鵜野讃良(うのささら)
皇女。天武天皇の皇后であり、夫の後を継いで持統天皇となった女性である。この
鵜野讃良と云う名前のうち
、 後半の「讃良(ささら)」が北河内の讃良郡に由来することは疑う余地がない。しかし、前半の「鵜野(うの)
」はどこから来ているのか。これは、以前から私の中にわだかまっていた疑問の一つであった。
だいたい、この名前は異例である。これは「鵜野」と「讃良
」との二つの名が複合されたものであるが、このような複合名を持つ皇子女は他には全く見当たらない。いったい、鵜野とは何なのか。
当時の皇子女の名前は、地名もしくは氏姓名のどちらかによるものである。このうち、氏姓によるものは、その乳母の出身氏族名である。従って、鵜野も地名か氏姓名かのどちらかであるが、「ウノ」あるいは「ウヌ」と云う名の郡名はない。郷名としては、周防国吉敷(よしき)郡宇努(うぬ)郷、播磨国佐用郡宇野(うの)郷などがあるが、これらを讃良郡と結びつけると、木に竹を接ぐ感じになってしまう。
そこで、氏姓の方を調べてみる。新撰姓氏録によると「宇奴(うぬ)」を姓とする氏族が二系統ある。