(藤本)先月大相撲の大記録が44年ぶりに塗り替えられた。
(実況)「白鵬優勝!」。
相撲界を席巻する外国人力士たち。
そのきっかけを作ったのが四国出身の人物だという事をご存じだろうか?まわし姿でたばこをくゆらせるこの男。
大相撲の常識を何度も打ち破ってきた…国民的ヒーロー双葉山に卑怯な手とされた張り手を連発して勝利。
大論争を巻き起こした。
その前田山が親方となり新しい時代の扉を開く。
(実況)「高見山の寄り!寄り寄り寄り!」。
ハワイで高見山をスカウト。
初めての外国人力士を育てたのだ。
挫折を乗り越え自分の生き方を貫いた男の逆転人生をたどる。
第39代横綱前田山。
もし生きてれば今ちょうど100歳。
子供の頃は今みかん山となってるこの場所でよく遊んだそうです。
前田山が生まれ育ったのは愛媛県の南部八幡浜市ののどかな田舎町。
この山の麓には前田山が通った小学校が今も残っています。
小学校の校門の前には前田山の銅像が立ってます。
前田山の象徴ともいえるのが右腕の大きな傷。
19歳の時大けがをした時の手術の痕です。
困難を支えたのは生涯の恩師たちとの出会いでした。
八幡浜市に30通を超える前田山直筆の手紙が残されている。
前田山が小学生の時の恩師往田進さんとやり取りしていたものだ。
「来る本場所は神にかけて勝越ます。
勝越して郷土の面目を立てます。
信用して下さい」。
前田山の本名は萩森金松。
12人兄弟の下から2番目だ。
大工だった父の仕事は少なく兄弟はいつもひもじい思いをしていた。
年下の面倒見はいいが強そうな上級生を見るといつもけんかをふっかけていた。
往田先生は手の付けられない暴れん坊だった前田山に正面から向き合った。
14歳の秋少年前田山の人生が大きく動きだす。
八幡浜に大相撲の巡業がやって来たのだ。
当時を振り返った前田山の肉声が残っている。
八幡浜に住む…
(宮田)これが私やけんな。
一緒に写しとらいな英五郎と。
相撲部屋に入る事を決めた前田山が一人で家を訪ねてきた日の事を覚えている。
その後ふるさとの地名をとって佐田岬と名乗った。
稽古を重ね…しかしその年力士生命を脅かす最大の試練が訪れる。
稽古中上手投げを食らい右肩を強打したのだ。
痛みが引かず病院に行った前田山。
診断は…傷口から細菌が骨まで入り化膿していた。
非情な言葉が言い渡された。
絶望した前田山は酒浸りとなり警察官を殴る事件を起こす。
「巡査と争い親方より破門され同僚からは信用を失い全く一人ぽっち。
今の私はあまり語りたくありません」。
ふがいない前田山をふるさとの恩師は叱咤した。
医者を探し歩いた前田山に救いの手を差し伸べた人物がいた。
当時の日本を代表する整形外科の名医だ。
必死に頼む前田山に医師は心を動かされた。
当時診察に立ち会った看護師の証言が残っている。
手術に用いたのは…骨にたまった膿を丹念に取り除いていった。
前例のない大手術は合計5回に及んだ。
手術を始めて1年後レントゲンを撮ると骨髄炎は完治していた。
腕には長さ10センチほどの大きな傷が残った。
しかし骨は手術の前よりも太くたくましく成長していた。
奇跡の回復を遂げた前田山。
思いがけない行動に出る。
「正月の番付より佐田岬改め前田山英五郎と変えました。
病院の先生が前田和三郎という人で病院の入院費用など全部見てくれた人ですから前田山と改めました」。
絶体絶命だった自分を天は見放さなかった。
前田山は己のため以外にも相撲をとる覚悟を決めた。
「天道は人をころさずなせ人の為に何時かおのれに幸運あり前田山」。
前田山は生まれ変わったように破竹の勢いで勝ち進む。
そして…昇進が決まった日に打たれた電報。
送った相手は小学校の担任往田進。
手の付けられない暴れん坊に厳しく向き合った生涯の恩師であった。
前田山が生まれ育った八幡浜には今もゆかりの人たちが暮らしています。
どうもはじめまして。
この度はどうぞよろしくお願いします。
前田山の甥宮田修さんを訪ねました。
大関になった前田山が買ってくれたもの。
これは弓ですね。
当時のお金だと高いですよね。
月のお給料が。
また何で弓矢だったんですか?弓道部だったんですねはぁ〜。
前田山が八幡浜に凱旋した時の写真も見せてくれました。
小学校の担任往田進先生の姿もあります。
故郷に錦を飾った前田山。
日本が戦争へと突き進む中国中を騒がせる大一番を演じる事になります。
(ニュース音声)「皇軍勇士慰問のため大陸に渡った双葉山男女ノ川はじめ東京大相撲の一行は…」。
戦争の足音がいよいよ大きくなった昭和11年。
力士たちは兵隊の戦意高揚のため慰問巡業に駆り出されるようになる。
このころ絶対的なヒーローとして登場したのが…
(実況)「横綱双葉山の土俵入り。
双葉山の連勝いつまで続くか」。
今も破られていない…常に勝ち続ける姿は国民の精神的な支えとなった。
(実況)「すくい投げ双葉山の勝ちであります」。
ビールの広告も双葉山。
胃腸薬の広告も双葉山。
端正な顔だちで不動の人気を誇った。
打倒双葉山。
前田山は2つ年上の大横綱をライバルと見なすようになる。
しかし6回対戦しても一度も勝てない。
昭和16年春場所前田山は奇策に打って出て大波乱を巻き起こす。
この場所も全勝で勝ち進んでいた双葉山。
日本中の誰もがその勝利を疑わなかった。
立ち合うやいなや前田山の張り手が双葉山の顔面を捉えた。
右左。
両の頬をめがけて思い切り打ち込んだ。
その数都合18発。
最後は気迫で双葉山を土俵の外へ放り投げた。
7度目の対戦で初の勝利。
国技館は歓声と怒号に包まれた。
戦時中張り手は潔くない卑怯な手とされていた。
奇をてらわず正々堂々と戦うのが相撲の王道だったのだ。
前田山の張り手を巡って世論は真っ二つに割れた。
作家の尾士郎は前田山を擁護。
一方舟橋聖一は前田山を厳しく非難。
しかし当の前田山は…。
「いろんな人から言われました。
張り手をやめろってね。
けれどやめろと言われちゃあ…」張り手の大一番は今も人々の語りぐさになっている。
両国で90年にわたって力士たちを撮り続けてきた写真館。
カメラマンの工藤明さん。
前田山の戦いぶりを今も鮮明に覚えている。
あっこれだ。
(工藤)自分が裁いてね…前田山の張り手は戦時下の国民にとって目の覚めるような一撃だったと見る人もいる。
昭和19年国技館は兵器の工場として軍部に接収された。
代わりに土俵が作られたのはなんと…異例の場所であったが6万人以上が詰めかけた。
前田山は9勝1敗で優勝。
張り手の暴れん坊の胸のすくような相撲に大喝采が送られた。
世論にこびない作品を数多く発表してきた。
その反骨の精神は子供の頃養父にもらった言葉が原点になっているという。
「突っ走ってみたのはやはり子供の頃に見た前田山の姿養父の言葉が生きているのだろう」。
大相撲の聖地両国国技館に来ています。
ここで活躍する幕の内力士の4割近くは外国出身力士。
トップに君臨する白鵬。
そして若手の期待の星逸ノ城。
こうした外国人が相撲界に入るきっかけとなったのがなんとバットとボール。
野球が好きで好きでたまらなかった前田山が起こした大騒動とその後の逆転ホームランの物語です。
戦後の自由な空気を前田山は謳歌していた。
ビリヤードにマージャンそして外国犬の飼育も。
多趣味が災いしたのか9年以上も大関のままであった。
大相撲の歴史っていうのは平安時代からあるんだと。
東京大学名誉教授の荒田洋治さんは長年物理化学の研究をしてきた。
なかなか教授に上がれず20年間助教授として過ごした。
前田山の生き方に励まされたという。
万年大関は珍しく調子が良かった。
(行司)残った残った残った!
(歓声)夏場所9勝1敗の成績で準優勝。
相撲協会から長く大関を務め上げた功績が認められついに戦後初の横綱に昇進する。
ふるさとを出て19年前田山は既に33歳になっていた。
(取材者)こんにちは。
こんにちは。
(取材者)よろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
あっこれ親方よ。
横綱になった頃前田山が夢中になっていたのは野球だった。
弟子たちも度々巻き込まれた。
(取材者)巡業でも野球やるんですか?しかしそんな野球好きがあだとなって人生がひっくり返る大事件を起こす。
昭和24年秋場所。
前田山は下痢で休場していた。
その時前田山が何をしていたかを新聞がすっぱ抜いた。
日本対アメリカの野球の試合を見に行っていたのだ。
掲載されたのがこの写真。
憧れのアメリカチームの監督と握手してしまった。
それも大観衆の目の前で。
事件の8日後前田山は引退を余儀なくされる。
横綱通算成績は…いまだ破られていない…自暴自棄となった前田山。
廃業して故郷に帰る事にした。
それを止めたのは同じ八幡浜出身の妻好美さんだった。
好美さんは前田山が横綱になってすぐに結婚。
多くの弟子に慕われ親方衆からも一目置かれる女傑だった。
昭和25年前田山は再び高砂部屋の親方として相撲の道を歩み始める。
その翌年前田山はアメリカにいた。
「相撲を紹介してほしい」。
アメリカ政府からの異例の申し出であった。
日米野球がきっかけで引退した前田山へのGHQの計らいであった。
前田山は相撲界を大きく変える大金星を挙げる事になる。
この時前田山は一人の大学生と出会う。
アメリカンフットボールの選手としてならしていた。
彼こそが後に初の外国人力士となる高見山だった。
ジェシー青年を何としてでも日本に連れて帰りたい。
前田山は一計を案じて稽古に招待した。
元関脇の高見山さんは70歳になった今も国技館のそばに暮らしている。
親方の職を6年前に定年退職した。
(かけ声)日本で高見山を待っていたのは地獄のような稽古の日々だった。
アメフトで鍛え上げた体をもってしてもあまりにもつらい。
前田山は独特のやり方で高見山に接した。
前田山の高見山に懸ける思いは周囲の人たちが驚くほどだった。
高見山は前田山の期待に応えて僅か3年で関取に昇進。
当時史上最多となる金星12個を奪う活躍を見せ関脇にまで上り詰めた。
(行司)高見山!
(CM音声)「丸八博士新発明は?」「2倍!」。
「2倍2倍!」。
その活躍ぶりからお茶の間でも人気者に。
…と呼ばれた。
ふるさとハワイを離れ関取そして日本人となった高見山。
全ての始まりは前田山との出会いだった。
前田山56歳の冬。
背中を激しい痛みが襲った。
静岡県の温泉地で療養。
近くの医者に往診を頼んだ。
そう言い残して旅立った。
前田山の死のショックからなかなか立ち直れなかった高見山。
相撲で勝つ事が親方への一番の恩返しだと考えるようになった。
(実況)「左四つがっちり右上手高見山」。
前田山の死からちょうど1年後の名古屋場所。
(実況)「高見山攻勢…寄り切り。
高見山初優勝なる!」。
始めての優勝をつかみ取った。
数々の挫折や困難に見舞われながらも自分の生き方を貫き通した前田山。
角界の暴れん坊は関わりを持った人に今でも強い印象を残しています。
そういう異端児が…いたんじゃ。
ハハハハ…!自由奔放に生きた異端の横綱前田山。
逆境をはね返し新しい時代を切り開いた。
2015/05/04(月) 17:15〜18:00
NHK総合1・神戸
しこく8「天道は人を殺さず〜異端の横綱 逆転人生〜」[字]
愛媛県八幡浜出身の横綱・前田山。大けがから奇跡の復活。相撲の神様を張り手で撃破。初の外国人力士を育成。白鵬や高見山の証言を交え、角界の異端児の逆転人生をたどる。
詳細情報
番組内容
愛媛県八幡浜市出身の横綱・前田山。その波乱に満ちた生涯をたどる。前田山は再起不能とされたけがから奇跡的に復活。“相撲の神様”双葉山に張り手を連発して勝利し、その是非をめぐって日本中に大論争を巻き起こした。戦後は親方として初の外国人力士となる高見山の育成にあたり、大相撲の国際化に道をひらいた。横綱・白鵬や高見山、生前の前田山を知る人たちの証言を交えながら、自由奔放に生きた異端児の逆転人生を見つめる。
出演者
【案内人】藤本隆宏
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
スポーツ – 相撲・格闘技
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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