福島県…2キロ以上続く自慢の桜並木が今年も満開の時を迎えました。
でも見る事ができるのは日中だけ。
線量の高い地域には自由に立ち入る事もできません。
原発事故の影響で今も全ての町民が避難を余儀なくされているのです。
この日桜並木のもとを訪ねてきた人たちがいました。
震災から今までの経験や思いを語り継ぐ活動をしている富岡町民のグループです。
町の人たちが大切にしてきた桜並木。
原発事故が起きるまでは満開の季節にこの桜のもとに集い笑いあってきました。
そうなの。
全部作ったの私。
踊りたくて。
そんなわけでここはとってもにぎやかでね。
これがなければ毎年毎年ね人数多くなってきました。
5年目の今自分たちの事を語る訳を富岡の人たちに聞いてみました。
今回取材させて頂いたのは…2013年から活動しています。
代表の青木淑子さんは元高校の教員。
県立富岡高校の校長を務めていました。
会のメンバーは「語り人」と呼ばれます。
80代から20代まで19人の富岡町民が参加しています。
青木さんたちは話を聞きたいという依頼があれば県内外時には海外にも出向き震災前の町の様子や避難の中で感じた事などを語ってきました。
メンバーたちは富岡町の現地視察に向かいました。
現状を見てその場所に詳しい人の話を聞き自分たちの語りに反映させるのがねらいです。
津波の被害を受けた富岡駅。
傷んでいて危険だという事で今年になり取り壊されました。
青木さんが震災前校長を務めていた県立富岡高校にやって来ました。
創立は昭和25年。
町でただ一つの高校として町民に親しまれました。
原発事故で避難を余儀なくされた生徒たち。
この校舎で再び学ぶ事はなく4年がたちました。
(青木)誰一人手をつける事ができない。
生徒たちも「逃げろ」って言われて逃げたらあとはもう余震と放射能で誰一人入れなくってそのまんま残っています。
なんかねほんとに青春の1ページがそのまま止まっちゃってる。
でもその子たちはもちろん人生止まってませんから今生きてるわけですよね。
そのギャップを私なんかはなかなか整理できない思いでこの校舎の中に入りました。
そしてバスはあの桜並木へと向かいました。
語り始めたのはこの近所に住んでいた西原さんです。
なので疲れた頃…あいにくの雨でも待ちかねたようにバスから降りるメンバーたち。
(取材者)いいですか?え?いいんですか?いいですよ。
(合原)涙が出てきちゃいますね。
泣いてる町民を見ると涙が出てきちゃいますねやっぱりね。
「我が町だね」って桜をずっと見つめながらおっしゃってるのが…。
桜がやっぱり象徴的ですよね。
一番分かりやすいというか。
桜の他にもいっぱいいっぱいいろんなところに思いはあるんだと思うんですけども。
あそこで高校の前でお話されてる時がすっごく幸せそうにお話されてるのも印象的でしたけど…。
私は郡山市民なので純粋に富岡に仕事で住んでいたのはたった4年間なんですね。
平成16年から20年まで。
なんですけどそのままずっとおつきあいが続いてて…。
たくさんの人の前で話すのは初めての人もきっといらっしゃるだろうし…。
使命感も含めて話せるようになってくってすごいなというふうに…。
(青木)そうですよね。
あの…研修とかやってるんですよ。
「研修」といっても体験して持ってらっしゃる事はそれぞれなので私がなんだかんだ言う必要はないんですけどただお約束をしたんですね。
一つは行政批判をしない。
あの気持ち…いろんな気持ちがあるのは分かるけど国が悪い町が悪い県が悪いとかいうふうな事を言葉荒く話をしてもそれを聞いてる方の心は動かないだろうと。
皆さんが自分の体験をそのままそのまましゃべれば聞いて下さる方がそれは一体何が原因でそうなったのか聞いて下さる方が怒ってくれるんじゃないって。
そのままをしゃべりましょうと。
目の前にいるその人がそれを体験したんだって事を直接聞く事で初めてリアルになるっていうか。
目の前で話してもらうってすごく全然違うんだろうなと思って…。
この活動を始めようと思ったのはどういう思いから?
(青木)あの…まず現実を知って頂きたいっていう。
新聞とかテレビとかで「ふるさとに帰りたいですか?」とかってよく聞くインタビューがあるんですけどそうするとみんな「帰りたい」と。
それはもちろん帰りたい思いがあるから帰りたい。
でも帰りたいそのあとがあるわけですよね。
帰りたいけど帰れるのか帰れないのかいやもう帰らないのか。
ものすごいいろんな思いがあるわけで。
語り人ってそれが聞けるんですよ。
それをやっぱり当たり前の事なんだけれどもその当たり前の事をやっぱり語り人さんの言葉の中から受け取ってもらいたいなっていう思いはありますね。
聞く事によって分かってもらえる部分もあるしそれからこの町民の方たちが話をする事によって癒やされて救われていく部分もあるし。
何て言うんでしょうね。
「ああ私たち聞いてもらえるんだ」という信頼。
人に対する信頼感みたいなのが生まれてきたような気がします。
やっぱり本当に半分は聞いてもらう人たちのもので半分は語る人たちの。
その両方の効果というか意味がとってもありますね。
語り人をやるようになってから元気になったとか。
あと語り人さんとして行く時にはちょっとおしゃれをして行かなきゃいけないじゃないですか。
そうすると着るものをちょっとこうブラウスを買ったとか。
そういうふうな事で生きがいができたというふうには言ってはくれていますね。
富岡町の人たちが暮らすいわき市の仮設住宅です。
この仮設で生活しながら語り人として活動する…最近新たに取り組み始めた事があります。
他の人の経験や思いを聞き取り記録しその人の代わりに語るという事です。
孫と一緒に県内の体育館に避難したあと栃木のホテルに移った人の話です。
(西原)孫から「おばあちゃん今日からお茶わんで御飯が食べられるね」って言われたのがずっとずっと残ってんだって。
だから子供は子供なりに何かを考えて…。
今までお茶わんで御飯食べてたのに毎日お握りとかお菓子とかってそういう感じだったので孫からこのひと言を言われたのがずっと今でも残ってるっていうんですね。
こちらは牛を飼っていた人の話。
(西原)ずっとうちにいたんですよ。
役場の人も自衛隊の人も「避難してくれ」って来たんだけども牛がいるからとてもとてもこの生き物残して行けないって言って…。
でずっといたんだけども最終的には「とにかくもう絶対今日はここから離れて下さい」って役場から来られて自衛隊の人も来たので自衛隊の車に乗せられて郡山に行ったんですって。
「その時牛はどうしました?」っていったらば放したんだって。
この活動を始めた理由の一つは避難先であるいわきの人に自分たちの事を知ってほしいと思ったからです。
県内の方に富岡の事を分かってもらうというのもまだまだ大事なんですよね。
広い福島県ですし。
そうですね。
いわきってすぐ隣なのにね双葉の。
それでもやっぱりいろんな思いが交差してるというか…。
実を言うと県内の方にはほとんど私たち語る機会がないんですね。
でも私たち思ってるのはこの県内の人にまずは分かって頂かなかったらいわゆる「福島はひとつ」というふうには言えないんじゃないかなって思いますね。
地震津波の災害だと補償も何も出ないのに原発の災害の方たちにはそういった補償や賠償が出ると。
賠償や補償が出るというものが新聞などで発表されますとその数字だけが1人歩きするんですね。
だからその数字の陰にどれほどの失ったものが多いかなんていう事は人はあまり考えないからその数字だけが1人歩きすると「いやあの人たちはこんなにたくさんの賠償金補償金もらってるんだ」というふうに思っちゃうとそこから何とも言えない人と人との間に隙間が出てくるんですよ。
で4年たった今埋まらないんですねその溝が。
時間がたてば埋まるかなと思っても埋まらないんですね。
でそれを埋めるのには知ってもらうしかないんです現実を。
だから富岡の人が今どんな思いで生きていて家族がバラバラになるってどういう事で自分が何も悪い事をしてないのに自分の大好きだった家に住めなくなる事がどういう事とかそういう事を県内の人たちに知ってもらう事で「ああこういう事だったの」ってそういうふうに思って下さる方が1人でも2人でも増えると私はオール福島になれると思うんです。
今はなれないと思うんですね。
いくらいろんな事で「復興復興」っていってもその心の溝が埋まらないかぎりは難しいかなと思っていて…。
その一つが今西原さん言った事そうだと思ってますね。
語り人としてこれからやっていく事はまず県内の人に知ってもらう事かなと思ってるんですけど。
そういうところからくる誤解とか悲しいですよねなんかその…。
そういうのって…。
誤解を解いていくってものすごく重要な仕事だと思いますね。
そのためにはやっぱり大変だけど一人一人っていう関係をどんだけたくさん解いていくか…解いていくかっていうかねつないでいくかという事なんじゃないかなって。
語り人ってそれをやっぱり先頭に立ってやって下さってる方々なんだなと思いますね。
この日避難している富岡の人たちに向けた語りの会が開かれました。
活動内容を知ってもらい語り人の仲間を増やそうと同じ町民に向けて語る機会を設けたのです。
語るのはメンバー最年少の…それでもいろんな人との出会いを重ねる中で気持ちが前向きになっていったのだと吉野さんは続けます。
東京を拠点に語り人の活動も続けていこうと決めているそうです。
「これから」って答えてたのがすごく印象的ですよね。
彼女の話の中には過去そういった震災後の話はもちろんしたあとで「でも私今幸せなんです」ってこう話すんですよね。
何で幸せかっていうと自分のやりたい事が見つかりながらこうやって富岡の事も話せてしかもみんなにこうやって聞いてもらって私はすごく幸せですというふうに話す。
そこがやっぱりすごくうれしい事で…。
そういう若い人がもっと増えるといいなと思いますよね。
うちの語り人は…笑い話なんですけど通称「桜隊」というふうにして桜のね成長に従って芽生えチームつぼみチーム開花チーム満開チーム葉桜チームって。
葉桜もあるんですか?今ね全部葉桜なんです。
でようやく明日香ともう一人長沼蘭っていう同級生が今残ってる子がようやく開花チームなんですね。
あとバーンといなくて葉桜になるんです。
葉桜もきれいですよ。
(笑い声)吉野さんは東京に今住んでて…。
東京支部みたいな事になるんですか。
そうなんです。
東京からも依頼が結構来るので。
そうやって東京支部以外にもいろんな支部ができるといいですね。
現実には富岡町民は沖縄から北海道まで現在全都道府県にいるんですよ。
それを考えるとそれぞれの地域にいる方たちがそれぞれの地域で語り人をやって下さればその地域で今の現状を知って頂く事ができてもっと生きやすくなるんじゃないのかなって。
いろいろ誤解されてる事もたくさんあるので。
そう思ってます。
小さい頃に住んだ家。
2015/05/03(日) 00:15〜00:40
NHKEテレ1大阪
福島をずっと見ているTV vol.46「“桜の町”の記憶をつなぐ」[字]
震災から5度目の春、今年も富岡町自慢の桜が満開に。「涙が出ちゃう」と桜並木を見つめ続ける地元の人々。いまだ故郷に戻れない人たちが今、自分たちの体験を語り始めた。
詳細情報
番組内容
今も全域で避難を余儀なくされている富岡町。今、故郷に戻れない人たちの中で「震災前の富岡のこと、震災のこと、避難している中で感じること」を語り継いでいこうという動きが広がっている。自分たちの体験を自分たちの言葉で伝える人々は、語り人(かたりべ)と呼ばれ、国内外とわず活動中だ。今回は「富岡町3・11を語る会」代表の青木さんを招き、箭内道彦さんと合原アナウンサーとともに“語り”にかけた思いに耳を傾ける。
出演者
【司会】箭内道彦,合原明子,【語り】相沢舞
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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