「NHK短歌」司会の剣幸です。
今日もご一緒に短歌を楽しみましょう。
それでは早速ご紹介致します。
第一週の選者は佐佐木幸綱さんです。
よろしくお願いします佐佐木さん。
冒頭の一首のナレーションありがとうございます。
短歌にはねたくさん作ってると運のいい短歌と運の悪い短歌があるんですけれどねこれとても運のいい短歌でいろんな方に引用して頂いたり新聞とか雑誌とかそういうのに出してもらえたり僕の短歌にしては運のいいやつの一つ。
さわやかで今の季節にぴったりという感じですね。
ありがとうございました。
それでは今日のゲストです。
作家の村岡恵理さんに来て頂きました。
ありがとうございます。
よろしくお願い致します。
村岡さんはご存じのとおり昨年大ヒットした「花子とアン」の原作の作者でいらっしゃって花子さんのお孫さんでいらっしゃるんですね。
お写真があります。
こちらご覧下さい。
これはですね昭和43年の夏に東京の大森の家で撮ったものでこの赤ちゃんが私なんですけれど。
手前の一番お小さい方ですか?この2か月後に祖母亡くなっているので本当に最晩年の写真です。
祖母の村岡花子は英文学の翻訳家として知られてるんですけれども実は非常に若い頃から短歌を愛しておりまして幸綱先生のおじいさまに当たる信綱先生のもとで一生懸命短歌を学んでいたんですよね。
一時は本気で歌人になりたいという憧れも持ってたぐらい一生懸命歌人を目指して勉強していた時期がありました。
そのお話は後ほどゆっくり伺いたいと思います。
それでは今週の入選歌です。
ヘトヘトに疲れてね帰ってきてそれから明日の朝また出ていかなくちゃならないというね厳しい現実なんですけれどもそれを非常にシンプルにうまく歌っておられると思いますね。
僕も前会社にいたり学校の教師やっててねこういう思いがありますけれども。
恵理さんは?これとってもよく分かりますね。
この方もしかしたら号泣したのかなっていう気がしますけれども私もよくしけったり腐ったりする事があるので本当にお天気のいい日なんかは物干し竿にぶら下がってたいと思う時ありますから本当によく分かります。
心がクシャクシャでシワシワをビャッと伸ばしてリセットという力強さも感じますね。
頑張ってって言いたくなります。
では二首目です。
集団の中で自分が変化していく。
どうしても変化していくわけですけれどもその辺りの微妙なところをうまく言っておられると思いました。
職員会議なんていうのはわりと多数決になるんでねその辺りのところなんだろうと思いますけども。
では次です。
お母さんと子供さんが手をつないで春の陽の中を歩いて行くという歌なんだと思いますけどね。
「咲かせる」という字は笑うというふうにも読むんですね。
ですから何となく子供さんが笑っているようなそういうイメージが読者の方にふっと伝わってくる。
そこがポイントになってると思いますね。
温かい感じしますね。
そうですね。
では次です。
悲しい歌なんですけれども悲しいって事はひと言も言ってないですね。
上の句の方は自分も炎に焼かれているようなそういうイメージなんだという事をおっしゃってるんだろうと思います。
焼き場で待ってるところの歌ですけどね。
つらい歌を結構サラッとしかし深く言っておられますね。
では次です。
上の句の方は随分動きがありますね。
歌は動きを表現するのも一つポイントになるわけですけど下の句はお母さんの首の所に抱きついてきてるような感じがとてもうまい描写がうまくいってる歌だと思いますね。
はいでは次です。
よく日本語の特徴だというふうに言われますね。
いろんな1人称の呼び方があるというところそれをとても翻訳という場に限定してとてもうまく読者の方に伝わるようなそういう場の設定のしかたがとても上手だと思いますね。
作家の恵理さんはどうでしょう?確かにこれどう訳すかによって本当にそのキャラクターが変わっていきますよね。
祖母の代表作である「赤毛のアン」も原稿用紙を見ると最初はアンの言葉に「わたし」と訳してるんですけれどもそのうち推敲のあとで「あたし」に直してるんですよね。
確かに「あたし」にした方が元気がいいというかね。
歌でもあるんですよ。
越路さんがよく歌った歌なんかは岩谷さんの詞で「あたしは」という歌詞が出てくるんです。
やっぱり「わたし」とは全然違うんですね。
翻訳劇もこういうところの訳し方は難しいなと思っていつもやっております。
いいところを歌にしたんですね。
では次です。
音楽とか絵画とかあるいは写真とかそういう芸術作品を歌にするのがわりとあるんですけどねこれはマグリットというシュールレアリスムのベルギー人だったですかね?有名な絵ですね。
空中に浮いてるという絵ですけどね。
それを持ってきて最後の「われを軽くす」という現実の「われ」が相対化されてしまうという意味なんでしょうけどねとてもシンプルに言っておられて説得力のある歌と言ったらいいでしょうかね。
では次です。
ユーモアな歌というかご自身を戯画化されている作品ですけどね。
「谷の泉の水呑めば」というところがとてもいい。
どういう場でそのユーモアを言うかですよね。
場がいいんだろうと。
山の中のイメージですから猿が自然に出てくる。
これが鏡の中とか洗面器じゃ全然面白くない。
自分の立地じゃ駄目。
わざとらしくなっちゃうね。
とても素直にスッといける。
いいですね。
では次です。
「黒板の日付を消して我は先輩」というリズムの切れ味がいいというのかな。
言葉の持ってる音楽がとてもいいと僕は思いました。
当番が黒板を消さなくちゃいけないんだよねきっとね。
もう1年生終わり次2年というんだと思いますね。
とてもいいですね。
恵理さんはどうでしょう?次に先輩になるという誇らしい思いというかねそういうのが伝わってきて「僕」から「我」になったという感じでかわいいなと思いました。
ここも「我」って使うか「私」とか「僕」って使うのとは随分イメージ変わってくるんですね。
最後「僕は先輩」よりは「我は先輩」の方が大人っぽい感じ。
なるほど。
はい以上「入選九首」でした。
それでは特選の発表です。
まず三席をお願いします。
中澤晋也さんです。
では第二席お願いします。
湯前幸江さんです。
それではいよいよ一席をお願い致します。
中込有美さんの作を一位にしました。
とっても幸せそうなお母さんの歌ですね。
お母さんである事に充実しきってるようなそういう歌です。
短歌はわりと不幸せを歌うのが上手なんですけどね幸せなのを歌うといい気になってると読者はねそういうふうに思えちゃう。
この作者この作品はそういう事がない読者の方にもきちっと説得力があって幸せを伝えるというそういうところがあるように思います。
作品の言葉の一つ一つがとてもうまく働いている。
その事によって今申し上げたような説得力のある歌になったと思いますね。
以上入選作品のご紹介でした。
それでは続いて惜しかった一首の添削です。
作品はこちらです。
「氷」という秋田の方言でしょうか。
これをとてもうまく使っておられていいと思いました。
テレビの中と現実の私との間のギャップのようなものがクローズアップして春と冬の間のデリケートな移りを歌っておられていいと思いました。
短歌は全部続いてなくていいので間に区切りを入れるといいんです。
「句切れ」という言葉を使いますけど。
それでこうなりました。
「満開なり」で切れるんですね。
こういうのを「三句切れ」というふうに言いますけれどもそうすると「満開なり」の間に時間的な空間ができる。
そうすると後ろの方との対比が非常にうまくいくような形になりますので切られるのがいいと思います。
参考になさって下さい。
ありがとうございました。
では投稿のご案内です。
続いて選者佐佐木幸綱さんのお話です。
鉄幹のとても有名な短歌を引用しておきました。
われはこうありたいという明治の男のある理想を歌った歌なんですね。
今の我々から見るとちょっと古めかしい感じですけれども人を恋うる歌っていうのがこの人の歌う歌でありますけどそれなんかに通じている歌だと思います。
古典和歌では実は自分の事とかプライベートな事をあまり表現しちゃいけないというルールではないですけれども暗黙の了解があったんですね。
古典和歌をずっと詠んできても家族の歌とか病気の歌がほとんどないのはそういうためなんですね。
個人的な事は言わない。
それが与謝野鉄幹の歌集に詩歌集なんですけれど「東西南北」というのがあります。
ここにはそれの自分で書いた序文が出ていますけどね。
ここで与謝野鉄幹は自我の詩という事を言います。
そしてプライベートな事私的な事を短歌で言ってもいいのだ。
…というふうな事を言うんですね。
「東西南北」という詩歌集にはかなりプライベートな事を歌った歌があります。
そして実は中には調べてみるとちゃんと詞書きが入っていて彼が何かをやったというふうに書いてあるんですけどね調べていくと何年か前に題詠の歌として新聞に発表したりなんかしたのがあるんです。
ですからインチキといえばインチキな感じがしますけれどそれはある文学の曲がり角になってるのでね文学史の曲がり角になってそこでもってかなりそういう強引な事をやって文学史の中で禁止されていた事をあえてやるというそういう事をここでやり始めます。
それから10年ぐらいたつともう木の時代になりますけど木はプライベートな事たくさん歌いますよね。
病気とか子供の事とかね。
そういうふうなものがわりと一般的になってくる。
その10年以上前の歌集がこの「東西南北」という詩歌集だったという事です。
ありがとうございました。
それでは続いて今日ご紹介する歌はこちらです。
恵理さんこの歌…。
これはですね祖母が27歳の時ですね結婚した翌年初めて子供を授かってお母さんになる喜びを歌った歌です。
幸せな歌ですね。
そうですね。
祖母は十代の頃に英米文学ばかり読んでたんですけれども信綱先生のもとに行って歌を勉強してあるいはその古典文学の講義を聞いて日本語の美しさ語彙の豊富さというものに本当に改めて感動するんですよね。
こんなに日本語は美しいものだったのか豊かなものなのかというふうに。
十代の終わりの頃ですね。
その当時信綱さんの所にはどんな方がいらっしゃってたんですか?片山廣子とか劇にも出てきた柳原白蓮とかねそういう人たちがおられたようですね。
信綱は噂では女のお弟子さんが多いと。
何人ぐらいでしょうか?1,000人ぐらいという噂をね。
まあ噂ですから。
当時なかなか女流に門戸を開いている歌壇が…。
そんな事はなかったと思いますけどね誰だって入れるんだけどもただ「あららぎ」がやがて出てくるわけですけど「あららぎ」はわりと女の人に厳しかったんですね。
そういう事もあったんだと思いますけど。
短歌をおやりになっていた後に翻訳家を目指されるんですよね。
それは誰かの助言とかそういう事があったんですかね?もちろん信綱先生がもしかしたら本当は花子は歌人になりたいと一時本気で思って一生懸命歌を詠んでたんですけれどももしかしたら信綱先生はこの子は歌の子じゃないなと見抜かれてたのかある時祖母に一冊の本を手渡すんですよね。
森外の訳の「即興詩人」をこれを読みなさいというふうに手渡されてそれで初めて翻訳文学というものを意識したというふうに書いてます。
翻訳家として決意なさるんですけれども村岡さんの著書「アンのゆりかご」には後に翻訳家として成功する花子さんの計り知れない苦難の道が記されていますね。
先ほどもお写真ありましたけれどもお亡くなりになった道雄さんは何歳だったんですか?6歳のお誕生日の直前に疫痢という病気にかかってこつ然と亡くなってしまうんです。
その時のいい歌もあるんですよ。
僕は読みましたけれども。
それから復活するきっかけみたいなものは?一時ペンを折ってしまうぐらいの絶望の淵に突き落とされたんですけれどもそこで花子を励まして下さるのが先ほどお名前にも出た信綱門下を代表する女流歌人の片山廣子さんだったんです。
片山さんがマーク・トウェインの「王子と乞食」を花子に手渡して久しぶりにその本を読書に没頭して読んだ花子は読み終わった時に自分の子供は亡くしたけれども日本中の子供たちのためにこういう本を紹介していこうというふうに再生していくわけなんです。
片山廣子っていう人はねアイルランド文学を翻訳しておられるんですねたくさん。
松村みね子というペンネームですけど。
そういう事もあっていろいろ世界に目を広げた方がいいよという事をサジェスチョンをしたんだと思いますけどね。
その当時の事を恵理さんのご著書から紹介させて頂きたいと思います。
村岡恵理さんの「アンのゆりかご」より。
「実に3か月半ぶりの読書だった。
本を読む気力すら失っていたのである。
読み終えた時啓示にも似た閃きが走った。
七歳にして世を去った道雄は私のうちなる母性に火を点じてくれた神の使でした。
誇るべき男の子をもたぬ悲しみの母でもありますけれど一度燃やされた貴い母性の火を感傷の涙で消し去ろうとは決して思いません。
高く高くその炬火をかかげて世に在る人の子たちのために道を照らすことこそ私の願いです。
神が定めた運命に従おう。
自分の子は失ったけれど日本中の子供たちのために上質の家庭小説を翻訳しよう。
花子の中で一人の母としての母性が広く普遍的なものへと成長を遂げた」。
そしてそのあとは…?そのあとほんとにカナダ人宣教師の先生たちから仕込まれた英語力と信綱先生に仕込まれた日本語の感覚というかそういうものが融合するような形で翻訳家としての道をまっしぐらに歩いていくわけなんです。
そして戦争中に運命の一冊というか「赤毛のアン」の原作に出会ってそれをひそかに訳し続け戦後出版されるという運びになります。
みんな全ての子供たちのためにという感覚がだからこそ今でもずっと読み継がれているんですよね。
でも生涯自分は佐佐木信綱先生の不肖の弟子だって言い続けて歌に対する短歌に対する尊敬というか憧れというものを忘れませんでした。
少女時代すごかったんです。
打ち込み方が。
その清書のノートを見た事ありますけどね何百首ってあって一つも直してないんですね。
しかも丁寧に心を込めて清書したんだと思いますけども。
お人柄が偲ばれますね。
真面目な方だったんでしょ?一途だったと思います。
好きなものに関して一生懸命になるというタイプだったんだと思いますね。
書く事もお好きだけれど何かこう優しさがにじみ出ているお写真でしたよね。
「全ての子供たちに」というところが何か私今心を打たれますね。
ありがとうございます。
ご自身は短歌は?はいもう…頑張ります。
急にちっちゃい声に。
おやりにならないんですか?今日をきっかけに…。
是非!私も初心者で佐佐木先生とか…。
なさってるんですか?なさってるというほどじゃないんですけどいろんな方に教えて頂いて細々と書いて「はいこれ駄目」って添削もして頂いたりもしてるんです。
今度先生にも書いて持っていきますのでまた見て頂きたいと思います。
よろしくお願いします。
難しいですでも。
なかなか簡単にその短い中で説明するというのがなかなかですけれども頑張ってやっていきたいと思いますので今度ともよろしくお願い致します。
(チャイム)それではそろそろ終わりの時間となりました。
今日は村岡恵理さんにお越し頂きました。
村岡さんありがとうございます。
ありがとうございました。
佐佐木さん次回もよろしくお願い致します。
それでは皆様次週お目にかかります。
2015/05/05(火) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「われ」[字]
選者は佐佐木幸綱さん。ゲストは作家の村岡恵理さん。村岡さんの祖母村岡花子さんは「赤毛のアン」の翻訳者。幸綱さんの祖父信綱さんから短歌の手ほどきを受けたという。
詳細情報
番組内容
選者は佐佐木幸綱さん。ゲストは作家の村岡恵理さん。村岡さんの祖母・村岡花子さんは「赤毛のアン」の翻訳者。幸綱さんの祖父・信綱さんから短歌の手ほどきを受けたという。【司会】剣幸
出演者
【ゲスト】村岡恵理,【出演】佐佐木幸綱,【司会】剣幸
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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