ハートネットTV シリーズ 戦後70年 第2回「高齢者をどう支えてきたか」 2015.05.06


は〜いふくにゃんよ。
今年は戦後70年。
歴史の事なら私に任せて。
今日は岩手県の西和賀町という所に来てるのよ。
この町の高齢化率はなんと44%。
住民の半分近くがお年寄りって事よね。
かつてこの地域は沢内村っていって高齢者を支えるある取り組みで全国から注目されていたの。
奥羽山脈の中に全国で一番医療サービスの行き届いた村があります。
日本でただ一つ60歳以上の老人医療費が無料です。
村民を包み込むような手厚い医療サービス。
その拠点となってきたのが沢内村立沢内病院です
そうなの。
60歳以上であれば誰でも無料でお医者さんに診てもらえたの。
まさにお年寄りのユートピアって感じよね。
過去の歴史から未来を考える「シリーズ戦後70年」。
第2回は高齢者をどのように支えてきたか振り返ります。
終戦直後戦災孤児などの救済が課題となる一方で高齢者への対応は立ち遅れていました。
その後目覚ましい復興を遂げる中全国に広がっていったのが老人医療費の無料化でした。
しかしこの政策は入院の長期化や医療費の急増などさまざまな問題を引き起こしていく事になります。
更なる高齢化を前にお年寄りをどう支えていけばいいのか戦後70年の歩みからその手がかりを探ります。
こんばんは。
「ハートネットTV」です。
戦後70年の歴史を振り返り未来へのヒントを探るシリーズ2日目の今日は高齢者をどう支えてきたかについて見ていきます。
今日はゲストに医師の鎌田實さんにお越し頂きました。
よろしくお願いします。
鎌田さんは40年にわたって地域医療に携わってこられましたが日本の高齢化について今どんな事を感じてらっしゃいますか?僕自身今66で団塊世代の真っただ中でちょうど2015年というのはその団塊世代が高齢者になって大体のそのグループが全員高齢者になっている。
もう一回お年寄りたちを支えるシステムを日本で安定的に作り出すかというのが今問われている大事な時期だと思いますね。
そうなんですね。
すごい課題がある訳ですね2015年の。
そうなんです。
だから世界中の先進国が高齢化を迎えていく訳ですけど日本はその先頭を走っている訳で世界は日本を注目していると思いますよね。
そうなんですね。
実は鎌田さんここにふくにゃんがいるんですけどもふくにゃんもだいぶ長生きしてらっしゃるんですよね。
ふくにゃん!そうなのよ。
もう年なんか忘れちゃったけどね。
(サヘル)あらそうなの?さっきから高齢化が話題になっているけど終戦直後65歳以上のお年寄りの割合どのくらいだったかご存じ?サヘルさん。
いいえ。
正直考えた事なかったです。
すみません。
正解は4.9%。
随分若い国だったのよね。
あっ…ですね。
4.9?ですから20人に1人。
信じられないね。
これを見てちょうだい。
1950年に4.9%だった高齢化率はその後どんどん上がって25.1%。
国民の4人に1人が65歳以上のお年寄りって事よね。
医療費もぐんぐん増え続けなんと今や39兆円。
このうち半分以上が高齢者が使った分っていうんだから大変よね。
そうですよね。
でも長生きできているって事はすごくすばらしい事の一面でもあるんですけどもその一方で取り巻く環境っていうこの状況が結構大変なんですね。
そうですよね。
お年寄り自身も大変なんです。
どうなっちゃうのかなって。
自分の老後がどうなっていくかっていう問題。
だけどそれを支える若者たちにとってもこれが上手にやってもらえなければ自分たちが背負わなくちゃいけないなんてとんでもない事ですよね。
若者たちが生き生きと自分の人生をちゃんと生きれるようにするためにはこの高齢化社会をどう乗り越えるかってお年寄りにとっても若者たちにとってもみんな大切な問題だと思います。
ではこの先どうやってお年寄りを支えていくのかそれを考える上で大きな出来事が1973年にありました。
実はこの年70歳以上の高齢者の医療費が無料になったんです。
老人医療費無料化。
この年を境にご覧のように医療費がぐ〜んと伸びているのが分かりますよね。
そのきっかけとなったのが岩手県の旧沢内村の取り組みです。
この取り組みと全国に及ぼした影響についてご覧頂きます。
半世紀ほど前の岩手県の旧沢内村を取材した番組です。
「沢内三千石お米の出どこ」。
「沢内甚句」で有名な岩手県沢内村は盛岡市からバスで4時間。
奥羽山脈の奥深くにある。
南部藩時代から有数の凶作地帯であった
周囲を山々に囲まれた沢内村。
田畑の面積は狭く農家の所得は全国平均の2/3。
住民の多くが貧しさにあえいでいました。
一家の大黒柱さえ医者に診てもらう事がままならない中満足な医療を受けられるお年寄りはまれでした。
村でただ一つの医療機関だった村立沢内病院です。
1960年に東北大学から派遣された加藤邦夫医師。
手の施しようがなくなるまで放置されたお年寄りを何度も目の当たりにしたといいます。
ちょうどそのころ全ての国民が健康保険に加入する国民皆保険が実現します。
日の当たらぬ場所のお気の毒な方々には国家の温かい手を一日も早く差し伸べて真の意味における完全雇用と福祉国家を作ろうというのであります。
いつでもどこでも必要な医療を受けられるようになったのです。
国民の命と健康を守る画期的な政策として世界からも注目されました。
しかし当時の国民健康保険の自己負担は5割。
沢内村ではそのお金さえも支払えないお年寄りが大勢いました。
こうした高齢者の救済に立ち上がったのが当時の村長深澤晟雄さんでした。
背景にあったのは新しい憲法に盛り込まれた福祉国家の理念でした。
25条に掲げられた生存権。
そこには「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」とうたわれています。
この理念に共鳴した深澤村長の言葉があります。
この村は老人と乳児に対する国民健康保険の10割給付つまり老人と赤ちゃんの医者代がタダという全国から注目されている保健活動の村である
病院にはこれまで医者にかかる事ができなかったお年寄りが家族に気兼ねする事なく次々に訪れるようになりました。
村が老人医療費の無料化とともに力を入れたのが保健予防活動です。
保健師が村の隅々まで出かけ血圧や病歴などを調査。
住民一人一人の健康状態を把握し病気を未然に防ぐための指導を行いました。
加藤医師に続いて院長に就任した増田進さんです。
こうした取り組みによって病気で亡くなるお年寄りは大幅に減ったといいます。
本当にこれは非常に…村のお年寄りの命を守るために始まった沢内村の取り組み。
しかし老人医療費の無料化だけが独り歩きを始めます。
1969年東京都の美濃部亮吉知事は70歳以上のお年寄りについて医療費を無料にすると宣言。
この政策は多くの国民から支持されるようになります。
沢内村に続きこうした動きは全国に広がっていきました。
やがて国でも行うべきだという声が大きくなっていきます。
1973年国は70歳以上の医療費を無料化しました。
しかし事態は思わぬ方向に進んでいきます。
この巨大な老人病院はおととしの12月に出来た。
ベッド数1,500。
1つの階に8人収容の病室が40も並ぶ。
入院患者の名札1,000枚。
患者のほとんどが70歳以上である。
従って医療費は無料
医療が必要ない高齢者の入院が急増。
いわゆる社会的入院です。
入院期間が長期化する背景には複雑な家庭の事情もありました。
退院してもいいと病院側が判断している患者は全体の20%にもなっている。
それなのに家に帰れない理由はさまざまである。
例えば嫁が共働きに出てしまって面倒を見る人がいなくなった。
老人のいた部屋を子ども部屋にしてしまったなど
その後も増え続けた老人病院。
1976年にはついに病院で亡くなる人が自宅で亡くなる人を上回るようになりました。
その結果医療費は10年で3倍以上に急増。
沢内村から始まった老人医療費無料化の試みは高齢者を支える社会保障の枠組みを土台から揺るがす事になったのです。
僕は何度も何度も沢内へ行ってるんですけど増田先生はこう言ったんですよね「村が明るくなった」って老人医療費無料化で。
だから「必要な時にきちっと医療にアクセスできるってとってもすてきな事なんだ」って。
なぜ旧沢内村のようにできなかったんですか?全国。
大事な…沢内村がこういくつかちょっとヒントがあったと思うんですけども在宅医療をしているとか健康作り運動をしているとかそういうもっと大きな哲学の中で医療費を無料化したのにその大事な大きな哲学を真似はせずに無料化だけが独り歩きしてしまった事が1973年の悲劇だったんじゃないかと思いますよね。
何か不思議ですよね。
同じ事をしているつもりでもそこに心がないと全く使い方が変わってきてしまってそれを受け止める側もそれに慣れてしまうというのがやっぱり怖さなのかと思いました。
国民皆保険制度って1961年に施行されたんだけど僕のうちとっても貧しかったんでそして母が重い心臓病だったんで皆保険制度ってものすごくすばらしい日本の宝物なんだけどこの保険はみんなができるだけ…何かの時に守ってくれる大事な保険なのにこれを利用する国民側もタダで入れるからなって病院に入っちゃう。
そして病院側もこれで病院の経営が成り立つもうかるからなってお互いがこの保険を食い物にしていった時保険が壊れてしまう。
日本にとってはものすごく大事な国民皆保険制度がこの73年を境にして危機になっていく訳ですよね。
すぐに病院っていうそのステップの踏み方一つで変わってしまいますよね。
一貫してお年寄りに対してアンケート調査が行われるとどこに最期いたいかとかどこで亡くなりたいかといったらみんな6割からどんなデータでも7割近くが自宅と言うんですよ。
その人たちを自宅で見たいと思っているのにこのころから境目にして「病院で病院で」そして病院で亡くなると。
どうも僕たちは大きな間違いをこのころからしたんじゃないかなっていう感じがしますよね。
そろそろ私の出番かしら?
(サヘル)は〜いふくにゃん。
それじゃここでその後の流れをおさらいしていくわね。
まず国はいろんな弊害も生んだ老人医療費の無料化を10年でやめたの。
そして打ち出したのがゴールドプランと呼ばれる戦略。
お年寄りを病院ではなく住み慣れた自宅で暮らしていけるようにしようと考えたのね。
そのために用意したのが在宅福祉3本柱。
ホームヘルプにデイサービスショートステイ。
今ではよく聞くわよね。
2000年には介護保険制度がスタート。
でもねその後もどんどんお年寄りが増えちゃって介護保険も大変なのよね。
今と同じサービスをいつまで続けられるか分からないの。
(サヘル)そうなんですか。
介護保険も結構大変なんですね。
今は病院じゃなくても今度は老人の多様な施設いろいろな種類の施設に入ってもらっちゃおうとか。
そうやってみんなが安易に考えていくと医療保険が危機的な状況になったのと同じように介護保険もみんなが…せっかくすばらしい保険なのに安易に使うとその介護保険も土俵際になっていくっていう。
どうしていったら私たちは今一番いいんでしょうね?こうした中で注目されているのが住み慣れた地域で暮らしていけるように医療介護など地域の資源を総動員して高齢者を支えようという地域包括ケアという考え方です。
鎌田さんそもそもこの地域包括ケアという考え方はどういった経緯で生まれたんでしょう?だからもう増田先生の頭の中にはつまり沢内村の頭の中には地域包括ケアみたいなものがあったのかなって。
要するに予防と医療と福祉介護。
こういうものをバランスよくやる事が大事だっていう事は何かどうも沢内村では分かってたような気がしますね。
老人医療費の無料化と保健予防活動を通じて村のお年寄りを支えようとしていた旧沢内村。
その際力を入れたのが行政と病院そして住民が一体となった取り組みです。
院長は村の厚生部長を兼任し直接行政に参加している
村は病院の中に健康管理課を移し行政と病院が連携して活動していく体制を整えました。
その上で1人しかいなかった保健師を5人に増やし情報を共有しながら高齢者の健康状態の把握に努めました。
更に生活実態の調査にも乗り出します。
その内容は下着を着替える頻度からトイレの衛生状態に至るまで詳細を極めました。
(取材者)保健師さんがそれ持って?そうそう。
訪問して歩くのね。
こういうのを入れてねそれこそ。
こうして集めたデータの分析を進めていくと興味深い事実が次々に浮かび上がってきました。
高血圧や糖尿病が多い地域やそこで好まれる食事そして生活習慣。
病気の予防に役立つヒントが見つかりました。
こうした情報を広めるのに力を発揮したのが住民同士のネットワークでした。
高血圧にならない食事の献立や糖尿病を防ぐ生活習慣などを互いに教え合いお年寄りの健康を支えました。
更に村の保健師とも連携して集会を開き高齢者が家に引きこもるのを防ぎました。
老人クラブの例会。
ともすれば孤独になりがちな老人たちにとって時折開かれるクラブの例会は明日への生活の心の糧となり昔話は遠い夢となっていく
行政と病院そして住民が一体となった取り組みによって肺炎や脳卒中で亡くなる人は激減。
高齢者1人当たりの医療費も全国平均の半分に抑えられていました。
沢内村の増田先生のとこ何度も見て彼から聞いた言葉で印象に残っているのはゾーンディフェンスという言葉をよく言われたんですね。
医療っていうのはマンツーマンでお医者さんと患者さんがマンツーマンで診ていくという。
1対1。
はい普通はね。
それが当然で沢内村だってそういうふうにして患者さんを救うっていう事をしているんだけどプラス沢内村ではゾーンディフェンスで地域全体の健康や命を見ていこうというふうに考えて。
その増田先生は前の院長から厚生部長といって役場の部長さんとか課長さんも引き受けて村全体の医療費だとか平均寿命だとかそういう数字まで全体を見ているのでそれがゾーンディフェンスというのに反映していくと結局それが長寿になっていきながら医療費が上がらないで済んだ。
ここが沢内村のすごいとこじゃないかなって。
僕がおっと思ったのは住宅改善コンテストなんていうのが行われてね。
(サヘル)どんなのですか?それ。
豪雪だからさ冬になると1階の窓まで全部雪で覆われてしまう訳よ。
日が全く当たんないためにお年寄りも子どもも病気になる率が非常に高いという事でみんなでどうやったら日が当たるかなとか太陽に浴びれる事ができるだろうかといってじゃあ2階に住める居室を造ったらいいんじゃないかとかいろんな工夫が住民から出だして。
住民の意識改革が増田先生みたいなリーダーシップを持った人が出てきた事によって意識がみんな変わっていった事で医療費を上げずに健康で長生きができて明るい村にしていったんですよね。
私実はこの老人医療費無料化が始まった73年生まれなんです。
私自身死ぬのは病院だというもうその概念が強い訳ですよ。
本当は家で亡くなりたいと思っているのかもしれないけどももう何かそういうものだというような意識が強いんですよね。
そうですね。
やはりお年寄りたちの自己決定というか一人一人の生き方はまあ人生哲学みたいなのは違っていい訳ですよね。
国はこれからものすごい勢いで在宅ケアというのを充実させて施設や病院でお年寄りを見るんじゃなくて在宅でその人らしく生きれるようにしよう。
それはこれ以上医療費や介護保険料が上がらないようにっていう国としては財政的な問題が大きいかもしんないけども僕はもっと大事な事は財政的な問題以上にお年寄り自身がふるさとにいたいとか自宅にいたいとか地域にいたいと思っているお年寄りがまだまだ日本では多いんだからその思いをちゃんとかなえてあげられる日本の制度にこれからしていく大事な時期にさしかかったんじゃないかという気がしますよね。
今地域で高齢者の方々を支えていく事ってできますかね?みんないつかは年を取る訳で。
ですからお年寄りだけじゃなくて若者も一緒になって支えてそして自分が年を取った時もちゃんと支えられるような持続可能な日本の医療体制や福祉体制というのをこの機2015年をスタートに築いていく事が大事で。
お年寄りはお年寄りで若者にこれ以上負担をかけないためにはどうしたらいいか。
すぐ施設に入ろうとか病院に入ろうではなくてできるだけ若者に負担させないためにはできるだけ自分が元気でいる事。
そしてうちにいられる間はできるだけうちにいる。
それをおうちの人たちの介護だけに頼らずにみんなのサポートが入ってそれを支えてあげれるような…。
世界が注目している中で日本だからこそやれる新しい高齢化社会っていうのを作っていく必要があるように思いますよね。
「ハートネットTV」では今年日本のさまざまな課題について戦後70年を振り返ってお伝えしてまいります。
今日はどうもありがとうございました。
2015/05/06(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV シリーズ 戦後70年 第2回「高齢者をどう支えてきたか」[解][字][再]

戦後70年の社会保障の歩みを振り返り、未来へのヒントをさぐるシリーズ。第2回は、高齢者をどう支えてきたか?更なる高齢化にどのように向き合っていくべきか?考える。

詳細情報
番組内容
戦後70年の社会保障の歩みを振り返り、未来へのヒントを探るシリーズ。第2回は高齢者をどのように支えてきたかについて見つめる。その後の高齢者施策に大きな影響を与えた老人医療費の無料化。そのキッカケをつくった岩手県旧沢内村では、行政、医療機関、そして、住民が一体となった保健予防活動が無料化と並行して行われるなど“地域包括ケア”のほう芽とも言える取り組みがあった。更なる高齢化にどう向きあうべきか?考える
出演者
【出演】諏訪中央病院元院長、医師、作家…鎌田實,サヘル・ローズ,【司会】山田賢治

ジャンル :
福祉 – 障害者
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:29136(0x71D0)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: