終戦後に旧ソ連軍に連行され、同国内の収容所などで死亡した抑留者名簿1万700人分を、厚生労働省が新たに公表した。
この中には、実態がいまだによく分かっていない北朝鮮、中国・大連などで死亡した2100人が初めて盛り込まれた。
シベリアを含む旧ソ連領とモンゴルに比べ、それ以外の抑留死者の調査は後回しにされてきた。
謎が多い朝鮮半島などの抑留生活に光を当てる契機としたい。
戦後70年、関係者の高齢化が進む中、残された時間は少ない。政府は調査をもっと急ぐべきだ。
厚労省の推計では、旧ソ連による日本人抑留者は57万5千人。強制労働などを経て、多くはその後日本に帰国したが、5万5千人が現地で死亡したとされる。
同省は1991年以降、ロシアなどからの資料提供で、2007年までに、旧ソ連領とモンゴルの抑留死者計4万2千人の名簿を発表、9割方個人を特定している。
これに続く大量の名簿公表で、多くはカタカナ表記の氏名だ。個人が特定でき、漢字表記や出身地判明者は2700人。発表全体の4分の1にすぎない。
特定できないのは、日本側関係者が亡くなるなどして照合できないためだ。時間の経過の弊害を深刻に受け止めなければならない。
シベリアなどに連行された抑留者のうち、けがや病気により2万7千人が現在の北朝鮮、2万人が中国・大連などの収容所、病院に移送されたことが分かっている。
しかし、移送者のその後は判然としないままだ。民間人が多い北朝鮮では、抑留者が1万2千人以上亡くなったとも言われるが、確認できていない。
ふに落ちないのは公表の経緯だ。政府は約10年前、北朝鮮への移送者名簿などをロシアから得ていたが、明らかにしていなかった。
それが4月上旬に一部報道されると一転、今回の名簿公表となった。そこに何があったのか。
抑留者は軍人、軍属、民間人を問わず、補償の対象となる。このため、補償対象外の本土空襲の民間被災者への波及を懸念したのではないか。そう疑う声もある。
不正確な聞き取り表記の日本語化の難しさがあったとはいえ、順次公表できなかったか。
これ以上の対応の遅れは許されない。一日も早く遺骨収集や墓参のメドを立てる必要がある。
そのためには、ロシア側はもちろん、北朝鮮や中国側にも強く協力を求めていくべきだ。