10種類以上のあじさいを栽培しているということです。
太平洋戦争終結から今年で70年。
節目の年を前にNHKはハワイ沖で潜水調査を行いました。
この海の底に眠る太平洋戦争の遺物を捜すためです。
600mの深海に姿を現した巨大な物体。
全長122m。
建造当時世界最大の大きさを誇っていました。
その名は…太平洋戦争のさなか日本海軍は戦艦大和と並ぶ巨大兵器を開発します。
潜水艦伊400です。
伊400はそれまでの潜水艦の概念を大きく覆す構想のもと造られていました。
内部に…沿岸で発進させてアメリカの首都ワシントンやニューヨークを直接爆撃しようというものです。
今回NHKは伊400の姿を捉えるためハワイの海に潜りました。
そこでは新たな発見が!世界で初めて撮影に成功した映像の数々をご紹介します。
伊400の乗組員の多くは…彼らは巨大潜水艦とともに激動の渦にのみ込まれていきます。
艦長!潜水隊司令部より入電!作戦中止だと?突如下された作戦中止命令。
乗組員たちに課せられた新たな任務。
それはアメリカの大艦隊への特攻でした。
こうなった以上最後まで戦おうじゃないか!艦長!艦長!70年の時を超え姿を見せた幻の潜水艦。
その数奇な運命をたどります。
戦前からアメリカ海軍・太平洋艦隊の本拠地です。
太平洋戦争が終結した翌年の…日本海軍の…伊400をくまなく調べたアメリカ軍は衝撃を受けます。
まずはその大きさ。
全長122m。
同時期に造られたドイツの潜水艦Uボートと比較するとおよそ2倍。
中でもアメリカ軍を驚かせたのが船体の上に取り付けられた格納筒です。
中には折り畳み式の攻撃機が3機搭載されていました。
伊400は空から敵を奇襲できる世界初の潜水空母だったのです。
調査を終えるとアメリカ軍は伊400を沈めるよう命令します。
(爆破音)伊400は海深く沈みその正確な位置すら分からなくなります。
やがて人々の記憶からも忘れ去られていきました。
それからおよそ70年の月日が流れた2013年。
ニュースが世界を駆け巡ります。
伊400が見つかったというのです。
発見したのはテリー・カービーさん。
ハワイ大学潜水チームのリーダーです。
10年にわたり幻の潜水艦を捜し続けてきました。
それが海の底に沈んでいるんです。
本当にワクワクしますよ。
2013年に撮影された映像です。
伊400が見つかったのは深さ600mの海底。
光が届かないためこの時は全容を捉える事はできませんでした。
そこでNHKとハワイ大学は去年10月伊400の詳細な映像を撮影するため共同で潜水調査を行いました。
調査地点はオアフ島の南30kmの沖合。
70年前アメリカ軍によって撃沈処分された場所です。
今回2隻の調査用潜水艇を投入。
潜水艇には高性能のLEDライトが取り付けられました。
2隻からの強力な照明によって伊400の姿を鮮明に捉えるのがねらいです。
調査地点に到着しました。
伊400が眠る海底までたどりつくだけで30分かかります。
無数の鉄くずが散乱しています。
これは伊400が破壊された時に飛び散った部品です。
ここから前回発見された地点まで移動します。
巨大な物体が見えてきました。
伊400です。
ここは船の一番後ろ艦尾です。
潜水艦の方向などを定める舵の部分になります。
ここから前に向かって進みます。
行けども行けども船体は続いています。
全長は122m。
太平洋戦争中に造られた潜水艦としては一番の大きさを誇ります。
大砲のようなものが見つかりました。
砲身6m余り。
巡洋艦などにも搭載された強力な大砲で小さい船なら一発で撃沈できる威力があります。
こちらの直径70cmほどの丸い穴。
何だか分かりますか?潜水艦の出入り口ハッチです。
進め始め!潜水が始まると皆一斉にここから中へ飛び込みます。
人1人がやっと通れるサイズ。
船体は巨大でもハッチだけは他の潜水艦と同じ大きさだったようです。
ようやく伊400の先端艦首部分に到着です。
内部の構造がむき出しになっています。
細長い管が飛び出しているのが見えます。
その数8本。
これは魚雷の発射管です。
日本海軍の潜水艦の場合通常発射管は6本ですが伊400では8本に増やされていました。
今回の潜水映像や専門家の意見をもとに伊400の姿をCGで再現します。
船体の上部には攻撃機を収容する格納筒が設置されています。
この部分だけで30mの長さがあります。
後ろの甲板では14センチ砲がにらみをきかせます。
当時世界最大の大きさを誇った伊400。
その姿が70年の時を超えてよみがえりました。
今回の調査ではさまざまな発見もありましたがそれはまた後ほど。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日はいつもより30分長いスペシャル版でお送りいたします。
今年は太平洋戦争終結から70年の節目の年。
先日も大きな発見が話題となりました。
大和の同型艦で建造時は世界最大の戦艦でした。
昭和19年レイテ沖海戦で沈められ行方が分からなくなっていたものを今年に入ってアメリカの資産家が発見しました。
一方今回見つかった伊400は大きさに加えて艦内に攻撃機が収められていた事が特徴。
そのための格納筒を持つ世界初の「潜水空母」だったのです。
今回の潜水調査では世界で初めてこの伊400の核心とも言える格納筒を発見。
映像で捉える事に成功しました。
日本の艦隊がハワイ真珠湾を攻撃。
太平洋戦争が始まります。
この作戦を立案したのは…山本は次の一手を考えていました。
それはアメリカ本土への直接攻撃です。
目標はアメリカ東海岸。
潜水艦で近づきそこから航空機を発進。
ニューヨークや首都ワシントンを爆撃して敵の戦意をくじこうという作戦です。
山本がこの作戦を効果的と考えるには理由がありました。
真珠湾攻撃の2か月後一隻の日本軍潜水艦がアメリカ西海岸を攻撃。
被害が少なかったにもかかわらず…市民2人がショックのあまり心臓発作で死亡するほどでした。
アメリカ本土攻撃計画に自信を持った山本は新しい潜水艦の建造を指示します。
それが伊400でした。
その伊400がなぜ巨大になったのか理由を知る手がかりが残されています。
(内田)これが潜水艦建造計画の大要です。
海軍艦艇の設計の責任者が戦後まとめた潜水艦建造の計画概要です。
伊400はこれまでの潜水艦と規模も性能も桁違いだったため「特型」と呼ばれました。
「要求航続距離33,000海里」。
これは燃料の補給なしに地球1周半を航行できる事を意味します。
日本を出発した伊400は南米大陸をぐるりと回ってアメリカ東海岸に到達し攻撃。
そのあと日本まで戻らなければなりません。
往復分の燃料を積むためどうしても巨大な船体が必要だったのです。
計画書には伊400が巨大になったもう一つの理由が記されていました。
「水密格納筒」とは船体上部に取り付けられた潜水空母ならではの設備です。
ここにアメリカ本土爆撃用の攻撃機を収納します。
ハワイ沖で行われた潜水調査。
最大の目的はこの格納筒を捜し出す事です。
前回の調査では見つけられませんでした。
伊400はアメリカ軍の魚雷で処分されました。
この時の衝撃で格納筒が外れ所在が分からなくなってしまったのです。
発見された船体の周辺を徹底的に捜します。
すると何か丸いものが見つかりました。
直径4mの大きな扉です。
格納筒の前方に取り付けられていました。
この扉は巨大なちょうつがいで固定されていました。
格納筒もこの近くにあるはずです。
そして…。
伊400の格納筒です。
世界で初めて撮影に成功しました。
高さは扉と同じ4m。
調査の潜水艇が中に入れるほどの大きさです。
全長30m。
これだけでも小さな潜水艦並みの大きさです。
格納筒に攻撃機を搭載する世界初の潜水空母伊400。
日本海軍が建造した幻の巨大潜水艦の全容が明らかになってきました。
NHKとハワイ大学が共同で行った伊400の潜水調査。
格納筒以外にもさまざまな発見がありました。
そのいくつかをご紹介いたしましょう。
こちらは伊400のカタパルト。
航空機を打ち出す装置です。
もう一つ今回初めて見つかったものがあります。
それがこちら司令塔です。
司令塔とは戦闘の時に艦長や将校が入り指揮を執る場所。
通常の潜水艦の場合船体に直接取り付けられていましたが伊400では船体の上に格納筒があるため司令塔は更にその上に。
3段重ねになっていました。
この司令塔には重要な設備が集中しています。
例えばこちらの長い棒。
潜望鏡です。
潜行中海面に突き出し敵の動きを探ります。
まさに潜水艦と乗組員の運命を預かる装置です。
70年ぶりに姿を現した伊400。
当時世界一の大きさを誇ったこの巨大潜水艦の建造にはどうしても欠かせないものがありました。
それは意外にも大きなものを小さくするという日本が得意としてきた技術です。
伊400の建造が広島県呉市で始まりました。
戦前東洋一と言われた海軍工廠があり戦艦大和など多くの軍艦がここで建造されました。
呉には当時の面影を伝えるものが数多く残されています。
今は海上自衛隊の潜水艦部隊が使用しているこちらの桟橋。
戦時中は日本海軍の潜水艦の停泊地でした。
このクレーンはかつて船に魚雷を積み込むために使われたもの。
現在は記念碑として保存されています。
こちらの巨大な建物は戦艦大和の建造に使われました。
実は…大和も伊400も共に最高機密とされたプロジェクト。
建造中の様子が外から見えないよう巨大な上屋で覆われました。
伊400の建造にも使われたと見られるクレーン。
巨大な鉄板などを運ぶためのものです。
大きさも機能も常識外れだった伊400。
建造にこぎ着けるまでには多くのハードルがありました。
そもそも設計自体が難問山積でした。
一つは巨大な格納筒の存在。
大きさが小さな潜水艦ほどもあるこの格納筒を載せるとバランスを失いひっくり返ってしまいます。
試行錯誤を繰り返し最終的に採用されたのが…確かにこれなら安定します。
実際の図面を見ると丸い船体が2つ眼鏡のようにくっついているのが分かります。
幸いな事に…潜水艦に並行して搭載機の開発も進められました。
アメリカのスミソニアン博物館にはその実物が残されています。
戦後アメリカ軍が接収した機体を修復展示しています。
図面に記された晴嵐の武装。
翼の端から端まで12m。
さまざまな兵器を搭載するためにはどうしてもこの大きさが必要です。
これをどうやって直径およそ4mの格納筒の中に収めるかが最大の課題でした。
晴嵐の開発は名古屋市にある愛知航空機で行われました。
戦時中は軍用機を年間1,000機生産。
真珠湾攻撃で戦果をあげた九九式艦上爆撃機など数多くの優秀機を生み出しました。
現在の工場の一角に晴嵐の設計に使われた建物が残されています。
こちらが晴嵐を設計していた部屋になります。
この部屋で世界初の潜水艦専用攻撃機のためにいくつものアイデアが生み出されました。
リーダーの尾崎紀男技師。
数々の攻撃機や爆撃機などの設計に携わった名うての技術者です。
尾崎技師は格納筒の中にどうやって晴嵐を収めるか頭を悩ませていました。
これまでも日本海軍は飛行機を空母に格納する時などは翼を折って対処しましたが伊400の場合全体のバランスを考え格納筒の直径はプロペラの長さに合わせて設計されています。
このためどう折って畳んでも格納筒に入りません。
そんなある日の事。
尾崎さんこれを見て下さい。
部下の一人が持ってきたのは…何だ。
おもちゃなんか持ってきて。
(部下)見て下さい。
主翼をこうやって回すと…ほら新型機に使えませんか?翼がぐるぐる回ります。
そうか!これならいけるかもしれん。
尾崎技師がひらめいたのは晴嵐の主翼を90度回して折り畳む方法です。
まず後ろの水平尾翼を折り曲げます。
同時に垂直尾翼の上部も折り曲げます。
格納筒の天井に当たってしまうからです。
そして主翼を回転させ後ろに折り畳みます。
こうすれば格納筒の中にぴったり収まります。
大きなものをコンパクトに畳むという日本ならではの技で難問を見事に乗り越えたのです。
ようやく伊400の建造が軌道に乗り始めた…翌18年4月には伊400の発案者だった山本五十六がソロモン諸島で戦死。
日本は次第に追い込まれていきます。
この事は伊400にも影響を及ぼしました。
た…大変です!どうした?そんなに慌てて。
海軍が搭載する新型機を1機増やせと言ってきました。
この厳しい戦局において大型潜水艦建造の余裕などない!海軍では伊400よりも空母などを造るべきだという声があがります。
当初18隻を予定していた伊400型潜水艦の建造計画は10隻に減らされました。
このままでは攻撃力の低下は免れません。
そこで出たのが晴嵐の数を増やす案です。
2機から3機にする事でなんとか戦力を埋め合わせしようというわけです。
しかし晴嵐を増やすためには建造中の伊400を設計から見直さなければなりません。
格納筒は既に2機でいっぱい。
この事態にどう対処したのか。
詳細を記した図面が残されています。
海上自衛隊が保管していた470枚もの伊400の各種設計図。
今回テレビカメラによる撮影が初めて許可されました。
その中の一枚に格納筒の延長に関する図面が含まれていました。
赤い部分が当初の格納筒。
その後ろには弾薬庫などが据え付けられている事が分かります。
船の守りに必要なこれらの装備を取り外しなんとか10m延ばす事ができました。
しかしこれだけではまだ足りません。
格納筒をぎりぎりまで延長したにもかかわらず3機入れると頭の部分が飛び出し扉が閉まらないのです。
こうなったら徹底的に折り畳んでしまえ。
尾崎技師が注目したのが晴嵐の方向舵です。
飛行機の進行方向を決める装置で左右に動きます。
格納筒に入れる際方向舵を曲げてスペースを作りそこに晴嵐の頭の部分を詰め込みます。
更にもう一工夫しました。
今回の調査で初めて撮影された格納筒の扉。
真ん中に直径50cmの穴があいています。
この穴に一番前に来る晴嵐の先端部分が入ります。
これで計算上は全てうまくいくはずでした。
ところが…。
実際に格納筒に晴嵐を入れてみるとどうしても入りません。
晴嵐がぎりぎり収まるよう設計したはずなのになぜ?格納筒の中を調べてみると…。
これか!なんと格納筒の内側から金具が飛び出し翼に引っ掛かっていたのです。
金具を削ると晴嵐3機が寸分の狂いもなく収まりました。
お見事です。
(汽笛)技術者たちの知恵と努力によって巨大潜水艦伊400はついに完成しました。
世界一大きな潜水艦を造ろうという陰で技術者たちが苦心したのがいかにコンパクトに攻撃機を折り畳むかだったとはなんとも皮肉な気もします。
さて伊400が登場するまでには世界中でさまざまな潜水艦が造られてきました。
世界初の実用潜水艦はこちら。
今から240年前アメリカで誕生したその名も「タートル」です。
まるで樽のような外観。
スクリューを人力で回して進む1人乗りの潜水艦でした。
敵船の真下に潜り込み時限装置の付いた火薬を取り付けて離脱。
船を爆破します。
しかし戦果はほとんどなかったのだそうです。
潜水艦が兵器として注目されるきっかけとなったのがこちら。
第1次第2次世界大戦ともに海軍の主力として出撃し敵国の艦船を次々と沈めました。
潜水艦開発に取り組んでいた…そしてドイツのノウハウと日本の技術を組み合わせ新しい潜水艦を次々と生み出していきました。
こうした技術の集大成とも言えるのが伊400です。
ちょっとここで伊400がいかに巨大だったのかその大きさを体感してみたいと思います。
私の後ろに見えますのが格納筒です。
この中に攻撃機が3機搭載されているという事になります。
間近で見てみると迫力がありますよねえ。
計画から3年の歳月をかけて完成した伊400。
しかし日本を取り巻く状況は大きく変わっていました。
昭和19年12月に完成した伊400。
この日甲板で撮影された乗組員たちの集合写真です。
このころ潜水艦のベテラン乗組員はその多くが戦死していました。
伊400の元乗組員の方に会う事ができました。
山西義政さん92歳。
広島県出身です。
(山西)この人物です。
山西さんは22歳で伊400に乗り組みました。
そんな感じですよね。
そしてもう一人当時最年少だった乗組員がいます。
当時17歳。
潜水艦に乗るのは初めてでした。
これが伊400潜か。
聞きしに勝る大きさじゃのう。
なんせ世界一の潜水艦ですからね。
そうか。
俺たちはこの船に乗るのか。
伊400と出会った若者たち。
このあと時代の荒波にのみ込まれていく事になります。
(砲声)昭和18年に入ると戦局は連合国側有利に傾いていました。
ドイツが敗れれば大西洋に派遣されていたアメリカ艦隊が日本と戦うためパナマ運河を通って太平洋に来るのは明らかです。
そこで新たな作戦が立案されます。
ここを破壊できればアメリカ艦隊は南米を大きく迂回しなければならず太平洋到着を大幅に遅らせる事ができます。
パナマ運河攻撃。
それが伊400に課せられたアメリカ本土爆撃に代わる新たな任務でした。
おのおの訓練に邁進せよ!かかれ!パナマ運河奇襲のための訓練が始まりました。
作戦はまず潜水艦の本領発揮で敵の目をかいくぐりパナマに接近。
急速浮上するや晴嵐を発進。
また直ちに潜航します。
海面に浮いている時間が短ければ短いほど敵に発見されにくく作戦成功の可能性は大きくなります。
浮上の時間を最小限にする。
それは晴嵐発進の時間をいかに縮められるかにかかっていました。
設計を担当した尾崎技師の研究ノートです。
整備員が陸上で晴嵐を組み立てた場合の所要時間が記されています。
1機を準備し終えるまでに7分17秒。
単純計算だと3機22分程度で発進完了できます。
しかしこの作業が一筋縄ではいきませんでした。
まだ終わらんのか!これでは発進する前にこっちがやられてしまうぞ!分かってます!こっちだって必死にやってるんです。
ですがこの晴嵐の機構がややこしいんです!航空機など専門外の潜水艦乗組員が作業に当たったためはるかに時間がかかってしまったのです。
乗組員たちは毎日必死で訓練に明け暮れました。
こちらは晴嵐の機体に貼られていたいわば発射マニュアルです。
「作業注意事項」と書かれています。
乗組員が組み立ての順番を覚えるために作ったものと思われます。
このマニュアルを基に晴嵐の発進準備を再現します。
まずは主翼を広げ90度回転。
続いて垂直尾翼水平尾翼の順番に伸ばします。
最後は海面に着水するための浮きであるフロートを取り付け準備完了です。
10分。
お〜!3機をここまで速く発進できるようになるなんて!よし猛訓練のかいがあったのう。
晴嵐が飛び立ったあとは敵の攻撃を避けるためすぐさま海に潜ります。
両弦停止!急速潜行!両弦停止!急速潜行!急速潜行!「ベント開け!」。
ベント開け!山西さんの任務は伝声管を通して聞こえてくる命令を自分の持ち場にいる全員に伝える事。
だから「ベント開け」ってねそれも「ベント開け」じゃない。
(機械音)潜水艦の中は機械の音でうるさく命令を正確に伝えるためにはちょっとした工夫も必要でした。
だから「出航」でしょ。
それから用意ドンいうて「ドン」じゃないここ。
厳しい訓練と乗組員たちの工夫によって伊400が浮上して晴嵐を飛ばし再び姿を消すまでの時間を20分以内に短縮する事ができました。
日々厳しい訓練に明け暮れた伊400の乗組員たち。
彼らは潜水艦の中でどんな生活を送っていたのでしょうか。
こちらは海上自衛隊の潜水艦「あきしお」。
11年前まで現役で任務に就いていました。
潜水艦の中はとにかく狭く廊下もすれ違う事ができないほど。
乗組員たちはもちろん相部屋。
睡眠のスペースも限られます。
寝返りをうつのも大変そうです。
こちらは伊400艦内の写真。
やはりベッドがありますが…なんとここは魚雷発射管室。
こんなところも寝床にしなければならないほど場所がなかったんですねえ。
続いては食事。
こちらは海上自衛隊の潜水艦で出されているメニュー。
乗組員に大人気なのはカレーなんだそうです。
一方戦時中の潜水艦の食事は缶詰がほとんどでした。
作戦が長引くとみんな缶詰にすっかり飽きてしまったそうです。
そんな時に天の恵みが飛び込んできました。
その日のうちに早速おかずに。
潜水艦乗りにとって新鮮な食材は何よりのごちそうだったのです。
こうした厳しい生活にも負けず若者たちは訓練に励んでいたんですねえ。
さてアメリカ本土からパナマ運河に攻撃目標が変更となった伊400ですが戦況の悪化とともに作戦は更に変更されます。
伊400に与えられた新たな使命。
それは特攻でした。
パナマ運河に対する攻撃作戦に向け伊400では総仕上げの訓練が行われていました。
ところが…。
艦長!潜水隊司令部より入電!何か?パナマ攻撃は取りやめになりました。
作戦中止だと!?突如伝えられたパナマ運河攻撃の中止命令。
(爆破音)伊400が訓練に没頭している間に戦いは最終局面へ動いていました。
それにより大西洋のアメリカ艦隊の多くが既に太平洋に移動。
パナマ運河破壊の意味は失われていたのです。
更に…こうした中伊400に新たな任務が与えられます。
南太平洋ウルシー環礁への攻撃です。
ここにはアメリカ軍機動部隊が集結し日本侵攻への準備を進めていました。
一隻でも多くの敵を沈め本土防衛のための捨て石となる決死の作戦でした。
この時晴嵐の搭乗員たちに課せられた任務が特攻です。
「特攻」とは飛行機に爆弾を搭載したまま敵に体当たりする攻撃の事。
ひとたび出撃すれば死を覚悟するまさに捨て身の戦法でした。
出撃を前にして…。
敬礼。
晴嵐の搭乗員たちに短刀が授与されました。
海軍少尉橋一雄。
はい。
短刀は特攻の任務の証しで海軍では部隊の指揮官から部隊各員に手渡されるのが習いでした。
晴嵐のパイロット橋一雄少尉に贈られた短刀です。
「神風」の文字と当時の連合艦隊司令長官の名が書かれています。
橋少尉はこれから死にゆく自分の形見として郷里の母に短刀を送りました。
昭和20年7月20日伊400出港。
港で最後の別れがありました。
伊400は同型艦の伊401と共にウルシー環礁を目指します。
敵の目をあざむくため2隻は別々に行動。
南太平洋のある地点で合流しウルシー停泊のアメリカ艦隊を奇襲する手はずでした。
無事にたどりつく事さえ難しい状況下での作戦行動です。
最年少の伊400の乗組員塚さんは命を捨てて戦う覚悟でした。
私はねよし…出ていったんですがね。
しかし艦内で自分とは違う考え方の人たちと出会う事になります。
何見てるんですか?これか?俺の女房だ。
奥さんきれいな方ですね。
他のやつらがどう考えてるかは知らないが俺は死にたくない。
なんとしても生き延びて女房のもとに戻るんだ。
塚お前はこの艦で一番若い。
お前も命を粗末にするなよ。
山西さんもこの出撃の中生きて日本に戻る事を意識し始めます。
山西お前わしと同じ広島の出じゃったのう。
この戦争が終わったらどうするつもりじゃ?一旦出撃したからにゃ命は捨てたつもりじゃけえ先の事なんぞ考えた事もないわい。
じゃええ話がある。
これじゃ。
(山西)何じゃ干し柿か。
それがどうした?わしの家は農家じゃけんのう干し柿を作っとる。
甘うてみんな欲しがるけんのう。
お前も広島で干し柿売りゃええ金になるど。
ふ〜ん。
まあ確かにこりゃうまいのう。
わしの家で作った干し柿じゃ。
うまいのは当たり前じゃ。
死と隣り合わせの戦場で若者たちは生きる事に向き合い始めていました。
日本を出ておよそ2週間後の8月6日。
伊400はオーストラリアからのラジオを受信します。
おい!今の聞いたか?ああ。
広島が新型爆弾で全滅したと言っているが新型爆弾て何だ?本土では一体何が起こってるんだ…。
伊400が日本を離れたあと…2日後…こうした情報はラジオや無線を通じて伊400の艦内にも伝わりました。
おい山西ちょっといいか。
はい。
何でしょうか。
お前確か出身は広島だったな。
はい。
敵が広島に新型爆弾を落とした。
町はひどいありさまらしい。
え…新型爆弾?伊401を待ちます。
攻撃は3日後に迫っていました。
伊400ははるか遠い日本からのラジオ放送を受信します。
その放送は途切れ途切れで聞き取りにくいものでした。
(玉音放送)日本の降伏を伝える「玉音放送」でした。
(玉音放送)この直後伊400では降伏を潔しとしない士官たちが声をあげます。
どの面下げておめおめ日本に帰るというんだ!こうなった以上伊400は海賊となって最後まで戦おうじゃないか!それでは陛下のご意思に背く事になる。
昨日の通信では戦はやめよと仰せになっていたではないか!艦長!艦長!艦長!艦長!本艦はこれより呉に帰投する。
俺は艦長である以上乗組員全員を郷里に帰す義務がある。
ここは命令に従ってくれ。
(すすり泣き)技術者たちが精魂を込めた新鋭機をむざむざ敵に渡したくないとの思いだったのでしょうか。
帰途についた伊400は日本の近海でアメリカの駆逐艦に発見されます。
これはアメリカ軍が撮影した拿捕の瞬間の伊400です。
甲板には乗組員が並んでいます。
日本の軍艦旗は星条旗に替えられました。
伊400はアメリカ軍に伴われ横須賀に帰港します。
塚さんは日本へ戻った時に見た光景を鮮明に覚えています。
きれいな富士だったですよ。
(ため息)なぜ敵のために掃除などせにゃならんのだ!苦楽を共にした艦です。
ピカピカに磨いてアメリカに渡しましょう。
汚いままじゃ世界一の潜水艦の名が泣きますよ。
山西さんはふるさとの広島に戻ります。
原爆によって家も家族も全てが失われていました。
乗組員たちが故郷に戻ったあと…専門家の手で徹底的に調査するためです。
アメリカ軍が作成した伊400の調査報告書です。
これまで見た事もない形や性能への驚きが記されています。
「興味深い事にこの潜水艦は8の字の輪郭を持っている。
筒状の格納庫には航空機が4機は収納できるだろう」。
しかし突如方針を一変。
去年ハワイで行われた潜水調査で新たに見つかったものがあります。
伊400の側面に開いた大きな穴。
これは魚雷が命中した事による破壊の跡です。
(爆破音)アメリカ軍が伊400を突然沈めた理由は明らかになっていません。
しかしそれは当時敵対しつつあったソ連から伊400を検分したいという申し入れがあった直後の事でした。
日本の技術の粋を集めて建造された潜水艦伊400はハワイの沖合に沈み長い眠りにつく事となったのです。
太平洋戦争終結から70年。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
乗組員の中でも最年少だった塚一雄さん。
生き残った自分に何かできる事はないか。
そう考えた末新たな船に乗り込みます。
それは復員船。
機関士として船の航行に携わり終戦後海外に取り残された何千もの日本人を祖国に送り届けました。
(取材者)見覚えありますか?え?見覚えありますようん。
原爆で焼け野原になった広島。
山西義政さんの戦後は町の復興とともにありました。
全てを失った山西さんは終戦の翌年広島の闇市で商売を始めます。
そして市内に自分の店を開きました。
(山西)はいおはよう。
おはようございます。
現在は西日本一円に展開するショッピングセンターの会長を務めています。
山西さんが闇市で最初に売ったもの。
それは干し柿でした。
伊400の中で仲間に勧められた干し柿。
広島の焼け野原から立ち上がる力となりました。
戦後70年たった今山西さんは自らの体験を通して生きる事の意味を伝えたいと考えています。
だからできる機会があればね…70年の時を超えてよみがえった巨大潜水艦伊400。
今再び戦争の記憶を伝えようとしているのかもしれません。
2015/05/06(水) 22:00〜23:15
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽幻の巨大潜水艦 伊400〜日本海軍極秘プロジェクトの真実[解][字]
日本軍の巨大潜水艦・伊400。その姿をNHKのカメラがハワイの海底でとらえた。内部に折りたたみ式攻撃機を3機搭載する世界に例を見ない潜水空母の数奇な運命を描く。
詳細情報
番組内容
太平洋戦争中に日本が技術の粋を集めて建造した伊400。NHKはハワイ大学と共同で水中調査を実施。世界で初めて伊400の核心部分“格納塔”などの撮影に成功した。今回、水中調査の成果や、専門家の協力のもと精巧な復元CGを制作。当時の乗組員へのインタビューも交え、世界を驚嘆させた幻の潜水艦の実像に迫るとともに、日本が敗戦へと突き進む中、“最新兵器”伊400がたどった数奇な運命を描く73分のスペシャル。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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