信楽焼きを手に取って楽しみました。
陶器市では、およそ4万点の商品が所狭しと並べられています。
名物のタヌキの置物や、食器類などが販売されていて、価格は半額で売られているものもあります。
陶器市は、あさってまでです。
(黒柳)これは今日のお客様の珍しいご家族のお写真です。
中央にいらっしゃる方が今日のお客様ですけども。
お隣にいらっしゃる方がお父様。
手前の和服の方がお母様。
お姉様とお兄様。
加賀まりこさん今日のお客様でいらっしゃいます。
お願いいたします。
どうもしばらくです。
パートナーと猫と穏やかな日々をお過ごしで「私も丸くなりました」と仰ったと係の者が言っておりました。
そうですかね。
角なんかどこにもなくなっちゃったかもしれませんね。
加賀まりこさんですけど。
角が?角なくなった?そんなことってあるの?なんかね徹子さんは私のことをものすごく角々しいと思っていらしたみたいですが…。
昔そう思ってた。
私は徹子さんと共通の知り合い…例えば沢村貞子さんそれから山岡さん池内さん。
それとかこの間出ていらした眞奈美さんと矢崎さんとかみんな一緒のお友達が多くて。
あの絵を描いてくださった…。
堀文子さん。
…とか結構共通したお知り合いが多くて。
たぶんねその方たちに聞いていただいたら全然その角じゃないタイプだと思うんですが。
なんか…何かでずっとそう思われてるんだなって前から思ってたんですけど。
なんかね…お若い時ねすごい不良だったんだと思ってた。
不良っていうのもねそのまあ父のあれにもつながるんですけど。
父の不良も大した不良じゃないんですが私もずっとある…「キャンティ」というお店にただずっといただけの不良で…。
私もそうなんですけどあの頃あの辺でうろうろしてると何となくみんな…。
ただお会いしなかったのねあんまりね。
そうなの。
一緒のお仕事もなかったですし…。
ただちょっとだけニューヨークですれ違ったことが…。
そうなの。
それでなんかあなたのお出になる映画がものすごくあなたにいつも合ってるっていうの…。
私拝見はしてたんですよ。
はい。
でもなんかどういう方なのかよくわからないと思ってたの。
私は徹子さんがニューヨークから書いて送ってたエッセーがすごく好きで。
あっ本当に?はい。
あれ面白かったです。
本当?ありがとうございます。
そういう本なんか読んでくださる方だと思いませんでしたんでね失礼いたしました。
そうなんですか。
でもまあ文学少女みたいな…。
そうですね割に…。
今でも月に20冊ぐらいは読みますかしら。
偉い。
そう。
いや偉くないんだけど。
他に趣味があと麻雀なんです。
麻雀おやりになる…。
私麻雀やらないもんだから。
ただお酒お飲みにならないんですって?そうなんです。
それびっくりしたの私。
お酒お飲みにならないって聞いてえーっ!と思って。
分解する酵素がなくて飲めないんですけど。
麻雀っていうのは今ちょうど私もお芝居の稽古中でセリフをいっぱい入れなきゃ入れなきゃって思うストレスが例えばちょっと麻雀する5時間ぐらいがあると麻雀してることによって脳が…他のこと考えないんです。
そうね。
だから覚えなきゃとか色んなことを忘れられる。
だからその麻雀っていうゲームが私はすごく好きなんですけど。
うちのパートナーも大好きで2人で一緒にあと2人探してやるんですけど…。
素敵。
それは素敵ねそういうのってね。
そのご一緒に暮らしてらっしゃるパートナーっていう方は…この前いらした時4年前ですがパートナーがとてもいい方だって。
穏やかな方だって仰っていらしたけど本当に穏やかなんですって?ご一緒にいらっしゃると。
そうですねうん。
あの…何だろういつでも「大丈夫?」って言うのが彼の口癖…。
「もう大丈夫に決まってんじゃない」ってもう返したくなるぐらい気遣ってくれます。
ああいいわね。
はい。
猫もいるんだって。
そうですね。
猫とそのパートナーがあなたの…。
はいものすごく幸せです。
彼と一緒にパートナーとして過ごすことになってちょうど12年経ちましたけど。
なんか年取ってこんなにいいことがあるなんて考えてもいなかったから。
素敵。
それで素敵だなって思うのはあなたが…。
その方ちょっとお若いのねあなたよりね。
その方にあなたのほうからものすごくなんか…。
アプローチして。
アプローチが。
相当長くアプローチ?はい。
5年間。
すごいね。
そしたらあちらが「僕女優さん好きじゃないんです」とかって仰ったとかってね。
はいそうなんですよ。
仕事が演出家なんで。
あっテレビの?はい。
まああんまりね…。
そうそう。
いい例を見なかったのかもしれない。
そうでしょうたぶんはい。
だからだと思いますがご自分の息子さんのことがあったりしてそれが一段落したんでちょっと私のほうを向くっていう余裕もできたんだと思います。
でもまあなんであれあなたが人生で本当にこんなに穏やかないい日々が今来ると思わなかったっていうぐらいいい日々が今来たのは本当よかったですよね。
なんかね。
人生よくツーペイだって言うけど。
そうね…。
でもじゃあ私がすごく不幸せだったわけでもないんだけど。
そうそうそうそうそうそう。
でも本当に…。
でも波瀾万丈だったでしょ?そうですかね?波瀾万丈って…。
そうですか?私勝手に思ってた。
波瀾万丈じゃないかな…?みんなそれぞれに小さいけど波瀾万丈じゃないの?たまたま私たちは書かれたりするから目立つけど。
でも加賀まりこさんっていう方は本当に感性の鋭い方で『泥の河』で映画をお撮りに…賞をお取りになった時本当によかったなと思ったんですけどね。
ありがとうございます。
ああいう…あの映画はいい映画でしたよね。
突然の話でちょっとあれですけども。
ううん全然。
私もそう思います。
あれは本当にたまたま私が仏心を出してね…。
すごい忙しい時だったんですけど監督が初めて1本撮るっていうのでその助監督さん時代にとてもお世話になってたのでじゃあ私タダでいいからワンシーンでも出てあげるっていう話であれは出たんですね。
あれはきっとDVDになってると思うので。
もちろんなってます。
『泥の河』お薦めいたします。
それで賞をお取りになった時になんかお父様にお見せになりたかったなってすごく思ったんですって?そうですね。
父は私が33の時に逝ってしまったんですけどちょうど賞をいただいたのが35ぐらいでつくづく親不孝だなって。
父はもうそのやはり映画の人だったから『キネマ旬報』とかをすごく大事に読んでて本棚に入れてたので。
父が一番喜んだ賞だろうなと思って。
そうですよね。
プロデューサーでいらっしゃいまして。
大映のプロデューサーでいらっしゃいましてね。
だからお父様に…特にああいう映画ねキネマ旬報賞のようなものをお取りになった時はねよかったんだろうなと。
はい。
話違うんですけどおたくの猫は…猫は要求がとても多いんですって?なんか。
そうなんです。
ものすごくよく喋る猫で。
えー。
もうね何でしょう。
朝も私を起こしに来てまずニャーニャー鳴いてるんだけどほとんど聞こえない…だんだん聞こえてきてうーん…とか返事すると鼻かむんです。
本当に?わかってくると。
可愛い。
可愛い?甘がみなんだから痛くないんだけどそれで起きろと。
何色?白と黒のパンダ色です。
えー!あっそう。
パンダ色。
はい。
それから始まって夜例えば私がセリフを覚えたりなんかしてるとその本読んでるとかなんかが気に入らないんでしょう。
自分と向き合ってない…。
それでつんつんつんつんしてきて夜回りに行くから出せと。
もうそれを知らんぷりしてるともうかんだりもうね大変。
それで窓から…ひと巡りして帰ってきて機嫌よく寝る。
一緒に寝るんです。
でもそれは待ってないといけないんですって?寒い時は大変です。
窓を開けて出したら待ってるの?ずっと。
待ってるんです。
帰ってくるまで。
へえー。
あっそう。
それはそれでまたね可愛い…可愛い。
いわゆるペットロスって人々のを見てるから「ああこの子が」っていうのは…。
もう今はねちょうど12年なんです。
だからまあね「私と一緒に死んでほしい」っていつも言ってるんですけど。
でもまあその今は思わなければ…。
今現在は可愛くて生きてるんだから。
はい。
もうだからもう毎日のように「長生きしてね」って言ってて…。
あっ言ってるの?それでそのパートナーの方とご一緒に素晴らしい生活…。
お父様は加賀四郎さんと仰る大映のプロデューサーでいらっしゃったんですけども。
そのお父様がお作りになった映画…。
これがですね私の生まれるずっと前昭和9年10年ぐらいに撮影したものなんです。
それでその当時父親は自分の所属していた映画会社から松竹の大スターである鈴木傳明さんとか3人ぐらいのスターを引き抜いて加賀プロダクションというのをその当時つくってですね映画を撮りました。
それが『鋪道の囁き』という映画なんですが。
その当時にしては珍しいジャズの映画で…。
中川三郎さんという方がタップで…。
タップで踊ったり。
中川さん。
まあ言ってみればミュージカル映画なんですね。
当時としては大変よね。
それでそれを撮りましたもののそういうスターを引き抜いたりして作ったもんだから松竹が絶対にこれは興行させるなと。
出来上がった映画はもう全然上映されることなく日の目も見ずに。
それで私はある程度の年齢いってからそんな話を聞かされましたけどへえーそうなのって。
なんで私は…自分は松竹でデビューした時に松竹の社長に「ふーんお前が加賀の娘か」って言われたことがあって。
なんであんな言われ方するんだろうっていうので父に聞いたんですね。
そしたら実はこういうことがあったんだと。
でその映画がですね…。
『鋪道の囁き』。
はい。
なんとここから今から7〜8年前に急に…。
たった7〜8年前?はい。
アメリカの文化省というところから電話がありまして。
その『鋪道の囁き』という映画のフィルムがあると。
しかもちゃんとしていると。
でそれは名前に加賀四郎と入っていて製作って書いてあると。
それはおたくのお父さんですか?っていうご連絡が…。
それでそうですっていうんでそれを東京に持ってきましてDVDに起こして見ました。
ご覧になった。
どうでした?そしたら。
いやーもう…当時っていうのがあまり想像もつかない。
約ね80年前になるんですね。
はい。
だからまあ…それにしては音もいいしね。
しゃれてるんですか…?しゃれた映画ですよね…と思いました。
でもまあこれが…何とか上映してあげたいなっていうのが親孝行になるのかなと思ってつい去年神楽坂のギンレイホールという古い映画館が…。
そこで初めて上映してもらって。
1回だけですけど。
あっ1回。
はい。
だからやっとそれでその日の目を見たんです。
そう。
それで今その…ちょっとねVTRでほんのちょっとですけど1度も上映されたことがないお父様としては本当…。
それでお金みんな使っちゃったぐらい大変だったんですって?大変だったらしいです。
そうですよね。
その映画なんですけどちょっとご覧になってください。
(ベティ)「Withoutaloveofmyown」「BlueMoon」「Yousawmestanding」「
(タップを踏む音)」わあー…。
中川三郎さん。
はい。
「
(タップを踏む音)」
(はつえ)「おはよう」
(沖)「おはよう」「朝からタップの練習なんかしてアパートのおやじまた怒るわよ」「楽器は全部ベティさんが…」「こんな手紙を置いていったんです」
(佐竹)「ベティが…ベティがどうしたって?」『セントルイス・ブルース』「
(拍手)」うーん…これを見てくださった…。
有名なジャズメンの方たちがその当時の…出ていらっしゃるんですけどこれを見たジャズの人たちがね音が全部合ってると指が。
なるほどなるほど。
今って全部音を先に録ってから合わせてるだけじゃないですか。
そうするとずれたりしてる…。
それがない。
生でやってたっていうこと…?そうみたいですはい。
さっきの寝ていらした方が鈴木傳明さんって仰る方なの?そうですね。
あれだけしか見ないんだけども随分の人が出ててね大変お金…。
だって生の音楽であそこで生でタップやってたんだったら相当…。
銀座でロケもしたり。
そうでしょ。
フレッド・アステアとかああいう人たちが出てああいうタップダンスねラジオで踊るのがものすごくはやった頃でもあったのかもしれないんだけど。
うちの父はサクソフォンをしょっちゅう吹いてましたから本当にジャズが好きだったんだと思います。
あっそう。
じゃあああいう映画はもうお作りになれなかった…以後も。
もうなりたかったんです…。
作れませんでしたね。
これがなんか同じような舞台になったんですって?偶然。
それがですね去年の暮れにある舞台のプロデューサーの方がこういう芝居をやりたいんだって企画書を見たらかつて日本で作ったけど上映されなかった映画がアメリカで見つかって…っていう話だったんです。
まるで私の話じゃない?と思って。
「えーそんな…そんな偶然ってありますか?」って言って私は実はこうなのってその人に話したらその方もびっくりして。
今2015年から撮影してた昭和12年とかに戻るんです。
タイムスリップする。
なるほどうん。
私もタイムスリップするんです。
出ていらっしゃるのね?あなたもねそれに。
私も出てるんですが関ジャニ∞の横山君が主役でお寺のお坊さんの役なんですけど。
あっそう。
それが昔に戻るという…。
お寺のお坊さんっていう仕事を継ぐっていうことはそこから動けないじゃないですかある種。
選べないし家業を継がなきゃいけない。
そして私の役は写真館の女主人なの。
それもやっぱりそこを継いでいく以上はその場所を動けないという…。
そういう人間が夢を見るっていうかその未来を考える時に…みたいなことが作品のテーマになってるんですけど。
『ブルームーン』という舞台です。
ぜひ。
お父様のそういう思いもたぶんこもっている…。
たっぷり込めてます。
ねえそうですよね。
ぜひその舞台もご覧いただければと思います。
お父様っていうのはどういう方でした?そうですねもう…ダンディー命みたいな人でしたから。
まあ私のことに興味持ったのは私が15ぐらいになってからですかね。
女の子として可愛く…。
ちょっとまあ面白い奴が育ったなっていう感じだったんだと思う。
なんかバーバリーの…日本で最初にバーバリーのあれをお召しになったんですって?レインコート?母が嘆いてました。
1か月の給料をそれに使っちゃうっていう。
そういうレインコート…。
その当時ねたぶん高かったんでしょうから。
でもあなたのお父様はあなたとお歩きになる時にドアを開けてくださってあなたを入れてくださって…出すなり入れるなりしてくださってご自分があとからっていう方だったんであなた男の人と初めて行った時そうしてくれると思ったらそうじゃなかったんで大変だったんですって?そうですね。
普通…そういうのが普通かと思っちゃった私もおかしいのかもしれないけど。
すごくレディーファーストでしたから。
本当にドア開けて待っててくれるタイプだったので。
そうじゃないのが普通だっていうのがあとでわかりましたね。
顔ぶつけたんだって…?そう。
だって普通の男の子は自分だけ先入って閉めちゃいますよね。
フフフ…。
それも可哀想。
逆に言えば父のようなこう…何だろう…何だろうな?軟派さん?軟派師。
軟派なタイプの人はむしろ好きじゃなかったですね。
あっそうなの?ふーん。
硬派の人のほうが好きでした。
あんまりそういうことに気を使わないタイプのほうがね。
あっそうかそうか。
だから言ってみると今のあなた…パートナーの方が穏やかでテレビの方なのにかかわらずそういうね穏やかな方っていうのはそういうこともあったかもしれない?うん…。
わかんないけど最終的にたどりついたのがね穏やかな紳士…。
その間に色々ありましたんですけど。
そうですね。
でもあなたが仰ったようにそういう…人生って色んなことあるんだけど思ってもいないような…。
まだあなたお若いと思うんだけど。
若くないわよ。
そうなの?あなたより10個下なだけです。
10個。
でもその男の方と12年過ごしてるんだっけ?はい。
じゃあ…。
でも考えてみたら昔だったら大変でしょうね。
60ぐらいの時から男の人と暮らし始めたら。
大変って?昔だったらさ60ぐらいの時からその方と住み始めたとか暮らし始めたことになるわけでしょ?そうかな?いやそんなこと…。
別にそうですか?私そういうのってあんまり考えたことない。
私も考えないですけど昔って…。
世間体って一体何なの?みたいなところがあってうちの母なんか…そういうものは物差しにするなっていうタイプでしたから。
よかったね。
よかったです。
うちの母もそうなんですけどただ何となく世の中全般を見る時にやっぱりもう50過ぎたらなかなか…。
女じゃないみたいなね。
そういうの失礼と思いますよ。
失礼ですよね本当に。
失礼ですよね。
だからあなたみたいな方がいらっしゃるといいじゃないって思うのよ。
えーよかったなと思って。
あなたのお母様っていう方はどういう方だったの?母は一見はものすごく和風の人なんですけど様子のいい美人です。
だけどもオープンマインドっていうか本当にその世間が…世間体とかそういうものをまるで考えない人で…。
まるで考えないっていうと変だけど何だろう…。
気にしない?私が何か起こすでしょ?普通だったら親は恥ずかしいとか言うでしょう?でもそういうこと全然言わない人たちでしたね。
だからまあそういう何だろ…。
人様のおたくのことでどなた様が結婚したとかどなた様が大学へ入ったとかって聞かされても自分ちのうちの子はそうじゃなくても何にも感じないっていうか。
そのことでなんか私たちに嫌なことを言うということは何にもない…。
子供は自由に育つわねそうするとね。
そうそう。
だからそうしなきゃいけないっていうことは何もないのよって。
だけどお父様が…お客様をなさると黙ってなんかあれですって?そうです。
逆に言えばなんか気の利いたことの一つも言える女の人ならいいのにって私はちっちゃい時はそう思ってました。
何にも母は黙々と支度してるだけですから。
なんかこうママはなんでああいう時ちょっと気の利いたことの一つも言わないのかしら?みたいな生意気に思ってましたけど。
それはそう…。
でもあとではそうじゃないんだって…。
そう。
それはそれでちゃんと彼女なりの立場ポジションを守ってたんだなっていうかね余計に出過ぎない。
本当の意味で賢い。
はい。
色々学ばせてもらいました。
なんかあなた家出したの?お母様を…特に自分のことをさ…。
お母様が自分を可愛がってないって思ったの?当時私神田に…下町に住んでましたでしょ。
下町っていうとおこがましいかもしれないんだけど。
そうすると近所の子供たちがいつもね「何とかちゃんご飯だよ!」とかって言われてお母さんに呼ばれて帰っていくと私だけ呼ばれないの。
だから放っておかれてました。
そういうのがねずっと続くとね…。
もちろん自分の誕生日なんかも全然誰も祝ってくれなくて。
家の中じゅうみんな大人で。
一番下なのにね。
そうです。
まああの…ね戦争中に生まれてきた面倒くさい子だったんでしょうが。
でもそれにしてもあんまり放っとかれるんでちょっと家出してみたんです。
ここの家の子じゃないかもしれないと思って…。
それで初めて私がその時7つの誕生日の日に家出してお巡りさんが家に電話してお母さんが来たんですけど。
その時初めてちょっと抱き締めてくれたのが唯一の私が母に抱き締められた思い出。
その時にお母様なんか涙流してらしたんですって…?初めてね。
ああやっぱりこの人私のお母さんなんだわってそんなことで確認したんですけどね。
まあ繊細な子供だったからそういうことを気にしたんでしょあなたきっとなんかね。
かといって私が結局兄弟の中では一番最後まで一緒に暮らしてて。
あっそう。
はい。
最後の最後まで一緒でした。
でも私この間もねよく考えてみたんだけど私も母とすごく仲よかったんですけどね。
母がしょっちゅう私を抱き締めたりなんかしたかなって考えたらそんなでもないのね別に。
ねえ。
「じゃあね」って言うぐらいで。
死ぬ時も「じゃあね」って言いましたからね。
そんな感じ。
だけどやっぱり今思ってみると本当に色んなことよくわかってくれてたなって思いますもんね。
はい。
まあまあ…おばあさん2人でなんか話してるみたいにちょっと思いますけど。
そうですね。
でも元気で。
はいありがとうございます。
『ブルームーン』ご成功祈ってます。
ありがとうございます。
芝居の中でもね。
ねえ。
それでは『ブルームーン』です。
お芝居です。
それじゃあねどうも。
加賀まりこさんでした。
ありがとうございました。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』皆様どうぞご覧ください。
2015/05/04(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
司会の黒柳徹子さんが、各界の著名人はもちろん、時の人、話題の人をゲストに迎え、絶妙の話術を駆使してゲストの魅力に迫る、昭和51年放送開始の長寿トーク番組です。
詳細情報
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
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