100分de名著 荘子(新番組)<全4回> 第1回「人為は空(むな)しい」 2015.05.06


やっぱりツヤも出ますしスタイリングもしやすくなりますので是非そういう形でやって頂ければと思います。
はるか古代中国。
誰もが争いと興亡に明け暮れた戦乱の世。
そんな時代を生き延びるために数々の思想家たちが活躍しました。
中でも時流に流されない生き方を説いた「荘子」。
「一切をあるがままに受け入れる」。
思想書でありながら物語としての面白さも持つ書物として広く読み継がれてきました。
あらゆるものに縛られて生きる現代の私たちに「荘子」は訴えかけます。
人間の心はいかにして自由になれるのかと。
「100分de名著」今月は「荘子」から現代を生き抜く哲学を学びます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ今回はこちらでございます。
「荘子」。
中国の「老子」ですとかそれからあと「孫子」ですとかこの「子」の付くシリーズという事ですね。
そうですね。
中でもこの「荘子」は西行とか松尾芭蕉とか近代で言うと夏目漱石とかいろいろな日本人に深く影響を与えてきた本なんでございます。
この「100分de名著」5月は4週にわたって「荘子」の教えを読み解いてまいります。
指南役ご紹介いたしましょう。
作家の玄侑宗久さんです。
よろしくお願いいたします。
芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さん。
福島県の禅寺の住職を務めるかたわら作家としても活躍してきました。
特に中国思想には学生時代から親しみ中でも「荘子」の面白さは格別だといいます。
この番組で中国思想というといろいろ学ばせてもらってそろそろ「荘子」かなと思ったら一旦「菜根譚」に行ったりして。
とうとう「荘子」かなという。
あそうですか。
待ってました取って置きの。
やっぱりこれ読んじゃうと他に戻れないというくらい面白いですね。
ものすごくお好きでらっしゃるんですってね。
そうですね。
本当は内緒にしておきたかったというくらい。
今日はご自身の愛読「荘子」を持ってきて頂いたという事で。
ちょっと恥ずかしいですね。
読み込んでる。
遠くへ出る時は持ち歩いてぱっといいかげんに開いたところを…その魅力は何ですか?他のとの違いといいますかあえて言うと。
諸子百家と言われる人たちの教えというのは大体国の在り方を述べたものが多いんですけどこの「荘子」というのはこの時代にあって個人の生き方に焦点をあててるんですね。
ですから今の時代にも十分通じる現代性があります。
その名著ぶりまずご紹介したいと思います。
諸子百家の中の「道家」の教えの一つと。
「老子」は論文なんですよ。
でもこれは物語なんです。
「小説」という言葉ももともと「荘子」に出てくる言葉なんですけども。
今言う小説ですか?そうです。
実際「荘子」は非常に…僕の勝手なイメージだと「子シリーズ」は格言みたいなのでなるほどという感じかと思ったら。
どう攻めるかとか国がどうあるかみたいな。
意外にいろいろ「孫子」とか「老子」とかやられて論理って記憶されにくいと思いません?なるほどね。
記憶に鮮烈に残るのはやっぱり描写なんですよ。
そういう描写に満ちた本です。
この2,300年前というとまだ日本は弥生時代なんですけどもこの時代に中国では諸子百家と言われるたくさんの思想家たちがもうたくさん出てきて。
いろんな国が興ってきてその興亡の中で時代が大きく変わるんですね。
鉄が発明されて農機具が進歩する。
そうすると貧富の差が出る。
そういう中でもちろん格差も広がっていくという状態で。
今の時代は個人というものが近代以降注目されてるわけですよね。
そういう時代にあってはたくさん幸福論のようなものが出てきても普通ですけどもこの時代ですよ。
2,300年前に個人の幸せというものを模索するというのは相当非常識ですよね。
そうですか。
ええ。
なぜそのような考えに至ったのかその人生の一端にうかがう事ができるんでございます。
こちらご覧頂きましょう。
昔中国に宋という小さな国があった。
周王朝に殷が滅ぼされたあとその民が移り住んだ土地。
人々は「敗者の末えい」として差別を受けていたという。
そこで漆園の管理人をしていた荘周はあらゆる学問に通じていた。
その徳の高さから他国の王様に宰相として招かれた事もあったが…。
(荘周)そちらの国では神霊の宿った亀を絹にくるんでまつっていると聞く。
その亀は剥製としてあがめられる事を望んだか。
それとも泥の中で尻をひきずって生きる事を願ったか。
どちらであろうか?私は泥の中ででも自由に生き永らえる亀でいたいのじゃ。
そう答え貧しくも自由な隠とん生活を送ったという。
この宋の国というのはちょっと特別な国?日本で言いますとちょうどあちこちにありますよね平家の落人の集落が。
ありますあります。
世間をはばかるというか。
大体物語の中で宋の人が出てくるとまぬけな話が多いんですね。
へ〜。
じゃあ全然エリートじゃないというか。
ひと屈折から始まってるわけですね。
ええ。
その「荘子」で語られる物語には3種類の特徴があるんだそうです。
ちょっとご覧頂きましょう。
3つの特徴があるんですね。
「私はこう思うけど君はどうだ」というふうな聞き方を直接してしまうと考え方が違った場合にどうしようもないんですね。
そういう無益な争いをするよりも自分たちに関係のない物語として聞いてもらった方が納得しやすいんじゃないかというのが「寓言」ですね。
僕のイメージではそういう思想家の人とかはもっともっと自分の言葉の力を信じて自分が選び抜いた言葉をどんって当てれば「ははあ〜!」って言わせられるぐらいの自信があるのかと思ったんですけど。
「荘子」はねそのへんには非常にシビアな見方で。
…という言葉が「荘子」にあるんですけども風や波のように当てにならない。
「常なし」状況によって変わっちゃうものだと。
だから「あの時ああ言ったでしょ」「いや言ってない」ってこの争いってむなしいじゃないですか。
僕生放送でばかな事しゃべる仕事してるからラジオなんかやってるからそうすると言葉は言うそばからうそみたいなもんだなと思ったりする。
その時の力しかないなというのはちょっと思ったりするんで何かここはスッとくるんですよね。
言葉って常に主観を交えて語られるものですしそういう意味での言語の限界というのを「荘子」は痛感してたんだと思いますね。
お隣さん引っ越してきたんだ。
あれ?整体?
(ノック)・
(荘周)は〜い。
あの〜隣に住んでる者ですが。
ああどうぞどうぞ。
入って入って。
まあ座って。
おじゃまします。
整体院なんですか?こちら。
整体いうてもうちは動物専門。
最近の動物はうつっぽい猫から神経症の犬までいろいろ心の病抱えとるからな。
これで治したりカウンセリングしたり。
へえ動物の…。
動物も生き方に悩む時代やさかい。
ほれこれ。
引っ越しそばの代わり。
ああお気遣いすいません。
あの…この気持ち悪い物体もお客さんですか?
(荘周)ああこのお人な渾沌っちゅう王様の息子。
わしは渾沌王子と呼んどんの。
これ人なんだ。
しかも王子?目も口も耳も鼻もないのっぺらぼうなのに?はっきり言うなお嬢さん。
こんな話があってな。
渾沌っちゅう王様の話。
(荘周)
むか〜し昔の話。
南海の王はといい北海の王が忽そんで世界の中心の王が渾沌いう名前やった。
と忽は時々渾沌の土地で遇ったが渾沌はほんまに手厚く彼らをもてなした。
そこで2人は渾沌の恩に報いようと相談したんや
我々人間には誰でも目耳鼻口という7つの穴がありそれで見たり聞いたり食べたり息したりしているのに渾沌にだけはそれがない。
かわいそうだから試しに穴をあけてやろう。
(荘周)そないして2人は1日1つずつ穴をあけていった。
7日たって全部の穴をあけ終わったら渾沌は死んでしもうた。
え?何で何で?どういう事?まあまあ焦らんと聞きなさい。
渾沌いうのは目鼻口耳がないのが当たり前。
自然な姿や。
それを2人の王は渾沌に秩序を無理やり与えようとして感覚器官の穴をあけてしもうたんや。
でもよかれと思っての事だよね?みんなと同じように目や鼻や口があったら便利だろうって。
そらそやけどなそのせいで渾沌は死んでしもうたんやで。
あんたも命にとって何が大切かよう考えなあかん。
人間余計な感覚に振り回されるくらいやったらないがままでええんや。
「ないがまま」ね…「あるがまま」じゃなくて?玄侑さんね「荘子」のご本を書いてらっしゃるんですけどこの中に荘周さんが関西弁をしゃべる荘周さんが出てくるんです。
玄侑さんと対話を試みるんですけどその方にこの番組にも降りてきてもらいました。
映像化させて頂いたと。
ちょっとご覧になりながら「うさんくさい」っておっしゃってましたけど。
出てくる現代の荘周さんは動物の整体師というのはこれはどういう…?動物っていうのは人為が加わらない自然に近い存在ですよね。
その動物までがもしかすると現代では病んでいるんじゃないかと。
そこに現代の病の深さというのを表したかったというかそこに荘周が必要なんだっていう。
僕はね今のVTRだけで先生とずっと話したいぐらいいろんな箇所でいろんな事思った。
例えばあの渾沌。
渾沌というのはですね水が渦巻いている状態。
カオスとかのあの渾沌ですか?カオスって言ってしまうと秩序に対する無秩序という感じがするんですが無秩序なのではなくて無秩序と感じるのは秩序を欲する人間の頭なんですね。
もともとの何もない秩序のカウンターとしてのカオスじゃないと。
渾沌ではなくてただただ…。
ただ何が生まれてくるか分からない…今VTRの最後の所にも「あるがまま」じゃなくて「ないがまま」という。
ちょっと言葉を転換しただけでドキッとしたんですけどないがままなんですね。
ないがままなんです。
あるがままというと自分が感じたそのままでいいんだというふうに現状を肯定しちゃうわけじゃないですか。
でも自分が感じたもうそこに既に私色に染まってるんですね。
だから感覚というのが最後の砦のように思ってる人は多いと思うんですけども…例えば「これがおいしい」というものもその人の個人の生活史が背景にあって初めて「お握りがおいしい」って思えるわけじゃないですか。
アメリカ人いきなり食べてって言ったってお握りがおいしいと思わないですよね。
味覚だってそういうふうに非常に相対的なものなわけです。
そうか…。
これはでも深いのはやっぱり我々は情報で頭でっかちになるなと。
情報じゃない感覚だという意味で感覚を使いがちじゃないですか。
感覚の方が全然フラットで何にも毒されてないんだから情報ばっかじゃなくてって言うじゃないですか。
でもその上の感覚すらもう何かしらに毒されてるから渾沌のままの状態でいいでしょうという。
老荘思想にとっては自然が最高でそこに人為を加える事で自然はその生命を失うという。
孔子の弟子の子貢が旅の途中である老人を見かけた。
大きな水がめを抱えて深い井戸の底まで下り水をくみ上がってきては畑に水をまいている。
あまりの効率の悪さに子貢は「ハネツルベ」という便利な機械がある事を教えた。
すると老人は…。
やがては心が乱れ道を踏み外すだろう。
わしはハネツルベを知らないわけじゃない。
ただ恥ずかしいから使わんのじゃよ。
これを聞いた子貢はすっかり恥じて三十里も歩いてからようやく我に返ったという。
すごい!2,300年前にすごい!私たちあらがいようがないほどに効率化を求めて。
だって洗濯機使わないわけにいかないし。
効率をやたら目指すという事は競い合ってるわけですよね。
その競い合って早くという事がもたらすものというのはさっきの「機心」からくり心という事になって。
そうすると精神が安定しなくなってというのが面白いですよね。
「もっともっと」というのは切りがないですから。
すごい分かる。
もっともっと。
自分に合ったスピードにしようというんじゃなくなっちゃってフルスピードにしよう今一番出る最速のものにしようと思った時についてかない。
たまにこだま乗りたいんだよね。
鈍行で行くのは俺のペースとしてはいらつくんだけどこだまぐらいの日があるんです。
だからどんどんスピーディーに物事を処理していった時に何のためにこんなに早くって思うと時間を作るためだっていうわけですよね。
その作った時間で何やってんのかなって。
そうなんです。
スピーディーにできる道具が出る事でもしかしてどんどん短気になっていませんかという。
うわ〜すごい分かります。
待てなくなってるでしょ。
ファックスだったら翌日までは待てた。
手紙だったら10日は待てた。
でもメールもスマホのメールだと2時間以内に返事が来ないとこいつ何考えてるんだという。
スマホの便利すぎるのにほんとに疲れちゃう時とかはありますからいろんな事入ってる話ですねこれね。
ちょっとではここで再び先ほどの荘周さん周さんにご登場頂きましょうか。
おじさん周さんっていうんだ。
こうしてみると結構偉い人だったんだね。
でも何でこんなところで整体師を?どうせだったら心を癒やすスピリチュアルカウンセリングとかにしてそしたらもっとじゃんじゃんお客さん来て…。
悪いけどうちは動物専門やで。
ところであんた昔魯の国王が招こうとしたという哀駘它ちゅう男の話知ってるか?彼こそほんまに偉い男やったな。
ふ〜ん。
衛の国の哀駘它いう男はすんごい醜いのに不思議な魅力があったんや。
一度一緒に住むと男でも離れられへんになってしもうて女なんか彼を見ただけで「誰かの妻になるよりあの人の妾になりたい」いうて親にねだる始末や。
そんな妾候補は増え続ける一方。
どうも哀駘它は自分の考えを主張するいう事がない。
相手に同調するばかりやったんやと
つまりひと言で言えば「和して唱えず」いう事やな。
「和して唱えず」か…。
でもみんな何の得があってそんな人の所へ集まるの?そこやな。
哀駘它には人の命を救う権力があるわけでもない。
飢えを満たす財力があるわけでもない。
見た目も醜くて知識もない。
むしろ愚かな人間に見えたやろな。
でもそんな人間こそ徳が高い。
「聖人は愚鈍なり」ちゅう事や。
何か周さんの言う事っていまいちぴんとこないんだよな。
これは自己主張しないみたいな事ですか?自分が正しいと思ってる事を主張し合うというのが世の中ですけどもそうじゃないんですね。
「荘子」の中には哀駘它の事が「物と春を為す」というふうに描かれるんですけども接した人全てが春のような気分になると。
ああいいですね〜。
「こんなひどい事があってね」「それはひどかったね」。
同調するわけですよ。
最終的に我々が会話の中で求めてるものというのは正しいかどうかジャッジしてほしいんじゃなくて私の気持ちを分かってほしいわけですね。
何より哀駘它がすごいのは誰が見ても醜いという容貌だったそうですけども…そこが春のような気持ちに人をさせるとこだと思うんですね。
自分を肯定してるわけですから。
でも一周しちゃうと哀駘它みたいな人は実は強烈な個性じゃないですかこれって。
何も主張しないというものすごい主張。
面白いですね。
その「荘子」の特徴として国の事じゃないですよ個人の事ですよっていうとちょっと個人主義とか今のあの感じに…。
今の個人主義って競争じゃないですか。
ものすごい競争だけどそれともまた違う個人主義ですね。
落ち着いたというか。
そうですね。
競争とかじゃなくて本来の個人主義。
自分のサイズとは何だ自分のスピードとは何だという感じがちょっとする。
何か私心の中が今日わちゃわちゃしてるわ。
何かわちゃわちゃしてきたな。
いろいろ考えちゃう。
4回で何とかなりますか?このざわめきは。
渾沌かもこれ。
今生まれそうな感じがある。
そうだねここに無理に目鼻をあけるのはやめよう。
とりあえず渾沌のまま。
玄侑さんありがとうございました。
2015/05/06(水) 22:00〜22:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 荘子[新]<全4回> 第1回「人為は空(むな)しい」[解][字]

「荘子」は各所で、本来の自然を歪める「人為」の落とし穴を指摘する。その背景には「無為自然」の思想がある。「人為」の空しさや「無為自然」の素晴らしさを伝える。

詳細情報
番組内容
「荘子」はいたるところで、本来の自然をゆがめてしまう「人為」の落とし穴を指摘する。その背景には、「荘子」の「無為自然」の思想がある。人為を離れ、自然の根源的な摂理に沿った生き方こそ、人間の最高の境地だというのだ。第一回では、「荘子」の全体像を紹介しつつ、人間のこざかしい「人為」のむなしさと、人為の働かない「無為自然」のすばらしさを伝える。
出演者
【講師】作家、僧侶、芥川賞受賞…玄侑宗久,【出演】古舘寛治,安藤輪子,【司会】伊集院光,武内陶子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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