル物件という事で再販されているのを見つけ、即、購入し、ついでに売れ残っていたもう一部屋も購入して倉庫/釣り道具部屋/客室にすることにしました。
当初は、土地が見つかるまでの仮住まいと思っていたのですが、いくら探してもきっちりとフィットする家具が見つからないので、ついつい作り付けで揃えていくうちに、TVボード、ワードローブ、カップボードからソファまで特注し、気が付けば、ちょっこらちょいと引っ越しもできないくらい手間暇と予算を費やしてしまいましたから、現在の気分としては当分ここに住むことになりそうです。
館内の立体ガレージに手持ちの車が入らないのでBMW M3を買おうと思ったのですが、これも寸法的にはギリギリだし、最近は体が回らずろくに後ろも見られないので、思いっきり小さな車を探して、結局、POLO GTIにしました。
場所は、八つ橋で有名な聖護院、京大病院の向かいです。以前からのお手伝いさんを呼びもどすことも出来ましたし、やっと安穏たる生活が戻ってきましたから、そろそろ、スポーツカーの開発に没頭する生活にスイッチを切り替えたいと思っているこの頃です。
そろそろ全ての作業が終了して新居にての新生活が始まりますので、追って、この引っ越しに費やした私のエネルギーの集大成を、写真付きの解説でご披露させていただきたいと思っています。
Mar.25 2013 COLUMN/ESSAYに「日本の自動車レースへの遺言状」を掲載しました。
昨秋、日本自動車レース工業会(JMIA)の会長を辞任した頃に、会員の皆様に、今までのJMIAの活動内容を理解していただくために書いたものですが、いわゆる「物言えば唇寒し」的雰囲気から封印していました。
けれど、私が息を潜めていたからと言って何が変わる訳ではないので解禁です。
昨年、私が童夢の社長や日本自動車レース工業会の会長を辞任したのは、罵詈雑言が過ぎての引責のように思っている人が多いようですが、実は、もっと自由な立場から言いたい放題言えるようにと要職を離れた訳で真逆です、これを読めば解ると思いますが。
「日本の自動車レースへの遺言状」PDF ―レース界批評―
Mar.25 2013 春だ!春だ!もうすぐ春だ!
2013年3月18日に、日経新聞紙上や童夢のホームページから、「童夢カーボン・マジック社の東レへの売却」と「ロードゴーイング・スポーツカー」のニュース・リリースが発信されました。
これらの一連の動きは、私がリタイア後の会社の安定的な運営と私の最後の夢を実現するための布石であり、言わば幕引きの準備のようなものですから未来につながるというほど大げさな事ではないものの、最後の一歩と言えど、前向きの話であることには変わりはないのですが、相手がある話だけに自由な動きは制限されますし、ある程度のお金が動く話なので、思いもかけないところから思いもかけない動きが見えてきたり、その上、たまたまですが、私の一身上の都合もこれに絡んできて、この一年余り、私の生涯で最もストレスの溜まる過酷な時間となっていました。
年初の本コラムで、正月は海外逃亡だ!と述べていますが、実はあの頃は、はじけそうな風船のように体中にストレスを溜めこんで暴発寸前だったので、とにかく、クールダウンの為に南国のビーチで潮騒を聞きながらフローズンダイキリを飲まなくてはならないという強迫観念に追われるようにプーケットを目指していました。
プーケットは、さすが南国だけに暑く、クールダウンとは程遠い灼熱のビーチで無理矢理カクテルを飲み続けていると、いつしか寝てしまって、気が付けば全身やけど状態になって、よりヒートアップしてしまいましたが、それでも、何気なくipodから聞いていた「しゃらんQ」の「いいわけ」の歌詞、「男なら負けてやれよ! 男ならカッコつけろ!」が耳について離れず、繰り返し口ずさんでいるうちに、「そうだ!負けてやればいいんだ!」と悟りを開き、ギリギリで暴発を回避した次第です。
訳が分からないと思いますが、まあ、辞書に「ストレス」なんて単語のなかった私にも、それなりに悩ましい時期が続いていた訳ですが、それらの諸問題も春の訪れとともに解決に向かい、3月18日の発表を出発点に、4月からは、いよいよ私の最後の作品となる「ISAKU」の開発がスタートします。
わくわく感もあるものの、いろいろな部分での能力の低下も実感していますし、しばらく描いていなかったから絵も下手になっていますが、とにかくスタートです!
Jan.01 2013 HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。しかし、あの子供の頃のわくわく感はどこへ行ってしまったんでしょうね。もう、凧揚げも羽根つきもカルタ遊びも見かけなくなったし、大掃除も餅つきもご無沙汰だけど、しかし、私にはひやひや感にあふれるお正月アドベンチャーが待っています。京都には、五花街といって5つの花街がありますから、どこに呑みに行っても舞妓や芸妓に遭遇しますが、正月(1月中)に馴染みに出会うとお年玉をあげなくてはなりません。だから年末には何十個ものお年玉袋を用意しておかなくてはなりませんが、普通に行動しているといくつお年玉袋があっても足りなくなるし、かと言って、こそこそ逃げ回っているとケチの烙印を押されるし、ときどき足跡を残しながらも遭遇率を下げるという、非常に高度な行動パターンが要求されます。
その上、敵もさるもので「御箸紙取り」なんて風習をでっち上げ、行きつけのお茶屋には馴染客の名前を書いた御箸紙が用意されており、正月の間に取りに行かないと不義理の証拠が残るという算段です。
私の今年の作戦は、5日まで海外で過ごし、ちょっと東京に滞在し、中頃には香港に行って、月末は東南アジアに逃げるつもりですが、それなら、ずっと京都に居てお年玉を配りまくっていた方が安くつきそうな気も・・・。では、良いお年を!