インタビュー ここから「俳優・藤本隆宏」 2015.05.05


平家はもはや…武門ではござりませぬ!重厚感のある演技で注目される…去年の「連続ドラマ小説花子とアン」など今ドラマに欠かせない存在です。
(実況)400m個人メドレーの決勝を迎えます。
藤本さんは元オリンピック選手。
競泳の日本代表として金メダルを目指しました。
現役引退後25歳で飛び込んだ演劇の世界で自信を打ち砕かれます。
大きく花開いたのは37歳の時です。
2人は…。
(2人)海軍のホープじゃ!ハハハハ…。
司馬太郎原作のドラマ「坂の上の雲」に抜擢されました。
水泳の世界で取れなかった金メダルを演劇の世界でつかみ取りたい。
俳優として生きる覚悟を決めた藤本さんの「ここから」に迫ります。
福岡県久留米市。
藤本さんが高校時代に練習をしていたプールを訪ねました。
どれぐらいぶりですか?え〜っと高校を卒業してまあ1回ぐらい来たと思うんですけどそれを考えても多分…20年ぶりぐらいですね。
ここで練習をしてました。
3年間ですけれども。
でもこの場所があってオリンピックに行けた…場所なんですよね。
初めてオリンピックに出場した時に泳いでいたプールです。
あ〜何かもう全てが懐かしいですね。
あっそうですか。
やっぱ同じにおいがしますか?そうですね。
同じにおいというか何ですかね…。
いや〜もう懐かしいな。
藤本さんの高校3年間は水泳漬けの毎日でした。
あ〜…我々の時代は一番泳ぐ時代だったので特に私は長距離選手だったんですね。
個人メドレーというのは一番…苦しい競技といわれている種目なんですけれども。
なので朝8,0009,000午後1万メートルとか1万8,0002万メートル…まあ少ない時は1万5,000ぐらいですけど1万5,000から2万ぐらいは泳いでいましたね。
20キロメートルぐらいという事ですか?はい。
それを毎日。
毎日やってました。
多分一番日本で苦しい練習をやってたんじゃないかなというふうに思います。
コーチもそうやって言ってたんで。
だから逆に言えば誰よりも負けない練習をやってたんだから絶対速くなるはずだというそういうコーチの教えがあってそれを信じてやっていましたね。
藤本さんが水泳を始めたのは6歳の時。
中学で頭角を現し…その後日本記録樹立。
アジア大会優勝。
そして迎えた2回目のオリンピックバルセロナでは決勝へ進みます。
男子400m個人メドレーで日本人初の快挙でした。
(実況)男子の400m個人メドレーの決勝を迎えます。
1コース日本のエース藤本隆宏。
(スタートの合図の音)
(実況)スタートしました。
こちら現在8位の藤本正面からの映像でちらっと今横を向いて前を行く選手を見ましたが藤本今ゴールに入りました!藤本は8位でゴールに入っています。
タイム4分23秒86。
その時に心に残っているエピソードとか周りの状況とかは何かありますか?たまたまその日に自分が泳いだ次のレースに岩崎恭子さんが金メダル取ったんですね。
なので自分がインタビューを…終わって受けてる時にそのニュースが流れて皆さんがス〜ッといなくなってしまったのは覚えてますし…。
もう悔しい思いだけですね。
やはりもうメダルしか考えていなかったので。
あの台の上に立ってメダルを掛けて頂くそのイメージトレーニングしかやってきてなかったので「日本人で初めて入賞した」って言われても少しもうれしくなかったですね。
やはりもうそれしかなかったので…。
もう悔しい思いしかないですね。
なぜそこまで金メダルにこだわっていらっしゃったんですか?まあ金メダル…やるからには一番になりたいという気持ちがやっぱり一番強かったですしでもやっぱり…みんなが喜んでくれるかなという気持ちが一番ですよね。
やっぱり父と母だったり応援してくれてるコーチの方仲間が喜んでくれるじゃないですか。
絶対に。
それが一番ですかね。
それと悲しませたくない…悲しい顔見たくないですよね。
負けた時ってやっぱり自分もつらいですけど…。
それだけですかね。
2度のオリンピックで届かなかった金メダル。
藤本さんはオーストラリアへ渡ります。
有名コーチの下泳ぐ量を限界まで増やしますが過酷な練習でも記録は伸びませんでした。
そこで訪れた転機。
藤本さんの1つ目の「ここから」です。
やればやるほどタイムが伸びなくなっていったんですね。
まあ年齢的なものなのか自分の精神状態がよくなかったのかもしくは甘えてたのか…。
まあオリンピックは目指していたんですけれどもでもそうじゃない自分の…何か新しいものを見つけようとこう思っていた時期に演劇に出会いまして。
「レ・ミゼラブル」というミュージカルをオーストラリアでやってましてそれを見に行った時に「あっこんな…何かすてきな場所があるんだ」と思ったのがきっかけなんですよね。
オリンピックに出て2回出てお客様から観客の方から拍手を頂けなかった自分がいてでも…目の前でやってる舞台の一番端でもいいので立てばもしかしたら拍手をもらえるかもしれない。
隣に座っていらっしゃる方の顔を見ても後ろを見ても横を見てもその演劇を見ながら涙を流したり笑ったり拍手をしたりするその空間っていうのは何か水泳と通ずるものがあるんじゃないかスポーツと同じものがあるんじゃないか。
自分がオリンピックに出て拍手をもらうそれと同じなんじゃないかと思って。
過酷な練習を重ねますが…20年にわたる競泳生活に幕を下ろしました。
水泳を引退したあと演劇の世界に入るんですけれども今思うと…好きで入った世界なんですけどでも…特にこういうプールに来て当時の事を思い出したりするとやはりオリンピックでメダルが取れなかった事に対する逃げ道として演劇があったのかなと思う事もあるんですよね。
全く違う世界だからこそ水泳を忘れる事ができたし水泳で応援してくれた方にも何か返せるんじゃないかとか逆に…逃げるようにして行った世界なのかもしれないですね。
横浜市青葉区にある公園です。
ここですね。
そうですね。
25歳で俳優の道を歩み始めた頃に通っていた場所です。
懐かしいですか?懐かしいですね。
ここでどんな事されてたんですか?そうなんです。
ここで実は夜劇団がやはり11時か12時ぐらいには閉まってしまうのでそのあと練習する場所がないのでここに来て自分でひそかに踊ってた場所だったりもするんです。
うん?劇団が深夜0時ぐらいまであってそこでも練習をされて…。
練習しててで…そのあと練習する場所がないのでここに来て練習をしてた場所なんです。
3時から4時ですか!ええそうですね。
泣きながらここで練習をやってた場所でもありますね。
1年半ぐらいかな?…たった時にキャスティングされたんですけどでもあの…ひと言だけセリフを頂いて。
それも本当にギリギリ出演という形で。
3日ぐらいしかステージに立てなくてそれでもう降ろされたんですけれども。
…というセリフをひと言だけ頂いたんですね。
それが初舞台で頂いてその次の作品はセリフがなかったです。
藤本さんが当時つけていた日記を見せてくれました。
思うようにいかない日々がつづられています。
「オーディション本選のことで精神的に参っている」。
不安や焦りはなかったですか?水泳の場合やはり泳いで記録を出してでほかの人の順位もあったり自分の目標タイムであったりというそういうものが目標があるんですけれどもでも俳優の場合とかその目標値がどこに持っていけばいいのかとかどうすればいいのかどれが正解なのかっていうのが全く分からなかったのでとにかくまあ苦しかったですね。
ええ。
はい伏せてましたね。
恥ずかしいって思いもあるじゃないですか。
そこまでいったのに何でできないのっていう…言われたくなかったですし。
でも自分の中でその水泳という記憶を徐々に消していってたんですよね。
なかなかでもそれが取れなくてどうしてもプライドが残ってしまうじゃないですか。
どうもがいていいのかさえ分からない。
生活の糧もなく…そんな中でのある出会いが藤本さんのもう一つの「ここから」です。
出会いの場所はスイミングクラブ。
一度は記憶から消し去ろうとした水泳の世界でした。
スイミングクラブを運営していた…藤本さんと同じように競泳選手として高校生でオリンピックに出場し現役引退後は芸能活動をしていました。
木原さんと出会ってここでアルバイトをするようになって一つこう…生きていく自信ですよね。
これでいいのかもしれないという…。
本当小さな光なんですけれどもそれを与えてくれたのがこの場所です。
ここへ来て変わる事ができたんですね?そうですね。
特にやっぱり木原光知子さんの言葉というか木原さんも東京オリンピックで4位だったんですけれどもメダルが取れなくて…。
それでタレントとして芸能界に入ってその木原さんが言う言葉一つ一つが今まで僕が出会った事がない重みとして伝わってきたというか。
もう全く同じ先輩がいたんですよね。
木原さんがおっしゃるからこそ胸に届く言葉があったんですね?そうですね。
具体的に何を言われたという言葉ではないんですけれども…。
オリンピック行ったんでしょ?日本一になったんでしょ?その言葉って…。
すごくうれしかったですね。
たったそれだけの言葉なんですけどやっぱり…。
それを全て忘れるようにしてたんで。
そこから自分自身が自信を持って取り組めるようになったっていうのはありますね。
すごく大きな勇気を与えてくれました。
その木原さんとの出会いを境に何か大きな変化はありましたか?まああの…急ではないですけれどもやはりその…自信というかプライドを全部捨てたのでそれから少しずつやればできるんだっていう事がやはり水泳が教えてくれたので水泳と同じようにコツコツやっていけば芽が出るんだという事を強く信じれるようになってきたんですよね。
芸能っていうのはそうじゃなくて例えばルックスがよかったり…まあ人間関係がうまかったりとか…それの要素がすごく強いものだと思っていたんですけれどもでもそうじゃなくてやはりスポーツと同じでしっかりコツコツ努力していけば誰かが見てくれるという認めてくれるという事を何かつかんでいったような気がしますね。
過去の自分と向き合い認める事で取り戻した自信。
心の変化は演技をも変えていきます。
少しずつ増えていく舞台。
少しずつ長くなるセリフ。
そしてついに念願の大役を手にします。
2009年から放送された…うるさいわい!無理じゃ。
無理と言ったら無理じゃ。
さあ行くぞ。
は?俳優になって12年。
37歳にして主役を支える重要人物の海軍軍人広瀬武夫役に大抜擢されました。
総員退却!今まで台本もらっても自分どこなんだろうどこなんだろう探して探してあっ1行あったとか2行あったとか。
で稽古をしてそのセリフカットになりますとかってなくなったりする事もたくさんあったんですよ。
でも台本を開いてこう…本当はやっちゃいけないんですけど自分のところから見るのよくないんですけどでも自分のところを探そうと思って探したらたくさん出ててすごくすてきな役で。
本当にもう感謝ですね。
木原さんに感謝ですし今までお世話になった方全員に感謝ですね。
自分がまあこうしてテレビに出させて頂けるようになったのもNHKの「坂の上の雲」からなんですけれども実はこの作品が決まったのは木原さんが亡くなって1週間後…じゃないかな?3日後ぐらいの話なんですよね。
だから天国で木原さんがすごく力を貸してくれたのかなと思ったりもしてます。
その後も「大河ドラマ」など活躍の場を広げている藤本隆宏さん。
水泳では取れなかった金メダルを演劇の世界で求め続けています。
おわびを致しとうござります。
今の俳優としての藤本さんにご自身は金メダルを掛けてあげられますか?え〜それがまだまだですね。
やっぱりまだまだですね。
入賞ぐらいはあげてもいいかなとは思ってますけどでもまだまだですよね。
本当にもう上には上がいるし努力してる人もたくさんいるのでその努力だけは負けたくないなと思ってるので。
努力っていうとあれかもしれないので…でも一生懸命じゃなくて失敗…成功しても失敗しても絶対次がないと思うので。
それを本当に教えてくれた再認識させてくれたのがこの場所なのかもしれないですね。
2015/05/05(火) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「俳優・藤本隆宏」[字]

俳優・藤本隆宏さん。金メダルを目指したオリンピックスイマーから俳優への転身。今でもなお、俳優としてご自身なりの“金メダル”を追い求める藤本さんに原点の地で伺う。

詳細情報
番組内容
俳優・藤本隆宏さん(福岡県出身)。もとは競泳でオリンピックに2回出場、金メダルを目指した世界的なスイマーだ。その後、俳優の道へ。水泳との決別を誓って進んだその道は、いばらの道だった。そんなときにかけられた、同じ道をたどった先輩からの「水泳があるから、あなたがある」の言葉。その後つかんだ、スペシャルドラマ『坂の上の雲』の大役。今でもなお、俳優としてご自身なりの“金メダル”を追い求める藤本さんに伺う。
出演者
【出演】俳優…藤本隆宏,【きき手】猪原智紀

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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