次回は「疲れたときのスムージー」を御紹介します
今宵から3年目に突入する「知恵泉」。
厳選された歴史の知恵が自慢です。
是非お立ち寄り下さい。
よし新装開店!いや〜いい店があるんですよこっちですこっちです!あれ?なんかいつもと背が違うな店主が。
はい。
あらビビるさんようこそいらっしゃい。
あら?前の店主の方はどうしました?実はね前の店主福岡支店を出すとか言って急に市場調査の旅に出ちゃったんですよ。
あら。
今日から2代目の店主を務める事になりました近田と申します。
そうですか。
あら。
もしかしてバレーボールの全日本女子の眞鍋監督。
いやいやお会いできて光栄です。
どうもはじめまして眞鍋です。
いや〜お二人ねちょうどよかった。
今いいものが届いたばかりなんですよ。
これ!はい!徳川四天王4本セット。
実は今年徳川家康が亡くなってちょうど400年という事で節目の年。
各地でかなり盛り上がりを見せているんですよ。
じゃあ監督これにしましょうか。
そうですね。
せっかくですから。
いいですか?もちろん。
入って下さいよ。
どうぞどうぞ。
監督行って下さいよ。
いいですか?お先…。
ええ。
ああああああいいじゃないですか。
野心に燃える武将たちがしのぎを削った戦国乱世。
並み居るライバルを倒し頂点に立ったのがご存じ徳川家康です。
天下取り。
しかしそれは家康一人の力で成し遂げられたものではありません。
共にトップを目指した4人の重臣たちの存在があったのです。
その名も…まずは本多忠勝。
戦国最強とうたわれ生涯50余りの合戦で一度も傷を受けなかったという猛将。
続いて榊原康政。
四天王一の切れ者で常に先を読んで手を打つ策略家。
井伊直政。
「赤鬼」の異名を持ち強敵との決戦では常に先陣。
最後は酒井忠次。
徳川家臣団の重鎮にして組織のまとめ役。
四天王は弱小大名だった家康の下で組織の成長を図り僅か50年足らずの間に徳川家を戦国大名のトップへと押し上げます。
それはあたかも地方の小さなベンチャー企業が日本のトップ企業に上り詰めるようなもの。
そこにはいかなる理念や行動哲学があったのでしょうか?今回それを読み解くのが…
(実況)ちょっと乱れた。
さあ頑張れ!やった〜!眞鍋さんはオリンピックの舞台で28年間表彰台から遠ざかっていた日本代表に銅メダルをもたらします。
就任から4年でチームをメダルへと導いた背景にはどのような成長戦略や組織の活用術があったのでしょうか?天下を制した徳川四天王と眞鍋監督の発想を掛け合わせトップを目指す組織の在り方を探ります。
今日は家康はもちろんですが徳川四天王の知恵をたっぷりと味わって頂きます。
やっぱいたんですねこういう方たちが。
そうなんですよ。
この人たちがいないと家康も天下は取れてないと。
まさにそのとおりですね。
そこで今日のテーマはこちらです。
…という事ですね。
眞鍋さんはまさに世界のトップを目指すチーム作り。
ロンドンで銅を取ってで今度リオではもちろん…。
金メダルに挑戦してるんですけどね。
チームを作るうえで大事な事ってどんな事ですか?やはり目標をしっかり設定してその目標に向かって全員が同じ気持ちでまい進する。
やっぱりそれに尽きるのかなと思いますね。
いわゆる徳川四天王的な監督の周りを固める人たちももちろんいらっしゃるわけですか。
結構女子バレースタッフ多いんですよ。
僕があまりできないもんですから。
いやそんな事ない。
優秀なコーチ陣を…。
今コーチ5人います。
それプラスあとスタッフも結構…スタッフだけで1213名いますね。
という事はやっぱり…そうですね。
…という事ですね今回で言うと。
戦国の世でトップを取った家康ですけれども駆け出しの頃はねまだまだいろいろあったんですよ。
それをまず見て頂く前に突き出しがありますので。
あら!はいはいはいこちらでございますどうぞ。
あら?何だこれは。
これはですねまず徳川といえば家紋の葵の紋。
そして緑のトマト青いトマト。
これで駆け出しの頃の青い家康を見ていこう。
えっなんか…どうしたんですか?店長。
ちょちょちょっと…。
店長どうしたんですか?今日新装開店ですよね?そう。
それで気合い入れてきたんですけどね…。
愛知県豊田市の隣松寺。
ここに駆け出しの頃の家康を写し取った木像が残されています。
家康23歳の姿です。
引き締まった表情に鋭い目。
青年時代の気迫が感じられますがその日々は天下取りとは無縁。
苦悩の連続でした…。
およそ450年前三河の松平家に生まれた家康は8歳の時隣国の大大名今川義元に人質として預けられました。
弱小の松平家は家康を差し出しその見返りとして今川に保護してもらっていたのです。
しかし永禄3年桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれます。
この混乱に乗じて家康は人質生活から脱出。
19歳にして祖父の代からの居城岡崎に戻るといよいよ一国一城の主として領内の経営に乗り出します。
ところが…。
領内の一向宗の門徒たちがなんと家康追放を求め反乱を起こします。
実はそれまで支配者として君臨していた今川家は一向宗に対し税を免除し地域の自治も認めていました。
しかし独立に燃える家康は兵糧を備蓄しようと寺からも積極的に税を徴収します。
そのため既得権益を守ろうという一向宗の人々から徹底抗戦を受ける事になったのです。
この時一向宗の拠点となった本證寺。
本堂のすぐ横に当時の様子をうかがえるものがあります。
家康軍と戦うためにつくられた土塁と堀。
長年風雨にさらされて小さくなっていますが当時高さは4m深さも4mあったといいます。
一向宗は家康軍をどのように迎え撃ったのでしょうか?よろしくお願いいたします。
おりゃ〜!や〜っ!あっ…。
まだまだ〜!ええいっ!あああ〜っ!ハァハァ…。
更に寺から100mほど離れた地下から堀の跡が見つかりました。
調査の結果幅7m深さ2mの堀が寺を取り囲むように400mにわたって掘られていた事が分かったのです。
まるで軍事要塞のように武装化を図り家康を追放しようという本證寺。
なんとここには家康の家臣たちも加わっていました。
なぜか?これは本證寺の門徒たちが寺をもり立てる事を誓った連判状。
そこに署名した109人。
なんと大半が家康の家臣でした。
つまり彼らは家康の家臣でありながら一向宗の熱烈な信者でもあったのです。
このため家康の家臣の多くは仏に逆らうと仏罰が下ると考え一向宗との戦いに消極的でした。
中には戦の最中主君である家康のもとを離れ敵に寝返る者まで現れます。
身内が敵味方に分裂。
戦いの中で家康も銃撃を受けます。
新しい領主として立ち上がった若き家康。
しかし求心力も組織力もなく窮地に追い込まれる事になったのです。
なんかもう…。
徳川家康のあの肖像画のイメージありすぎて二十歳の頃があったという感覚がないですもんね。
あのどんと座ってるイメージがやっぱ強いですもんね。
当然若い日もあったんだなと認識しましたもう一回。
家康と四天王の話してるみたいですけど。
そうなんですよ。
小和田さんですよ。
先生ご一緒にどうぞどうぞ。
…と言ってもいいんじゃないかなと思うんですよね。
えっどういう事ですか?日本人というのは戦国時代裏切りとか寝返りとかね当たり前だったわけですよね。
でそれを三河武士はそういう事もなくて…そういう家臣団がそのあと天下を平定し日本をつくってったわけですからその後のね。
だから今の私たちにそのままある意味では意識としては伝わってきてるというそんな感じはしますね。
すごいな。
ビビるさんもこんな家康の若い頃があったんだと。
やっぱりそれほど三河の一向一揆激しい戦いだったんですか?そうですね。
これはもうだって自分の家臣ですら自分に刃向けてくるわけですよね。
これは家康が今川時代にやってた事をいっぺんに否定しちゃった。
勇み足っていうとこもあるかもしれないですね若気の至りでね。
眞鍋さんも最初の頃力が入って選手たちの反発を招いた事ってあったんですか?ありましたね。
私は男子から女性の監督にいきなりなりましたから。
まず初日です。
初日。
こっちはねいろいろプランを組んでプレゼンを選手の前でしてさあこれから頑張るぞという時に選手の顔色見るとぽかんとしてるんですよねずっと。
今まで男性だと私が話をすると相づちを打ったりするんですが女性一切しないんですよ。
それを見て「これ何なのかな?」。
えっそれどうやって改善していったんですか?女子バレーの選手はよくカット行ったり美容室によく行くんですよ。
そこで当然私あんまり気付かないですよね。
その時に女性のマネージャーが休み明けの朝私に誰が髪を切って少し色をかえたかというの私に情報くれるんですよ。
え〜っ!?その情報を聞いてその日は早く体育館に行って選手に「あっ木村沙織少し色かえた?」と言うと「監督分かりますか?」「ああ分かるよ」と言うだけでモチベーションアップしますよね。
完全に女心ですね。
確かにそういう事ひとつで「監督はちゃんと私を見てくれてる」という感覚にやっぱなるでしょうね選手は。
そういう事か。
家康も本当大変だったわけですよ。
独立したと思ったらいきなり組織分裂の危機に陥ってしまった。
そこで登場するのが四天王の知恵でございます。
はい。
まず登場するのがこちら。
切れ者として知られていました榊原康政の知恵。
当時家康は22歳榊原は16歳ですよ。
16歳?そんな人いたんですか?そうなんです。
若いながらもなかなか切れ味鋭いですよ。
どうぞ。
うわぁうわぁ!酔いそう!家臣たちが敵と味方に分裂し窮地に追い込まれる事になった家康。
この危機を救ったのが四天王一の切れ者と言われた榊原康政。
当時は小平太と呼ばれ16歳の若者でした。
榊原康政がまつられている新潟県上越市の榊神社。
この神社の御神体を特別に見せて頂きました。
榊原にとって三河の一向一揆の戦いは初陣でした。
その時着用したという具足です。
胴回りは60センチほどで簡素なつくり。
当時の榊原は身分が低く小柄だった事がうかがえます。
胸には「無」の文字がデザインされています。
旗印としても掲げたこの文字は榊原の性格を象徴しています。
榊原は味方が戦に消極的な様子を冷静に見据えます。
そして戦況を変える一手を打ちます。
実はこの時の榊原は武将としてマイナス要因ばかりでした。
まずこの合戦が初陣で戦の経験がないためその能力は未知数。
更にそれまで仕えていた上司と実の兄は家康を裏切り一向宗側についていました。
そのため命の奪い合いともなれば榊原は躊躇し活躍できないのではないか。
陣立てで榊原は前線より遠く離れた後方に配置されてしまったのです。
ところが榊原は突如家康の前に進み出るとこう進言します。
そこには榊原ならではのねらいがありました。
若く初陣の自分が先頭で戦えば他の武将に刺激を与える事ができる。
更に身内に対する情けより家康への忠誠が第一である事も伝えられる。
家康は提案を受け入れ榊原康政を先陣に指名します。
戦場に出た榊原は味方を前にある言葉を叫びます。
「仏罰」というマイナス要因を自分が引き受けると宣言する事で味方が思い切って戦える状況を生み出したのです。
家康軍は駆り立てられ皆猛然と一向宗に突撃していきます。
軍事要塞となっていた本證寺なども次々と陥落。
榊原によって事態が一気に好転しました。
こうして家康は一向一揆を平定し勢いそのままに三河一国を治める事に成功しました。
言ってみれば天下取りレースへの参加資格を手にしたのです。
えっ16歳でしたっけ?あの方。
16歳です。
いやちょっと何ですかその精神年齢は。
恐ろしいもんがありますね。
しかも未経験ですからね戦場。
うわ初陣ですもんね。
それこそ初陣であれだけの手柄を立てるというのは年長の武将たちもね「負けちゃいられないぞ」という思いにはなったと思いますし。
それからやっぱ家康のそういうなんて言うのかな…。
4年前ですかね普通バレーボール国内リーグ一番上が8チームあるんですね。
その大体8チームの中から代表メンバー選考するんです。
しかしながらその下のリーグの日立の江畑という選手がいたんですよ。
下のリーグですから相手チームはやっぱりレベルは低いんですね。
でもよくアタック打つんですよ。
だから一回世界と試合をしたらどうなるのかな見てみたいなと思って代表に選びました。
結果は残したんですか?あのロンドンオリンピックですね〜。
ベスト8からベスト4に上がる大事な試合だったんですね。
相手は中国。
中国とあれだけの試合をしたの初めてです。
オリンピックで中国に勝ったのも初めてなんですよ。
強いんですよ中国は。
その試合で江畑が最後もう大活躍をしました。
1試合で33得点しましたから。
「この選手だけには負けられない」というのが。
そうすると…起用する方も勇気が要りますよねこれって。
実績のない選手を引っ張り上げるっていうのは。
でもその当時私監督になったばっかりですから私自身がやっぱり固定概念を払拭しないと背の低い女子バレーが世界に勝てないんですよ。
それだったら一芸に秀でてる選手を呼んでそのあとはその周りの選手がカバーフォローしていこうというやり方をやりました。
オールマイティーじゃなくて何かに秀でていればそこにこう…何かこう鉱脈を見つけられる可能性が…。
ありますね。
あるんですね。
スペシャリストですよだからねピックアップして。
それで結果が残るわけですもんね。
三河を治める事に成功した家康。
更なる勢力拡大を目指そうとしても今川家や武田家といった強敵から領地を守るのが精いっぱいでした。
そこで注目したのが飛ぶ鳥を落とす勢いだった隣国の織田信長です。
家康は嫡男の信康を信長の娘と婚姻させます。
信長の力を頼る事で徳川を守ろうという必死の生き残り戦略でした。
ところが天正7年。
その生き残り戦略を継続するか否か岐路に立たされます。
その難題に直面したのが四天王の一人で…家康の叔父に当たり徳川家臣団の筆頭にいた人物です。
事件は信長が琵琶湖の湖畔に壮大な安土城を築いた時に起きました。
城の完成を祝福しようと…そこで耳を疑う言葉をかけられるのです。
実は事前に信長のもとに一通の密告書が届けられていました。
差出人は信康に嫁いだ信長の娘です。
「信康はひそかに武田家に内通し織田家を滅ぼそうと画策しています」。
「謀反の企てか!?」。
信長は重鎮の酒井を糾弾します。
この時疑いをかけられた信康は徳川家の有望な跡取りとして家康はじめ周囲の期待を一身に背負っていました。
酒井としては跡取りを守り疑惑を否定したいところ。
しかしそれは信長に逆らう行為に等しく徳川が敵と見なされる危険があります。
反対に謀反の疑いを認めれば信康がただでは済みません。
優先すべきは徳川の戦略か?嫡男か?酒井は究極の選択を迫られます。
覚悟を決めた酒井は信長にこう告げます。
「信康公は近頃荒々しい行動ばかりが目立ち家臣たちがいさめても聞く耳を持ちません。
良くない事ばかりを考え我々に接する態度はまるで敵のようなありさまです」。
それは信長との同盟によって徳川を守るという戦略を最優先に考える行為でした。
信長は有無を言わさず信康の処分を命じます。
その命令を聞いた家康はこう漏らします。
「是非に及ばず」。
酒井が信長に返答してから僅か2か月後の事でした。
ここは江戸時代酒井忠次の子孫が藩主として治めた場所です。
今もこの地には忠次から数え18代目の当主忠久さんが暮らしています。
この神社の一角には酒井家が代々特別に大切にしている場所があります。
(酒井)そういう事も含めてですね…徳川が生き残るためには大きな代償も受け入れなければならない。
酒井が貫いた覚悟でした。
それにしてもね家康は酒井の報告どんな気持ちで聞いたんでしょうね。
この場合は家康としては信長には逆らえないっていうね。
ですから…ですから家康もある程度まあしかたないなっていう感じだったと思いますね。
眞鍋監督は選手だったりコーチだったりが自主的に決断して報告があったら…。
私は特にコーチ陣とはいろんな話をする中でやっぱり同じ目標に向かってやってるわけですからやっぱりそれだけ重要な決断をしたんであれば私はそのコーチ陣の話を尊重しますよね。
戦略という点では最近何か新しい戦略を立てたというのはあります?そうですね去年「ハイブリッドシックス」っていうのをね一応やったんですよね。
何ですか?それ。
ハイブリッドシックス?ロンドンから2年。
世界一を取るために打ち出した新戦略がこちら。
これまでのバレーはクイック攻撃を行うミドルブロッカーサイドからスパイクを打つウイングスパイカーなどポジションごとに役割が決まっていました。
しかしハイブリッドシックスはその常識を覆しセッター以外の選手全員が自由自在にスパイクを狙います。
相手のディフェンスに的を絞らせない事で世界の強豪たちを倒そうというのです。
いろいろとバレーボールの歴史を振り返ってみたら東京オリンピック東洋の魔女が「回転レシーブ」という新しい技で。
ミュンヘンオリンピックでは男子が「時間差攻撃」という新しい攻撃で。
モントリオールオリンピックで「ひかり攻撃」という新しい攻撃で。
その3回とも新しい戦術で勝ってるんですよ。
だから何かをしないと勝てないという発想で今そのハイブリッドっていうのをいってます。
当初受け入れられづらかったとかありました?やっぱり新しい事をすると当然リスクがあって反対意見も多いですけどね。
ジャンプの時に流れてケガの心配もしないといけませんし日頃使わない筋肉も使うんでまあそこはやっぱりそれだけのリスクを負ってもそこをやらないと世界には勝てないという思いがあるからやりました。
戦略を貫き通す覚悟というのはどうやったら持てるんですかね?私は自分の中でやっぱり新しい事をする時にはもう完璧にしていきます。
ある程度自分のノート上で何回もシミュレーションをしてこれならいけると思ってまずはコーチ陣に私がプレゼンします。
そしてコーチ陣が「あぁこれはいける」となって確信をとって最終的に覚悟を決めて選手たちに発表します。
でもやっぱり覚悟がないとやっぱり新しい事をやっても成功しないと思うんですね。
だからやっぱりそういうふうに私はやってます。
続いての知恵なんですけれども信長と共に天下を目指す家康なんですけれども突然生涯最大とも言うべき危機が訪れるんです。
そこでまた四天王の知恵が出てくるわけですけれども今度はこちら。
戦国最強とも言われました本多忠勝の知恵でございます。
家康に「過ぎたるもの」とも言われた人物の知恵どうぞご賞味下さい。
京都の本能寺にいた信長が明智光秀の謀反によって自害します。
家康がその知らせを受けたのは堺見物を終え僅かな供と京に向かっていた時の事。
明智軍1万数千が次に狙うのは信長の同盟者である家康の命に違いない。
しかし家康一行は四天王を含めた34名。
まさに絶望的な状況でした。
更に家康の首に懸賞金がかけられたため各地の地侍などが狙ってきました。
家康はすぐに決意を固めます。
「討ち取られて恥をさらすわけにはいかん。
一番に切腹しようぞ」。
当時…そのため家臣たちは止める事ができません。
それを制止したのが戦国最強とうたわれた本多忠勝でした。
誰もが押し黙る状況で本多だけは逆転の発想でこう提案します。
「本国へ帰り速やかに軍勢を集めましょう。
光秀を討ち信長公の手向けにしようではありませんか」。
本多はこの状況がピンチではなく信長の無念を晴らすチャンスと捉え具体的な目標を打ち立てたのです。
発想の転換によって家康や四天王の心境が変化します。
重鎮の酒井忠次はこう言います。
こうして「伊賀越え」と呼ばれる大移動が決行されます。
光秀のいる京を避け山城甲賀伊賀と抜け伊勢湾から船で岡崎城に帰る優に200キロを超える行程です。
土地勘がないうえいつ敵が出てくるか分からないルートですが光秀を振り切るため一日でも早く駆け抜ける必要がありました。
では明確な目標を持ち気持ちを切り替えた一行はいかにして伊賀越えを行ったのでしょうか。
出発して間もなく一行は地元の有力者平井家に立ち寄りました。
その理由が平井家の家系図から推測されます。
すごい!ここに「三河国」。
あっここ。
この平井家はもともと三河の出身で伊賀越えの前にこの場所に引っ越していたのです。
この時一行は平井家から農民2人を雇い道案内させました。
信頼できる家を頼り裏切られる危険性を避けたと考えられるのです。
続いて伊賀国柘植にある徳永寺に立ち寄ります。
一行はこの寺で一杯の茶を振る舞われます。
その礼として家康は…更に家紋まで与えました。
本多忠勝が家康から授かった家紋です。
こうした寺への大盤振る舞いは檀家である土地の人々の心をつかみ交通の要衝を難なく通過する布石となったと考えられるのです。
あらゆる手を尽くして道中の安全を確保する一行。
しかしついに地侍など数百人に見つかってしまいます。
この絶体絶命のピンチで自慢の槍を繰り出したのが本多忠勝です。
本多が伊賀越えの時手にしていたのがこの蜻蛉切。
止まろうとしたとんぼが真っ二つに切れたというほどその切れ味は抜群でした。
本多はその槍で敵を撃退。
こうして一行は4日間の大移動の末三河に帰る事に成功したのです。
これほんとなんですか?この伊賀越えっていうのは。
「神君伊賀越えの危難」という言い方しましてねやっぱり一番家康の一生の中でも大変な時という言われ方して。
これふだん冷静沈着なあの家康が「もうここで切り死にするぞ」みたいな事を言ってそれを本多忠勝が押しとどめたという話なんですけど。
本多忠勝のひと言とあと蜻蛉切で何とか切り抜けたこの武功っていうのはすごいと思いますね。
信長が死んで急にこう…危機的な状況に陥ってしまったわけですけれども眞鍋監督は突如として絶望的な状況になってしまったご経験っていうのは…。
特に試合でブラジルとかアメリカとか強いんですよね。
一方的に先にブワッと行かれるケースがあるんですよ。
まさしくそれでしょうね絶望的な感覚は。
そういう時どうやって新たな目標というか立てて臨んでいくんですか?今バレーボールは8点16点という自動的にテクニカルタイムアウトが入るんですね。
ですから選手に言うのは…先に日本が8対7でも8対0でも……とは言いながら今日は厳しいかもなって思う事はないですか?それはねバレーボールねこのセットを極端に一方的に負けても大逆転する可能性があるんですよ。
やっぱり我々スポーツは結果がはっきりしてますから。
結果はあくまでも結果なんでやっぱり自分たちで目標を持って全員で一致団結してというふうに思ってるからう〜ん…楽にやれるというかまあそうなんですかね。
今回ここまで四天王の知恵を3本見てまいりました。
それぞれ違うんですね役割がね。
それは分かったんですけどあともう一人いますよね。
もう一本四天王の一人井伊直政があるんですけれどもこれちょっと次回にしようかなと。
何で今日駄目なんですか?ちょっと…。
ちょっとこれは取っておこうかなというこうね。
取っておこうかなってなんですか。
「4本ありますよ」って言ったの店主じゃないですか。
2015/05/05(火) 12:00〜12:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 トップを目指す組織とは「徳川四天王」(前編)[解][字][再]
戦国の世を制した徳川家康。その陰には「徳川四天王」と呼ばれる4人の重臣たちの活躍があった。戦国最強の幹部チームから、トップを目指す組織に必要な戦略と知恵を学ぶ。
詳細情報
番組内容
戦国の世を制した徳川家康。地方の弱小大名だった家康が天下人にまで登り詰めることができたのは、「徳川四天王」と呼ばれる4人の重臣たちの活躍が大きかった。彼らはそれぞれの強みを生かし、互いに補い合って家康を助け、数々の危機を乗り切っていったのだ。それはあたかも、一弱小ベンチャー企業が業界トップへと登り詰めるサクセスストーリーのよう。戦国最強の幹部チームから、トップを目指す組織に必要な戦略と知恵を学ぶ。
出演者
【出演】バレーボール全日本女子監督…眞鍋政義,ビビる大木,【司会】近田雄一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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