寄稿 前原政之(ジャーナリスト) まえはら・まさゆき 一九六四年、栃木県生まれ。著書に『池田大作 行動と軌跡』(中央公論新社)、『平和への道 池田大作物語』(金の星社)、『ガンディー伝 偉大なる魂・非暴力の戦士』(第三文明社)などがある。 文明の壁を超えた賞讃 昨年十二月八日、台湾・育達商業科技大学から、創価学会の池田大作名誉会長に「名誉教授」の称号が授与された。 これによって、世界各国の大学・学術機関から名誉会長に贈られた名誉学術称号(名誉博士・名誉教授等)は、じつに二百七十に達した。しかも、その後一ヵ月を経ずしてさらに二つの名誉学術称号が贈られ、その累計は二百七十二となった(二〇一〇年一月十日現在)。名誉学術称号の授与をすでに決定した大学や学術機関はほかにも多く、顕彰はさらに増えつづけると考えられる。 贈られた称号の数だけがすごいのではない。授与した大学がアジア・ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカ・オセアニアの五大州すべてにわたり、文明と文化、言語と宗教の壁を超えた世界中からの賞讃であることも、驚嘆すべき事実である。 しかも、モスクワ大学、北京大学、ボローニャ大学(イタリア)、グラスゴー大学(イギリス)など、各国を代表する名門がずらりと名を連ねている。民間人が受けた名誉学術称号としては、まぎれもなく世界一、そして空前絶後の「知性の宝冠」といえよう。 名誉学術称号の「背景要因」 ○六年十月七日に記念すべき二百番目の名誉学術称号を受けた際、授与式の席上、池田名誉会長は「恩師・戸田城聖先生(創価学会第二代会長=筆者注)への報恩感謝は当然のこととして、この栄誉を三人の方に報告したい」と述べ、中国の周恩来総理、旧ソ連のコスイギン首相、そして英国の歴史家アーノルド・トインビー博士の名を挙げた。 なぜ、この三人だったのか? むろん、そこには一言で言い尽くせない甚深の思いが込められていたに違いない。が、あえてその思いの一端を推量するなら、この三人との結びつきこそ、数多い名誉学術称号の背景要因を代表しているということであろう。 財団法人東洋哲学研究所は、名誉会長がこれまでに受けた学術称号の「授章の辞」「推挙の辞」などを分析し、各大学・学術機関の評価を次の七項目にまとめている。 (1)国際友好への貢献、(2)平和、環境、人権、女性問題など人類的課題への貢献、(3)仏教、法華経、東洋思想の深淵に根ざした人間主義の哲学、(4)教育への貢献、(5)文化・芸術への貢献、(6)千六百回を超える識者との対話、(7)名誉会長の人間像 一番目に挙げられた、「国際友好への貢献」。それは多岐にわたるが、その最も顕著な事例として、池田名誉会長(当時・会長)が東西冷戦真っ只中の一九七四(昭和四十九)年に中国とソ連を相次いで訪れ、両国の懸け橋となったことが挙げられるだろう。 中ソ関係は当時、互いに国境に軍を配備し合うほど悪化していた。その中にあって、名誉会長はあえて両国を訪問。コスイギン首相からは会見の際、「ソ連は中国を攻撃することも、孤立させる意図もない」との重要発言を引き出した。そして、その後の中国訪問で、その発言を中国首脳を通して周恩来総理に伝え、関係改善の「橋渡し」をしたのである。それは、「世界を分断し民衆を苦しめる戦争を何としても食い止めなければならないとの決意」(○八年「『SGIの目』記念提言」)からの、誠意と勇気の行動であった。 このことに象徴される「国際友好への貢献」が、数多い名誉学術称号の背景要因の第一なのだ。ゆえに名誉会長は、二百称号目の節目にあたって、周恩来とコスイギンの二人の偉人の名を挙げたのであろう。 では、トインビー博士についてはどうか? そこには、さらに幾重もの思いが込められていたと推察できる。 トインビー博士と名誉会長の対談は、各大学が評価した名誉会長の業績の一つ「千六百回を超える識者との対話」の、代表例であり本格的出発点である。とくに、現在までに世界二十八言語で出版されているトインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』は、各国の知識層に広く読まれ、世界的名著と評価されている。そのことが、名誉学術称号授与にも強い影響を与えているのである。じっさい、名誉学術称号の授章理由として、『二十一世紀への対話』を挙げる大学も多い。 つまり、同書に感銘を受けた人が、直接・間接に各大学の名誉学術称号にかかわったとき、「トインビー博士とあの素晴らしい対談集を編んだ人物なら、本学の名誉学術称号にふさわしい」と判断するケースが少なくないと考えられる。 二重の意味で、トインビー博士との歴史的な対話によって、池田名誉会長に多くの名誉学位がもたらされたともいえるのだ。 『二十一世紀への対話』にまとめられた名誉会長とトインビー博士との対談は、ロンドンの博士の自宅で、一九七二年から二年越し、合計約四十時間に及んだものである。その長い対談を終えるにあたって、トインビー博士は名誉会長にこう話ったという。 「トインビー大学の最優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」 当時四十代の名誉会長は、親子ほども年の離れた碩学の言葉を、深く胸に刻んだことだろう。それが、二百七十余の名誉学術称号の原点であったともいえる。受章二百の節目にあたって、名誉会長がその栄誉をトインビー博士に「報告したい」と考えたのは、その言葉をふまえてのことでもある。“あなたがおっしゃったとおりになりました”と、博士の墓前に謹んで報告したい……名誉会長はそんな思いで感無量だったのだろう。 その他、同研究所がまとめた名誉学術称号に至った評価七項目について、その一つひとつに対応する事実を挙げることが可能だ。 たとえば、「文化・芸術への貢献」については、池田名誉会長が創立した民主音楽協会や東京富士美術館などを通じて、世界各国との広範な文化交流を推進してきたことがまず挙げられる。同様に、「教育への貢献」も、「平和、環境、人権、女性問題など人類的課題への貢献」も、SGI(創価学会インタナショナル)のネットワークを通じて世界的スケールで成し遂げられてきた。各国の大学・学術機関からの名誉学術称号も、それらの業績を総合的に判断して授与されているものなのだ。 しかし世の中には、池田名誉会長が専門的な学術研究者ではないことをとらえて、「学者でもない池田氏が、なぜあれほど多くの名誉学術称号を得られるのか?」と、思う人もいるだろう。 いうまでもないことだが、名誉学術称号の授与決定までには幾重ものプロセスを経る必要がある。対象者の経歴・知的業績・見識・人格などが、厳正な検討の対象となるのである。むろん、審査の過程で授与が却下されることも少なくない。 池田名誉会長は、創価大学、アメリカ創価大学等の創立者であり、米ハーバード大学をはじめとする各国最高峰の大学・学術機関で三十二回の講演経験がある。また、世界的な識者・指導者と編んだ対談集は五十点を超え、その中には『二十一世紀への対話』のように世界的名著としての評価が確立したものも少なくない。それだけでも、十分に名誉学術称号に値する輝かしい業績であるといえよう。 亡き師への「報恩の証」として 名誉会長は、自らに授与された名誉学術称号について、それが自分一人の力によるものだとも、自らの名誉のためであるとも、一度も言っていない。名誉学術称号の授与式等に際してしばしば述べるのは、恩師・戸田城聖第二代会長への感謝の言葉である。 たとえば、過去に受けた名誉学術称号について、名誉会長は「全部、偉大な戸田先生への報恩の証として、師のもとに捧げることができた」と明言している(「随筆 人間世紀の光」聖教新聞○七年七月二日付)。 名誉会長のそうした思いをふまえてとらえるなら、二百七十余を数える名誉学術称号も、新たな輝きを帯びて見えるであろう。それは、たんに「知性の宝冠」であるにとどまらない。生涯無冠のまま、そして日本を一歩も出ないまま、いわば“庶民の王者”として世を去った師・戸田城聖の偉大さを、弟子が世界に広く宣揚するための「師弟の宝冠」でもあるのだ。 さらに名誉会長は常々、このようにも語っている。 「これまで私は、政治家でもない、学者でもない、一人の“庶民の代表”として行動してきた。その私に対する栄誉はすべて、世界各地でよき市民として、真剣に地域友好に、社会貢献に励んでおられる同志の皆様方に対する、信頼の証以外の何ものでもない」。そして、「これらはすべて、皆様方と子孫末代にまで流れ通う栄誉となり、福徳となる」とも。 すなわち、名誉学術称号をはじめ数多くの顕彰は、無名の庶民の偉大さを讃える「民衆の宝冠」なのである。 そしてその宝冠は、近年になるほど授与の頻度が増している。一九七〇年代の十年間に名誉会長が受けた名誉学術称号は一つ、一九八〇年代に受けた称号は五つであった。二百七十余の名誉学位の大半は、二〇〇〇年代に入ってから受けたものなのだ。このことが示すのは、一つには、一九八〇年代までは、権威を振りかざし、信徒を隷属させようとしてきた宗門が重い足枷となっていたということであり、もう一つには、世界へのSGIの発展や文明間対話の進展が、名誉会長への理解へと結びつき、名誉学術称号として結実しているということである。 亡き師への「報恩の証」として池田名誉会長が受けた、二百七十余の「知性の宝冠」。それは、峻厳なる「師弟不二」の精神を世界中に伝えている。 *(「第三文明」2010年3月号から無断転載) 「24歳で芥川賞をとる」と宣言していた頃の前原氏。 「作文コンクール」などで賞品荒稼ぎを始める頃の前原氏。 トインビー氏と池田SGI会長。 周恩来氏と池田SGI会長。 コスイギン氏と池田SGI会長。 寄稿2 今こそ必要な「人間革命」の戦い クラーク・ストランド アメリカ仏教誌『トライシクル』元編集長。アメリカほか各国で、西洋における仏教運動の専門家として知られる。 西洋における仏教運動について研究を続けているクラーク・ストランド氏は、創価学会インタナショナル(SGI)の運動にも強い関心を寄せている。現代社会の問題を考えるうえで、SGIの理念、運動はどのような可能性をもっているのか。ストランド氏が以前本誌に寄せた寄稿を、再編集した。 仏教の視点で暴いた人類の「真の敵」 核兵器の出現によって、新たな思考様式が必要になった。人間は、全人類を殺戮するだけの力を手に入れてしまったからだ。 現在起こっている地球規模の気候変動も、国家や利益団体の力だけでは解決できるものではない。地球規模の問題には、地球規模の解決策が必要だ。地球規模の解決策には、地球規模の意識変革が、そして全人類が一丸となって行動する意思が必要だ。 しかし、意識の大変革といっても、まずは第一歩からはじまる。仏教におけるその第一歩は、一九五七年九月八日だったと私は考えている。 この日に発表された戸田城聖・創価学会第二代会長による「原水爆禁止宣言」は、表現こそ簡潔ではあるが、今日にいたってもなお五十年前と同じ衝撃をもって私たちの胸に迫ってくる。 「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界におこっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」 その場にいた多くの青年たちのなかですぐに理解できたものは皆無だったのではなかろうか。その理由の一つには、仏教には死刑という考え方がないこと。もう一つは、戸田白身が、死刑は「絶対によくない」と明確に反対の立場をとっていたことがあげられる。 「原水爆禁止宣言」は、白身の言葉に相違してまで、通常の思考の枠を超えた真理を指し示した画期的な宣言であったといえる。戸田がそこに示したのは、人間社会における、これまでにない新たな生き方だった。 それはつまり、「生命の尊厳」を自覚した生き方である。「生命の尊厳」を自覚するには、まず自分白身を、国家や宗教や部族に帰属する一員としてではなく、より根源的な「人間」として認識しなければならない。 そもそも戸田の宗教観は、ちっぽけな部族主義など超越したものだった。戸田は、日蓮正宗の権威主義や国家権力との闘争など晩年における戦いでも、人間の心の奥底に潜む「魔の爪」こそ真の敵であると見抜いていた。それこそが、戸田の真の敵であり、人類の真の敵であった。大量破壊兵器を使用する者は、ことごとく死刑にすべきであるという叫びは、人類が一致団結して、自らを滅亡に追いやってしまう内面の働きに立ち向かえとの叫びである。 一見、戸田の言葉は、核兵器の使用を可能にしてしまった科学者や政治家、あるいは実際に使用する兵士らに向けられたものだと思えるかもしれない。だが、戸田が「魔ものであり、サタンであり、怪物」と呼んだ本当の敵は、そんなものよりもはるかに巨大で手強い相手だとわかるだろう。 王宮や議会を捜索すれば、権力のとりことなっている連中も見つかるだろう。しかし本当の「魔もの」は、人間の心の最深奥に棲みついているのだ。人間は長い間、自分以外の他者に向けて投影した「敵」と戦ってきたが、じつは「魔もの」とはそんなものではないのだと、人類の歴史で初めて喝破したのが、この「原水爆禁止宣言」なのだ。 地球的問題群を解決する「人間革命」の戦い いま振り返ると、戸田が、後継の池田大作・創価学会インタナショナル(SGI)会長に託した新たなパラダイムは、核の拡散という単一の問題をはるかに超えた、テロリズムや経済拡張主義から地球規模の気候変動まで、ありとあらゆる地球的問題群に対する解決策を示していたことがわかる。こういった問題群は、地球上のあらゆる人が、池田が訴えている「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」との「人間革命」によって、自己の無限の可能性に目覚めていかなければ、どれ一つとして解決し得ないものばかりだからだ。 池田は世界中の人々に、人種も宗教も国籍も超越した平和・文化・教育のメッセージを届けた。地球温暖化、核の拡散、人口爆発、貧困、経済拡大主義など、世界が次の千年で直面する諸問題に立ち向かっていけるよう、人類全体を結び合わせる根源的な価値を宣揚したのだ。 これまでの部族主義的な形態の宗教では、人間にこのような問題に挑戦していく力を与えることはできない。民族や国家、宗教の枠を超えて、人類全体で取り組むべき問題だという意識を生み出せるのは「人間革命」の戦いしかない。地球的問題群の時代に生きる人々は、このような方向性をもった創価学会を「美しい宗教」として受け入れるようになった。そして生命哲学を根底とした、人類の幸福と平和を打ち立てようとする「広宣流布」という大河の流れは、万人のための普遍的な希望へと生まれ変わった。 日本という狭い国の枠内にあった教義を、国際的な人道主義へと転換していく作業が、容易であったはずはない。しかし池田はそれをほぼ完成させつつあり、作業は現在も続いている。 座談会は時代の最先端 現代人は「宗教」と「生活」を全く別個のものとしてとらえているが、このことにも大きな問題があるといえる。 牧口初代会長は、この溝を埋めようと「座談会」の伝統を打ち立てた。ある時、「座談会ではなく、もっと大規模な講演会形式にしたほうがいいのでは」という意見を聞いた牧口会長は、言下にこう答えた。 「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ」(随筆 人間世紀の光104) これは、古い宗教と新しい宗教のあり方がどう違うのか、核心を突いた言葉だと思う。 基本的に、講演と説教は、ほぼ同義と言ってよい。説教は、話者の権威を前面に押し出し、宗教という枠組みの中で、全員を同じ方向に向かせるには適している。 つまり、聞いている側の人生よりも、説教する側の思想を優先するのに都合がよい。 しかし、これでは聞く人に勇気を与えることはできない。これとは対照的に、座談会では誰もが話を聞いてもらえる。平等の精神に基づいた民主的な集いであり、あくまで「一人」の幸福に焦点を当てて生命の尊厳を謳い、そうすることで幸福な社会の基盤を築いている。 池田SGI会長は、こう述べている。 「宗教は、一人ひとりの中で躍動するためにある。人類の幸福を論じたところで、『一人』の幸福を離れてしまえば、それは机上の空論に過ぎない」 創価学会と、現代に見られる他の礼拝形式との最大の違いは、ここにあると私は見ている。学会では、ごく普通の人が幸福を目指すうえで直面する問題が、あけすけに語られている。 この違いはあまりにも大きすぎるために、座談会に慣れ親しんでいる学会員は、それが一般社会でどれだけすごいことなのか、よくわかっていないのではないか、と感じることがある。座談会は、仏教における新しい礼拝形式というだけでなく、宗教全体に新たな礼拝のあり方を示している。 理由は簡単だ。そこには、宗教に応えるための人生ではなく、人生に応えられる宗教があるからだ。 宗教は人間のためにあり、宗教のための人間ではない。現代から見れば、ごく当たり前のように思えるが、これは実は、大変に革命的な発想なのである。池田SGI会長が喝破しているとおり、座談会とは「人間革命の場」だ。アメリカ的な表現を使えば、「タイヤが地面に接するところ」、すなわち「真価が問われる場」である。 それは宗教の実力が試され、実証が問われる場であり、メンバーが幸福を目指して悩みを克服した体験を通して、それを証明するところだ。体験の共有は信仰を深め、信仰は人生を深める。そうして深められた人生が、やがて社会を変革していくのである。 *(「第三文明」2010年3月号から無断転載) クラーク・ストランド氏 1957年9月8日、横浜の三ツ沢競技場で、原水爆禁止宣言を発表する戸田第2代会長 * 戸田城聖全集 第四巻 より転載 発行日:昭和59年2月11日 著者:戸田城聖 編者:戸田城聖全集出版委員会 発行者:秋谷栄之助 発行所:聖教新聞社 原水爆使用者は死刑に (第4回東日本体育大会) 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、きのうまでの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思うぞんぶんに発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。 さて、きょうの喜ばしさにひきかえて、今後とも難があるかも知らん。あるいは身にいかなる攻撃を受けようかと思うが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。 まえまえから申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これはぜひともやらんければならんことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。 願わくは、きょうの体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、きょうの訓示にかえるしだいであります。 (昭和32年9月8日 横浜・三ツ沢グランド) (蛇足) 上の前原氏の寄稿を読んで、私も以前、コスイギン首相のことばを引用した文章を書いたことを思い出しました。当時私は毎日新聞を購読していたのですが、愛知県下では最も読者が多いといわれている中日新聞社に宛てて書いたものです。 マスコミ界を代表していただき、中日新聞社への一苦言 中部創価学会・文芸部員 水田 功 本年(平成16年)10月24日(日)付けの聖教新聞に、インドのナラヤナン前大統領夫妻が来日し、前日の午前11時から八王子市の創価大学で「名誉博士号」授与式が行われたことや、午後3時から池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻と東京・信濃町の聖教新聞社で、7年ぶり4度目の会見が行われたことなどが紹介されました。 26日(火)付けの聖教新聞に、その詳細が掲載されましたが、残念ながら貴紙のどの紙面を探しても、一行も書かれてはいません。ですから、例えば、2003年3月・2001年11月・1997年11月・1993年4月・1990年7月のソ連・ゴルバチョフ元大統領、2001年5月のナイジェリア・オバサンジョ大統領、1996年6月のキューバ・カストロ国家評議会議長、1995年7月・1990年10月の南アフリカ・マンデラ大統領、1993年2月のチリ・エイルウィン大統領、1992年6月のエジプト・ムバラク大統領、1992年4月のチェコ・ハベル大統領、1991年6月のドイツ・ヴァイゼッカー大統領、1987年5月のソ連・ルイシコフ首相、1981年5月のソ連・チーホノフ首相、1975年5月のソ連・コスイギン首相、1974年12月の中国・周恩来総理等々と池田SGI会長との会見も、知ってか知らずか、少年の引ったくり事件を記事にすることがあっても、一行も紹介されることがなかったと思います。 もとより大新聞社の使命は暗いニュースを伝えるだけでなく、読者が読んで嬉しくなるような明るいニュースを紹介することも重要な使命かと思います。芸能ネタに困ったら動物園や宮内庁を取材せよ、というジョークを聞いたことがありますが、時代はもはや、これに創価学会を加える時代にきています。いつまでも、釈尊の真意に違背する葬式・法事仏教や、ヤクザまがいの政治家に媚を売って、保身に走る時代ではありません。トヨタ自動車の張さんが聖教新聞社の記念パーティーに出席する時代なのです。どうか勇気を奮い起こし、創価学会、なかんずく池田SGI会長に着目してください。 「1974年9月17日、父は帰宅してくると『今日は平凡でない、非常に興味深い日本人に会ってきた。大変複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできてうれしかった。おまえは図書館に勤めているのだから、きょう会った池田会長からいただいた本を大切に保存しておくように』と話していました」とは、コスイギン首相の令嬢で外国文学図書館館長だったリュドミーラ・グビシャーニさんが池田SGI会長と会談した折に語った言葉です。 中日新聞社・読者投稿係 御中 (封書で郵送・平成16年10月28日) 日本マスコミ界を代表していただき、中日新聞社への一苦言 A 中部創価学会・文芸部員 水田 功 前回の投稿(10月28日)で、たまたまコスイギン首相の言葉を引用しましたが、本日31日付けの聖教新聞が、『ロシア連邦政府が文化交流感謝状』との見出しで、モスクワ大学総長と駐日大使のあいさつを紹介しましたので、その切抜きを送ります。 この中で、両者のあいさつの下に次のような記事があります。 「三十年前、世界は厳しい東西冷戦の渦中にあった。池田SGI会長のソ連訪問は、ごうごうたる批判を浴びた。しかし、SGI会長の胸には断じて揺るがぬ信念があった。『社会体制が違っても、そこには家族を愛し、友情を培いゆく人間の営みがある。ソ連が怖いのではない。ソ連を知らないことが怖いのだ。』」と。 この、私の拙い投稿に目を通してくださっている中日新聞社の記者の方(もしかしてアルバイト学生?)、私は小説が専門なので当時の中日新聞を調べる根気がありませんが、『ごうごうたる批判』の一つを貴社がしていないかどうか確かめてみるのも一興かと思います。 私が創価学会員として活動を始めて30年以上経ちますが、創価学会に対する貴社の視点は、決して好ましい印象ではありません。ですから憶測ですが、仮に好意的な目線での記事が書かれたとしても、ボツになったのではないかと勘ぐってしまうのです。反創価学会的な風潮が、貴社の内部では渦巻いている。公平・平等であるべき大新聞社なのに客観性のカケラもなく、偏見に充ち、悪意すら感じます。こちら側に被害妄想の気があることも大いに反省すべき点ですが、それにしても無認識の評価の度が過ぎます(聖教新聞はしょせん創価学会の宣伝紙ですから、大げさに誇張することも多々あると想います。しかし決して虚偽の記事はないであろうと信じています。日時や場所が書いてありますので、真偽を確かめることも可能です)。 人はなぜ新聞を読むのでしょう。それはおそらく、先に引用した言葉を用いれば『知らないことが怖い』からです。自分を取り巻くあらゆる環境を知って、少しでも不安を取り除きたいからです。他人の不幸を知って自分の幸福をかみしめ、明日はわが身かもしれないと予め覚悟するために読むのかもしれませんし、逆に、自分より幸福な人がいることを知って、自分も負けじと前向きに生きる糧にしようとしているのかもしれません。 いずれにせよ、新聞の使命は多大です。どうか、憶測や推測だけで創価学会をとらえるのではなく、積極的に創価学会や聖教新聞社を取材していただきますよう、切にお願い申し上げます。 中日新聞社・読者投稿係 御中 (封書で郵送・平成16年10月31日) 平成17年6月2日撮影の山中幸盛(水田 功)。まもなく、味噌汁などを飲む際にあご髭が邪魔になりだしたので毎月末につるりと剃り落とすようになったが、『妻は宇宙人』の出版を期に髭を伸ばすことは全面的に止めている。(私は高校時代から今日に至るまで、気分転換のためにしばしば丸坊主になったものだが、髭を伸ばしたのはこの時期だけ。) |
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