明日へ−支えあおう− 花は咲くあなたに咲く▽おだづもっこの“復幸祭”〜女川町 2015.05.05


(拍手)この春東北の小さな港町でちょっと面白いイベントが開かれた。
その名も「復幸祭」。
新鮮な海の幸がずら〜り!うまそうだべ!なんと人口の4倍以上の人で大にぎわいだった。
ここは宮城県女川町。
俺中村雅俊が生まれ育ったふるさと。
海と山に囲まれたいい町だったけど津波がねぇ…。
逃げろ〜!そんな町を元気にしたいと始まったのがこの祭り。
仕掛けたのは…地元でお調子者と呼ばれる面々だ。
でももともとふるさとへの愛情が深かったわけではないそうだ。
どっちかというと…みんながあの日を境に変わった。
「震災で傷ついた町を俺たちが必ずよみがえらせる!」。
祭りはそのためののろしだ。
頑張れよ!1!2!3!ダーッ!
(拍手)ふるさとのために立ち上がった「おだづもっこ」。
さてどうなる事やら…。
3月21日女川の人たちが待ちに待った日がやって来た。
JR石巻線が全線で運行を再開。
4年ぶりに列車が来たんだ。
朝8時38分列車が滑り込んだのは新しく造られた女川駅。
列車から人が降りてくる。
ただそれだけの事なのになんてうれしいんだろう!居ても立ってもいられず現れたのは…仲間からは淳と呼ばれている。
駅はうみねこが羽を広げた姿。
いやぁ立派だよねぇ。
もともとあった場所から150m内陸に移動。
8mかさ上げされた土地に建てられた。
この駅前で明日復幸祭が開かれるんだ。
祭りを前に実行委員長の淳があるイベントを企画した。
それは駅前から一斉に坂道を駆け上がり順位を競うレースだ。
兵庫・西宮神社の神事「福男選び」に倣い「復幸男」と名付けた。
あと30分か…。
ドキドキするね。
全国から204人の脚力自慢が集まった。
女川駅から高台にある小学校まで350mを走る。
ゴールでは淳が大漁旗で迎える。
もう少しだ!もう少し!
(歓声)めっちゃキョトンとしてる。
スタートは女川に津波が来た午後3時32分。
津波から逃げるつもりで全力で走るのがルールだ。
逃げろ〜!ちょっと不謹慎じゃないかって?いやいやこれには理由がある。
リアス式の海岸にひらかれた女川町。
あの日津波は細長い入り江で水位を上げ14m以上になった。
亡くなったり行方不明になったのは827人。
町の人口の8%以上になった。
これは被災地の中で最悪の数字だ。
ほとんどの町民が身内や親しい人を失った。
津波から命をどう守るか?多くの町が巨大な防潮堤の建設を進めているが女川の人たちはそうしなかった。
海を臨みながら暮らすという道を選んだ。
その代わりいざという時は全力で逃げる。
「復幸男」には海と共に生きていくと決めた女川の人たちの覚悟が込められている。
お〜来た来た!お〜っ!
(拍手)こっちこっち!一着となった復幸男にはあるお願いをしている。
それは津波の教訓を末永く語り継ぐ事。
どこからいらっしゃいましたか?千葉の柏市です。
昨日夜行バスで来ました。
そろそろ東北行きたいなと思ってたんですけどで女川調べたらこういうイベントがあるという事だったんで…。
ありがとうございます。
すみません。
たばこ吸いたかったんです。
淳が生まれ育ったのは海の目と鼻の先だ。
ここに自宅その隣に水産加工場があった。
この辺りですねちょうど。
ほんとに変わり過ぎちゃって何とも言えないですけどね。
9年前まで仙台で医療機器を販売。
女川に戻るつもりはなかった。
ところが父と兄を相次いで亡くししかたなく帰郷。
そんな時震災が起きた。
母のすが子さんは目標を見失った淳にかける言葉がなかった。
どん底の中で手を差し伸べてくれたのは地元の同業者だった。
被害の少なかった工場の一角をただで貸してくれた。
父が始めた看板商品さんまの昆布巻き。
淳はその味をよみがえらせた。
「力を合わせるきっかけをつくろう」。
それが祭りだった。
声をかけると次々と若者が集まった。
もちろん「おだづもっこ」お調子者たちも駆けつけた。
こうした仲間と10年後20年後の町を動かしていきたい!淳をはじめ若者たちは町づくり計画にも積極的に意見を出すようになった。
次のテントいいよこっち来て。
次のテントお願いします!せ〜の!復幸祭は今年で4回目。
これまでは体育館や学校の校庭で開かれ来場者は1万人ほどだった。
今年は初めて新しい駅前で開催される。
リフト前に出ろ危ねえから。
これはみんなで意見を出し合った女川の将来図。
住宅は山側に。
商店や公共施設は海側に。
最大の特徴は駅から海にまっすぐのびるメインストリート。
新しい町のシンボルだ。
この駅前で祭りを開けば復興をアピールできる。
予想で2万人以上は来るんじゃないかなとは思ってんですけど。
その人たち全員が女川町を見て知って感じてもらえればそれはそれでうれしいなと思います。
頑張ろう!女川町復幸祭2015スタートです!いよいよ祭り本番。
駅前には52の店が並んだ。
ジューシーなほたて。
おっ!さんまのつみれ汁。
これはうまそう!2,000食用意したさんまは無料。
この心意気が女川流だ。
おいしいですさんま。
淳たちはこの祭りを「千年に一度のまちびらき」と呼ぶ。
千年に一度の大津波で失った町をよみがえらせよう!本部にやって来たのは…正樹は淳の小学校からの同級生だ。
いやぁ立派な体格だけどサイズ大丈夫?大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫…。
正樹は小高い丘の上にあるサッカースタジアムにステージをつくった。
祭りに人を集めるためある大規模な催しを用意した。
学生の頃から大のイベント好き。
今回招いたのは…あの「ももクロ」だ!1年前から東京の事務所に何度も足を運び実現した。
ありがとうございます。
お願いします!出演者対応の次はスタッフの陣頭指揮。
(一同)お願いします。
集まったのは7,000人。
女川史上最大規模のステージイベントだ。
すげ〜!ハハハハ…!すげ〜!女川きっての「おだづもっこ」正樹の本領発揮だ。
・「あなたのそのハートいただきますっっっ!!!」・「サラバ、昨日をぬぎすてて」・「勇気の声をふりしぼれ」・「『じぶん』という名の愛を知るために」やばいね!正樹は女川の老舗かまぼこ店の4代目。
社長の父のもとで取締役をしている。
ありがとうございます。
職場では真面目なんだね。
機会がある度出向くのは東京。
遊んでる?いやいやいやこれも立派な営業活動らしい。
店のかまぼこをはじめ刺身や酒など女川の特産品を持ち込んでは味わってもらっている。
神奈川の大学を卒業後商社で働いていた正樹は14年前家業を継ぐためにふるさとに戻った。
だけどほんとは都会で暮らしたかったそうだ。
震災前は女川の事そんな好きじゃなかったっすよ。
東京の方が好きっていう人間でしたからね。
女川に別にゼップもないしクラブもないし不便だし年寄りばっかだしなんかなぁっていう…。
その気持ちを一変させたのが震災だった。
自宅は津波に襲われ祖父が亡くなった。
正樹は社員と共に避難所にかまぼこを配った。
50か所以上15万枚を届けた。
涙を流しながら食べてくれる人。
空腹なのに譲り合う家族。
そんな光景を目にするうち次第にふるさとへの思いが変わった。
震災直後ほんとに何にも食べ物なくなって困ってる人たちがいて…。
でその人たちって僕が昔から知ってる人たちばっかりで「この人たち何とかしなきゃ…」という。
そういうとこでずっとしゃにむに動いてきた部分はあるんでそういうふうにしてる中で「ああやっぱり俺地元好きだったんだよね」という。
そして正樹は父と相談し町で唯一残った自分の水産加工場を同業者に開放した。
そうして受け入れた一人が同級生の淳だったんだ。
淳の誘いで祭りの副委員長となった正樹。
引き受けたのには特別な思いがある。
ふるさと女川町が大好き!せ〜の…。
(2人)笹かまぼこ!「かこうけん」の練り物担当タカマサこと高橋正樹です。
よろしくお願いします。
「おながいします」。
女川だけに。
あなたは?はい。
まゆまゆまゆまゆ眉毛ボーン。
「かこうけん」なま物担当海鮮問屋青木や青木久幸です。
よろしくお願いいたします。
(拍手)「テレビでいっぱい女川の事をやってて町がもうすぐできるって聞いて帰りたくなりました。
…のと同時に帰るのが怖い気もします。
女川が私の知っている女川じゃなくなるのを見るのが怖いかも」。
正樹は家や職を失い町を去る友人を何度も見送ってきた。
震災後およそ2,000人が減った女川。
人口減少率は全国で最も高い。
なんかこう女川ずっと離れてて…。
「祭りをきっかけに人が戻ってきてほしい」。
正樹の願いだ。
正樹や淳祭りの実行委員は仮設の商店街で夜の打ち合わせと称してことあるごとに集まる。
あ〜…。
さあ二人の初めての共同作業。
(笑い声)こえ〜よ!つまんでつまんで。
ちょっとさみいからあったけえのを…。
・「あったかいんだからぁ」ふだんはにぎやかな「おだづもっこ」。
でも弱音を吐きたくなる事もあるんだよね。
今人口5,000〜6,000人じゃん女川町1万人が。
出てくってのも賭け事なんだよ。
なんでかって言ったら女川に住んでる人もともと女川すげえ好きなのに出ていかなきゃいけねえっていう状況って考えると出てった人間が俺の同級生…。
俺の同級生がね出てってさ「必ず戻ってくっから」っていつまでも涙流して手離さねえのよ。
手を離さないんですよ。
俺はもう言う事一つですよね。
「分かったおめえが戻ってくる町俺たちでつくっから」って。
「お互いがんばっぺ」って言って別れるわけですよ。
がんぱっぺ…。
いやいやほんと…。
やるしかないすからね。
がんばっぺ…みんなしてつくっぺ…。
いいイベントにすっぺ。
いやほんとそうだ。
何だろうねまだビール2杯…1杯半しか飲んでないんだけどね。
いやなるよいいイベントに絶対。
さて復幸祭もお昼どき。
ますます人が増えてきた。
ちょっと面白そうなブースを発見!店の主たちが自らポスターに出演してPRしている。
海鮮丼が売りの食堂。
しゃれてるね〜。
串焼き屋のお父さん。
仮設商店街で頑張っている。
淳のポスターもあった。
体張ってるね!実行委員長で忙しい淳に代わって商品を売るのは母親のすが子さん。
今年たくさん客が来ると期待して去年の倍も商品を仕込んだそうだ。
(笑い声)
(笑い声)ところで売り上げはどうですか?正樹!売り上げ伸びてね〜ぞ!おいおいま…正樹。
うまいな意外と。
実はこの祭りには淳や正樹たち若い連中が知ってほしいと願うある言葉がある。
震災後に作った女川の水産加工業者の統一ブランドだ。
「あがいん」とは女川の言葉で「おあがんなさい」。
英語の「アゲイン」にもかけた。
淳が母とよみがえらせた味…良質な白身魚を使った正樹の笹かまぼこ。
宮城県内外の料理関係者がお墨付きを与えた22の商品が選ばれている。
俺からもお願いします。
「あがいんおながわ」の名をみんなに知ってほしいんです。
お願いします。
な…何だろうこの長蛇の列。
あらまだ続いてる。
まだまだ…。
まだ!ああやっと着いた。
え?なになに?「女川駅弁当」。
ほう〜。
(取材者)これは何の弁当ですか?大人気の弁当を売っているのは…広樹は淳や正樹の後輩だ。
広樹のポスターがこれ。
お調子者。
まさに「おだづもっこ」。
震災前広樹の実家は町で唯一の大型スーパーを営んでいた。
社長の母のもとで専務を務め従業員からは「広樹ちゃん」とかわいがられた。
だけど仕事には全然身が入ってなかったという。
震災前はほんと…クソでしたからね。
アハハハッ。
役職こそ専務という役職に就いてましたけど社長の息子というところでどうしても甘えてる部分。
社長イコールお母さんが困った時でも「まあなんとかしてくれるべ」ぐらいの自分の中で気持ちがあったし2時間も3時間もお昼寝しちゃったとかもう今日仕事したくねぇってなればさぼってみたり。
そういう全体のところを見る目線じゃなくて自分の事しか考えてない自分さえよければいいやっていう考えのもとで毎日生活してましたね。
広樹を変えたのはやはり震災だった。
1分間黙とうをささげます。
黙とう。
広樹は母と姉そして祖父母を津波で失った。
黙とうを終わります。
ご着席下さい。
当時中学生だった姉の息子亮太さんは震災後広樹が引き取った。
家族も店も…大切なものを失った広樹。
立ち上がるきっかけとなったのはがれきの中にあった店の看板だった。
骨だけ出てきた…骨って鉄骨だけなんですけど「おんまえや」っていう看板だけがきれいに残ってるんですよ。
だから「どういう事なの?」みたいな。
それってまだやれっていう事なんだべなみたいな。
残っていたのは4台の移動販売車だけ。
毎朝仙台まで食品を仕入れに行き被災した町を回った。
経営の責任を全て背負い懸命に働いた広樹。
従業員に支えられ弁当販売や民宿まで手がけるようになった。
今年中には念願のスーパーを再開する。
広樹は今仮設住宅に暮らしている。
4人の子供と妻との6人家族。
帰りは毎晩12時近く。
家族そろって晩御飯を食べる事はめったにない。
パパさパンツのまま寝てた。
(広樹)うるさいうるさい。
ズボンはきたくないんだって。
そうだよ。
それでね裸ん坊で寝る時あるの。
広樹は4人の子の名前に大好きな字を入れた。
そして震災後に生まれた…そう「海」だ。
大切なものを奪っていった海。
それでも広樹は海と暮らしていく事を決めた。
震災後に営む民宿で新たに始めた事。
それは観光客を相手にした女川の料理体験だ。
海があるから人が来てくれる。
海があるからもてなしができる。
わあ〜!食べきれないほど出すのが女川流のもてなしだ。
食べきれなかった料理をいつかまた食べたいと思って女川に戻ってきてほしい。
なっ広樹!おいしい〜!
(広樹)うまいっすか。
おいしいです。
たまんないです。
うまいっすか。
自分たちでおろすっていうのが…。
海と共に生きる決意。
それは正樹や淳も同じだ。
祭りを間近に控えたこの日新しい町の建設現場に初めて足を踏み入れた。
海を間近に臨む商店街。
想像すると心が躍った。
(取材者)そこは昔のとおりっていう…。
・「ひとり決めた夢を固く握って」復幸祭のステージでは最後の曲が流れる。
地元の小中学生が舞台に上がりももクロと歌った。
・「僕たちは歩いてゆこう」
(拍手)
(アナウンス)お客さまへご案内申し上げます。
このイベントやった人間が町つくってるんですよ。
アッハッハッハ。
いや面白くないわけないですよ。
やっぱね面白い人がつくる町って面白いと思うんですよね。
だからもしこのイベントが面白いなと思った人がどういう町になるんだろうまた来たいなって思ってくれたら僕はそれだけでこのイベント成功だと思うんですよね。
ステージが終わると一斉に客が駅前になだれ込んだ。
淳の店にもようやく人だかりが…。
(すが子)お〜すごい!ありがとうございま〜す。
すみませ〜ん。
ありがとうございま〜す。
女川の統一ブランド「あがいんおながわ」の商品はどの店でもほぼ完売した。
あ〜よかった〜。
訪れた人は去年の2倍以上。
3万人に達した。
震災後女川を去った人たちも久しぶりに戻ってきた。
淳も町を出ていった同級生と再会を果たしたという。
女川の「復幸祭」千年に一度のまちびらきが終わった。
「おだづもっこ」の心意気。
祭りに来てくれた人たちに届いただろうか。
淳たちは一息つくまもなく後片づけに取りかかった。
どんな小さなゴミも残さない。
明日からまたここで新しい町をつくる槌音を響かせるために。
ふるさとの海へとまっすぐのびる道。
その両側をにぎわす商店街は年内にも完成する予定だ。
生まれ変わる女川。
是非是非見に来てけろ〜!2015/05/05(火) 02:00〜02:43
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 花は咲くあなたに咲く▽おだづもっこの“復幸祭”〜女川町[字][再]

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詳細情報
番組内容
津波によって町の8割が破壊された宮城県女川町。今、官民一体となって再建計画を推し進め、住宅地や商店街の整備が始まっている。町作りのアイデア、海産物のブランド化。再生を担うのは、水産加工会社や商店街などの若い世代。番組では、3月末の石巻線女川駅の開業に向け、若者が一丸となって町づくりを進める現場に密着。大規模な“復幸祭”を開催して人を呼び集め、町に命を吹き込もうとしている。若者たちの奮闘をみつめる。
出演者
【キャスター】畠山智之,【語り】中村雅俊

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