僕は昔から人にものを教えることが好きで、スイミングスクールのイントラ、家庭教師のバイトをやっていた。(けして良い先生ではなかったとおもうので反省している)
最近では、相場の本とか数学の本を書いてもいて、これはTwitterで数学教えたやつのをまとめるつもりだが集中して取り組まないといけないのでなかなかできず。
ということで、人にものを教えるノウハウを自分なりに考えてきたので、ブレスト。
1.学習とは、すでに手持ちの知識の拡張でしか成立しない。
学習とは、なんらかの土台があり、その土台にもう1個丁寧になんか乗せること、ある枠があり、その枠をもう一回り拡張すること、この丁寧なシーケンスが1個でも途切れると、「わからなくなる」「できなくなる」。
2.オーバービュー、マイルストーン、オープン・クローズを明確にする。
#オーバービュー
富士山登るときには、まず、富士山の遠景をざっとみせて、あの頂上に登るんですよ?頂上からの景色はきっと素晴らしいでしょうね?とモティベーションも共有する。
このオーバービューは最終的かつ最大のマイルストーンとなる。
#マイルストーン
頂上=10合目に登るのが最終的なマイルストーンであるとして、途中の5合目、6合目、とか区切りを明確にし、それぞれ、もうちょっと、終わったとか段階段階での達成感を与える。学習要目のコンポーネント化と言い換えても良い。
#オープン・クローズ
そのためには、各所各所で、明示的にオープンし、クローズする。名高いスティーブ・ジョブズのプレゼンでは、ここが極めて明確で、今日は何を話す、今から何を話す、今これを話した、ともの凄い強調する。マイルストーン区切りでコンポーネント化された学習要目の予習、復習と言い換えても良い。
3.アナロジー、例示に全力を注ぎ、手抜きをしない。
ここ、教育者の頭の良さが出るところ。
そもそも、なぜ、アナロジーが教育で多様され必要になるのか?というと、それは1で述べたように、学習とは既存の知識の拡張でしかない、から。
「身近なもので例えると、、」ってやるのは、「身近なもの」という学習者全員がすでに習得している知識、感覚を、これから拡張するための土台として設定している、ということ。
だから、ここの選択は極めて重要であり、その拡張の仕方=アナロジーであるので、さらっと流したり適当に扱ってはいけない。
学習者は、そこが土台に設定されたんだから、徹底的にそのアナロジーに依存してすべての解説を理解しようとする。だから、この部分適当にやって不整合、矛盾、冗長性を介入させてはいけない。
アナロジーとはアートであり、秀逸な教育者は、芸術的なアナロジーひとつをもって、これから教えようとする概念を包括的に網羅的に「かんたんに」教えることができる。
「かんたんに」教えることができるというのは、既存の知識の拡張の仕方に抜かりがなく、きちんと全体が設計されているということ。
4.例示はなるだけ根源的で、単純なほうがいい。
複雑な例示などは意味がない。そこに余剰のロジックが介入して純粋度が失われるから。
プログラムの世界では「HelloWorld」という文字を表示する、というもっともシンプルなコードの例示があるが、これひとつでかなりのことがわかる。例示はそれ以上無理である、というまでシンプルな形にそぎ落とし、複雑にしていくのはステップを踏むこと。2つ以上の拡張を一気にやろうとしないこと。
これはマイルストーンの細分化であるとも言える。