異世界もの、それはグローバリズムなのか(思いつき)
2015年 04月19日 (日) 21:53
異世界、チート、ファンタジー、と銘打って、
「俺は○○、高校三年生……」とか「俺は○○、事故で死んだ……」で始まる王道ラノベが全盛期、と思われている昨今ですが、多分それ、ここのサイトだけじゃなのかな?と思ったりしました。
十代の子たちと多少の交流あるけれど、ここで強調、礼賛されるほどラノベって市場は得ていないんじゃないのかな。
だいたい、出版する会社自体が海のものとも山のものとも知れない所だしね。
作者には作家という肩書、出版社には取り急ぎのメシ種、この互助関係の上で成り立っている狭い世界が、一部の人間にはまるで世界そのものに見えているのは、とても怖いことだなと思います。
ある意味、テロリストを養成しているようなもんだよ。
「○○××」(セリフ)
△△は言った。
「××◇◇」
◆◆は怒った。
こんなやり取りが羅列された落書きが、小説と称して垂れ流される。
言葉の美しさへの感銘とか、知識の増幅への一助とか、好奇心への取っ掛かりとか、一切ない話。
作品を作りたいのではなく、読者が欲しいだけ。
本末転倒な、低レベルで浅はかな作り手たち。
でもそれがある程度の数となれば、一つのうねりとなる。
そしてそのうねりを世界の本流だと誤魔化す。(または錯覚する)
プロアマを問わず、書く人間は、読む人間に対して、多かれ少なかれ、ある種の責任を負わなければいけないと、私は思います。
時間は人間にとって有限です。その中で読むという行為に消費させる意味を、書き手は読み物に与える必要があるんじゃないかな。
その責任を放棄して、読者が読みたいからという論理のすり替えをして、自分の欲求だけを書き垂れるのは、大人のやることなのでしょうか。
なんつーか、もやもやする今日この頃です。