巡り合った時彼女32歳
幸せな家庭をつくるのが夢でした
彼34歳
結婚にも子供にも興味はありませんでした
彼は彼女を誘って一緒に暮らし始めましたが結婚する気はありませんでした
そんな彼が結婚したのは…
(芦田豊実さん)みんなこれ上高地だ。
出会いから22年後のこと
はいせい枝豆…。
久しぶりに冷凍だけど殻ここに入れるんだよ。
(芦田節子さん)これ冷凍?冷凍今温めた食べてみ。
殻ここに入れて。
殻ここだぞ。
そんなとこ置くなよ殻。
拾ってよ…。
フッフッフッ。
この殻入れに捨てなよこれ手で持ってるの…。
彼女は若年性認知症になっていました
ハハっ!ハハっ!
人生の晩年に待っていたもの
結婚とは何か?
それね俺のだからハハハ…!フフフ…。
愛とは何か?
京都に住む2人を初めて訪ねたのは7年前のことでした
(チャイム)はいおはようございます。
(ディレクター)おはようございます。
こんにちは。
芦田豊実さん
節子さんと結婚して4年目を迎えていました
間違いハハハ。
間違えたごめんごめん。
節子さんが若年性認知症と診断されてからの結婚です
これ反対だった。
洋服をどうやって着るのか
トイレはどこか
忘れていました
全然予想してないですよね介護なんてのはですね妻が病気になる前は何ら関心もなかったんですね。
する必要もなかったですよね。
節子さんが53歳で認知症と診断された時芦田さんは55歳
東京の大手コンピューター会社でシステムエンジニアとして働いていました
当時2人は千葉に住んでいましたが芦田さんが転勤になり京都に単身赴任
程なく節子さんの病気が進んで1人で生活できなくなり京都に呼び寄せました
突然認知症の介護をしなければならなくなった芦田さん
どうしていいか分かりません
駆け込んだのは認知症の家族を介護する人達の集まり
1人にさせる時間を極力少なくしなきゃいかん。
経験者に相談しアドバイスを求めたのです
追い詰められてたと思いますよ。
日常的にやっぱり仕事をしながら奥さんがそういうふうにどんどんダメになって行くっていうのを抱えてるわけですから。
日中は節子さんをデイサービスに預け会社に行きます
けれど仕事と介護の両立は大変でした
さらに家事ができなくなった節子さんに代わって掃除洗濯
一番の苦痛はほとんどやったことのない料理でした
これね動いちゃう。
サラリーマン時代は毎晩飲んで帰る生活
初めて料理学校に通い包丁の持ち方を習いました
うまく行きません。
東京に戻るよう会社から辞令が出たのはこんな暮らしにも少し慣れて来た頃でした
(鳴き声)
新しいことを記憶できない節子さんにとって環境を変えることは大きなストレスになります
何見てるの?ポンちゃん見てるの?ん?
ストレスで認知症が進むことを恐れた芦田さんは京都での生活を続けるため会社を辞めました
勤続41年
定年の1年前のことでした
この日の料理
これ食べてよこれこれ。
これ?うん。
ブロッコリーの油炒め。
あんまり味がないな。
節子さんは言葉を忘れ会話が難しくなっていました
それでも…
分かんないハハハ。
時には節子さんの失敗にわざとツッコミ
それね俺のだからハハハ…!ハハハハ…。
結婚に興味がなかった芦田さんがなぜここまでするのでしょうか?
この日2人が向かっていたのは16年間同棲していた千葉のマンション
この右の団地がそうですよ。
節子さんの病気が悪化し急いで京都に呼び寄せたため荷物が手付かずのままでした
すごいすごい。
節子さんが何かを拾いました
(ディレクター)何ですか?それ…節子さん。
これは財布ですアハハ…。
(ディレクター)誰の?私の財布。
(ディレクター)覚えてます?この部屋。
ええ。
(ディレクター)覚えてる?はい。
覚えてるよな?うん。
ハハっ。
10何年も住んだ部屋だもん。
芦田さんが節子さんと知り合ったのは34歳の時
新潟から上京し大手コンピューター会社で働いていました
知人から結婚相手として紹介されたのが…
同じ新潟出身の節子さんだったのです
2つ年下の32歳
東京でOLをしていました
笑顔のかわいい控えめな女性
たまに会ってお茶を飲む友達付き合いが続きました
6年後芦田さんが40歳の時節子さんを自分の部屋に呼んで一緒に住み始めました
その部屋がここなのです
病気になる前は銀行に勤めていた節子さん
使っていた洋服や荷物はここに置いたままでした
そろばん1級簿記2級の他に生け花の資格まで
教授なんですよ小原流の。
(ディレクター)教えられるってことでしょ?そういうことだろうね。
教室開けるんですよ…なぁ?アハハ…。
生真面目でコツコツ努力する女性でした
同居を誘われた時節子さんは38歳
当然結婚するものと思っていました
でも芦田さんは…
一緒に生活はするんだけどしてもいいんだけど結婚するまではね。
なかなかあの…行きたいというふうな気持ちにはならなかったんですよね。
もう少し背が高い人がいいなっていうようなそんな気持ちもあったしねそういう身体的な問題ですよ。
うん。
(ディレクター)えっでも一緒に住んでるんですよね?うんそうそう…。
そこはね男としてやっぱりズルいところでもあるんだよね。
うん。
「ルームメートとして一緒に住むにはいいけど結婚するほど好きじゃない」
「そもそも結婚にも子供にも興味なし」
そんな身勝手な考えだったのです
知り合った頃子供が欲しいと言っていた節子さん
2人の思いは擦れ違っていました
3回ぐらい怒ったかな怒ってね夜うん。
何で結婚式を挙げないんだってことでね。
ほんで怒って家パッと出て行ったこともありますよ。
うん。
怒った…まぁ普段はねあんまり怒らないんだけどそれに関してはね3回ぐらい怒って…。
だいぶ怒られましたね私がね。
それであいまいで答えててまぁまたうやむやになったんですけど。
怒ったってのは覚えてるよな?もう忘れた?忘れ…。
忘れた?
芦田さんは節子さんの気持ちに向き合おうとせず子供をつくることもありませんでした
アルツハイマーの兆候が表れた時節子さんは53歳
同棲して15年がたっていました
当時の節子さんのメモ帳が出て来ました
住所を何度も書こうとした跡
自分の気持ちを受け止めてくれなかった芦田さんには何も話していませんでした
だいぶ苦しんでたんだろうねきっとね症状が表れて。
(ディレクター)でもその様子は…。
いや全然気が付かなかったですね。
診断が出て初めて節子さんの病気を知りました
結婚しなかった相手
このまま別れる選択肢もありました
今まで長い同棲生活でしたからね。
まぁ最後はあの…面倒見なきゃいかんという気持ちもあったし。
夫婦のほうが介護手続きがスムーズになるため婚姻届を出しました
芦田さんなりの責任の取り方でした
思い出の詰まった部屋
京都に住むと決めたため荷物を処分しなければなりません
引っ越ししなきゃいけないんだけど…。
うん。
こういう皿ね持って行けないわけ。
うん。
これもう処分しちゃうけどいいよなうん?うんうん…。
要らない?何か残すものある?見てごらんほらこっちこっち…。
自分で見てごらんこれみんな処分していい?
節子さんの表情が変わったのは食器棚を見た時でした
料理が好きでした
同居を始めた時たくさんの食器を持って来ました
結婚して家族が増えることを夢見て若い頃から集めていたのです
けれどそのほとんどは使われることはなく料理もできなくなりました
うん?どうした?うぅ…。
どうした?うん?どうもしないけどさ…。
何だか元気ないな。
悲しいかうん?こういうやつは一応持ち帰って来ようかキレイなやつ…持ち帰る?重箱うん?うん?うっ…。
見てどう?これこれこれは持って帰る?それとも処分する?どっちがいい?うぅ…。
うん?どっちがいい?うん?
(ディレクター)自分がもう…。
(ディレクター)持って帰ってもどうしようもないから欲しいと言わないのか。
うん多分ね後者ですよね。
いい?ハァ…。
(芦田さんの声)だんだん衰えて行くっていうか機能が失われて行くわけですね。
その姿を見るのがやっぱりう〜ん…何ていうのかなかわいそうでならないんですよね。
翌日…
これよく知らない?ハハハ…。
これ持って帰ったら?ハァ…。
節子さんをなぐさめようと芦田さんは少しばかりの食器を京都に持ち帰ることにしました
部屋を明け渡す日
失礼します。
(食器がぶつかる音)
(食器が割れる音)
(食器が割れる音)
(食器が割れる音)
節子さんのささやかな夢が砕けて行きました
(食器が割れる音)うぅ。
(食器が割れる音)大丈夫だせいの物も全部持ったから。
なぁ安心していいよ。
いい?
病気になって初めて気付いた節子さんの人生
今までの節子のそういう生活は何が喜びだったんだろうとかね。
私と一緒に住んでるっていう問題も含めて。
ちゃんと結婚して子供をつくってで子供を育ててっていうのがまぁ普通の家庭でのね喜びもあるじゃないですか。
そういうことを経験させられなかったっていうそういう後悔ですよね。
どんなに悔やんでも時計の針を戻すことはできません
ならばせめて残りの人生を共に…
でもそれは苦難の連続でした
千葉のマンションを引き払い再び京都に戻った芦田さん
心機一転第2の人生をスタートさせました
おはようございます。
システムエンジニアだった会社員時代とは全く違う介護ヘルパー2級の資格を取り施設でパートを始めたのです
♪〜なきなきよがものもう少しで終わるよもう少しで。
義務としてやらなければならなくなった妻の介護
でも介護のプロになれば収入も得られ経験を自宅で生かせると考えました
そして節子さんとの結婚生活
みそ汁じゃないとろろの澄ましを作りたいと思うんだけどしょうゆの度合いが分かんない。
(ディレクター)え〜!?
一見いつもと変わらぬ毎日
おいしいです。
(ディレクター)あっおいしい?
けれど認知症はどんどん進んでいました
こう横に磨いてごらん前歯を。
ハァ。
横やない…それ内側だろうが。
前歯前歯。
いい〜。
もうダメ?
前歯がどれか分からない
階段の段差が分からず1人で下りられない
できないところを補ってあげてはいるんだけども。
だいぶまぁ悔しさもあるんだろうと思うんですよね。
介護のプロになった芦田さんにもどうにもできないことがありました
節子さんがふさぎ込むようになったのです
寝よう。
ハァ…。
えっ?こっちで寝てるの?なぁ?う〜んほっといてくれる?うん?ほっといてくれる?ホント。
困った時芦田さんが心の支えにしたのは同じように介護をしている人達との交流です
家内を見て20年。
トイレに一日30回も行く。
まぁ若年期認知症…。
それは介護をする男性達の会合で悩みを打ち明けた時のことでした
私の妻の場合はですねまぁ自分のその病気ってのが分かってましてですね人生を嘆くわけですね。
「どうしてどうして?」「なぜなぜ?」。
「なぜ私がこんな病気になるんだ」と。
「神様助けてください」と。
でそれを聞いて夫としてですねどうすることもできない…。
落ち込んでる姿を見てるだけでですね手が出せないおろおろするばかりなんですね。
でこういった時にやっぱり先輩の話を…。
人前で涙を見せたことのない節子さんが泣いていました
出口の見えない日々
そんな時思い出す言葉があります
先を見ちゃいけないと。
あの〜。
まぁ先の見えない介護をやってるわけですからね。
あんまり遠いところを見てですねあの〜まぁ悲観的になってはいけないと。
まぁ介護経験者がみんな口をそろえてですねやっぱりそういうことを言ってるっていうことはそこに共通点があるんだろうと思うんですよね。
それから半年後
新たな問題が起きていました
じゃあこれ。
「これ」ってどれ?これこれこれ。
このズボンさはい。
これが…。
これ…今まではいてたやつ。
はいこれはいて。
いやこれちょっと。
これ緩いの一番大きいの。
一番緩い…大っきいのに…。
一番大きいのにしてるからはいはこうはこう。
せいほらこれ…。
早く行かないといけないんだけど。
ハァ…。
早くはいて?なぁ。
節子さんが芦田さんの言うことを聞かなくなって来たのです
(歯を磨く音)こっちで磨きなこっちで。
そっちへ行くとまた…途中で終わるといけないから。
芦田さんを無視
ここに出すの。
連れ戻しますが…
じゃあ寝るか?せい…せい?
再び背を向けます
トイレ行く?行かないか。
介護を拒否するようになっていました
認知症が進み自分が介護されていることが時々分からなくなって来たのです
出会ってから22年間結婚しなかった女性と56歳でまさかの結婚
若年性認知症の妻を介護するため会社まで辞めた芦田豊実さん
結婚から4年
新たな問題が起きていました
今は寝なくなってる眠くないんだろうねうん。
やっぱり昼夜逆転になるとね大変なんですよね負担が。
認知症の人の多くが昼夜逆転の生活になり家族は対応に悩むといいます
夜一体何が起きているのか?
芦田さんの家に泊まらせてもらうことにしました
あぁ…。
午前1時半を回った頃…
うん?新発田新発田。
うん。
あ〜。
うん。
新潟出身の節子さん
お姉さんが新発田市に住んでいました
(ディレクター)どこも行かない…?ヘヘヘ…。
もう朝だぜ朝。
芦田さんから注意されると…
(ディレクター)うん?おかしいですよ。
(ディレクター)おかしい?何がおかしい?迷惑かけてすいませんけど…。
(ディレクター)私は大丈夫。
節子さんは夜という時間の感覚がなくなり芦田さんがなぜ怒っているのかも分かりませんでした
夜が明けても…
うん…。
うん。
うん…。
なぁ?電話しよう。
うん。
うん。
新発田で…私は…。
うん。
京都?うん。
で…。
新発田。
うん。
うん。
うん。
芦田さんは何度も節子さんをお姉さんに会わせています
でも覚えていないのです
うん。
うん?今週じゃなくて?
1分後…
うん?うん。
ハァ…。
何かだるいな体な。
うん。
だるくない?だるい。
だるい?うん張本人ここにいる張本人。
ハハハ…。
分かるか張本人。
訳の分からん人とね…ず〜っととにかく24時間生活しなきゃいけない。
365日ね生活しなきゃいけないわけだ。
そうすると思うように行かないことがやっぱり多々あるとねやり切れなさみたいなのあるわけです。
またかまた同じことやってるまた明日もそうだ明後日もそうだ…っていうふうになるとね疲れて来るわけですよ。
芦田さんの日記
「6月26日便の処理ができないのでおしりを洗おうとしたが拒否。
パンツもはかず思わず声を荒げる」
介護拒否に加えたびたび起きる昼夜逆転
温厚で忍耐強い芦田さんも我慢の限界に近づいていました
さらに不可解なことが…
ほら座る座るうん?せいここ座るんでしょ?こっちだよ。
節子さんが芦田さんにおびえるようになったのです
認知症が進んだせいで介護を拒否し時々夜眠らなくなっていた節子さん
不可解な行動も起きていました
「9月14日バスの中で『助けを求める』」
バスに乗っている時芦田さんから逃げようとしたのです
私と2人でいる時間が長い時に何かが蓄積されて来てパ〜っとね爆発するっていうのがあるのかもしれないね。
だから何か原因がこっちにもあるんだと思うんですよね。
それがよく分かんないんだけど。
節子さんの心の中で何が起きているのでしょうか?
それはカメラを手に芦田さんの家に泊まって4日目の夜のこと
寝室の前で節子さんが立ち尽くしていました
(ディレクター)怖くない寝てるから。
寝かせようと背中を押してみましたが…
よしよしはい寝るよ。
ここへ寝転がって。
ここへ…。
よし。
ほら座る座るうん?せいここ座るんでしょ?こっちだよ。
何?何?こっちで寝る?ハァ…。
こっちで寝る?ここ。
芦田さんから逃げるように出て来てしまいました
(ディレクター)怖い?
芦田さんが怖い
何度も繰り返します
(ディレクター)家に帰りたい?
芦田さんが怖いのでお姉さん達のいる新潟県新発田市に帰りたいと言います
(ディレクター)いない?ええ。
同棲していた頃あれほど望んだ「結婚」という事実さえ忘れてしまいました
その日の午後…
(ディレクター)あっこんにちは。
ただ今戻られました。
節子さんがデイサービスから帰宅しました
なぜ芦田さんが怖いのか?
もう一度尋ねましたが理由は分からないと言います
(ディレクター)芦田さんが怖いって何か相談したことあります?いや…。
どうだろ…。
(ディレクター)うん?それがそれが…。
もう全然…。
(ディレクター)正直に言ってみたほうがいいと思う。
いや…。
(ディレクター)言えない?何で?ハァ…。
結婚したことを忘れた節子さんにとって芦田さんは同棲相手という不安定な存在
「怖い」と言えば関係が壊れると悩んでいるようでした
ハァ…。
ハァ…。
もう芦田さんに節子さんの気持ちを伝えるしかありませんでした
ただいま。
節子さんを説得して全てを打ち明けることにしました
何?悩み事って。
(ディレクター)悩み事があるの。
何?
(ディレクター)今言うからちょっと聞いてください。
私にはちょっと分からない…。
(ディレクター)分からない?分からなくなっちゃった?うん。
(ディレクター)節ちゃんは何でか分からないんだけど芦田さんのことを怖いと感じる時があるんですって。
ねっ?うん…。
(ディレクター)で自分の誤解かもしれないし。
うん多分誤解だと思うんだけど。
(ディレクター)でもよく分からないけど2人っきりでいると怖いと思うことがある。
うん…。
あんまりハハ…。
ハァ…。
(ディレクター)だから悩んでるのどうしたらいいか分からなくて。
うん…。
(ディレクター)お姉さんの所に帰ったほうがいいんじゃないかとかでも帰ってもお姉さん達は結婚してるし私の面倒は見てもらえなさそうだし芦田さんと2人でいると怖いしどうしたらいいかなと…。
(ディレクター)節ちゃんいい?そうだよね?う〜ん…。
俺は節子が言うこと聞かなくて怒る時があってやっぱその怒ってるってことがずっと残ってるんだろうな。
しばらく髪の毛洗ってないから洗ってあげようとすると…。
「熱い」とかな「湯熱い」とか「そんな髪を洗うのは頼んでない」とか。
節子の自分が意識しない中で病気がねいろいろそういう行動を引き起こすと。
自分でもよく分かんない…ということなんだろうと思うんだけどもな。
お互いに生身の人間だからやっぱり善かれと思ってやってることに全く逆なような返事が来たらこんちくしょうと思う時があるわけだよ。
柱をたたいたりそういうことはまぁなたまにはあるわけだ。
でも自分に対して暴力でもって何かねたたくとかそういうのが過去にもないし。
これからもずっと面倒見て行かなきゃいけないとは思ってるからな。
そこは安心していいよ。
うん。
そりゃきょうだい以上に節子のことを思ってちゃんと善かれと思うことをやってるつもりなんだけどな。
うん…。
ねぇ少しは分かった?うん。
芦田さんがいてくれるから助かって…。
うん。
芦田さんの思いを聞き節子さんは落ち着きを取り戻しました
この日からしばらく昼夜逆転の生活は収まりました
晴れの日も雨の日も介護は続きます
節子さんが情緒不安定になり芦田さんを困らせることはその後も繰り返し起きていました
先の見えない介護だからこそ先を見てはいけない
ハハっ!ハハっ!それ逆。
ハハハ…。
節子さんが少しでも笑顔になるよう一日一日を過ごしました
節子さんの体調に大きな変化が起きたのは結婚してから9年がたった時でした
(ディレクター)お元気そうで。
ええ。
テレビ…。
2か月前自宅で全身がけいれんして意識不明になり救急搬送されていました
「このまま死んでしまうのか?」
初めて節子さんの死を覚悟した芦田さん
その存在の大きさに気付きました
介護する相手がいるからこそ食事も作るし部屋も掃除するし。
一生懸命やることによって自分の生活が充実してるっていうのを感じる時ってのが結構あってそれがまぁ生きがいにつながって行ってると。
要介護度は最も重い「5」になっていました
おいしい?ハハハ…。
おいしいですか?
自分で食べられなくなりほとんど話すこともできません
はい寝よう…寝ていいよ。
ハハハ…。
おやすみおやすみ。
ハハハ…。
最後に残ったものは笑顔
はいおやすみ。
身勝手だったあの頃
結婚を迫られてもはぐらかしてばかりいました
それでも結婚したのは責任を感じたから
義務として始めた介護
でもそれは節子さんという1人の女性に正面から向き合うことでした
アハハ!ハハハ…。
目が開いてないよ?うん?桜見な桜。
桜見に来たんだからな…なぁ?
(ディレクター)見えるの?カッコいい桜桜見てごらん?桜。
ほら…この桜上の桜。
桜ハハハ…。
人生の晩年に芦田さんが見つけたもの
思いが強くなったっていうことだろうね。
思いやりが思いやりが。
うん愛情含めてね。
(芦田さんの声)本人が困らないように一生懸命介助してあげようという思いは愛情のひとつの表れだと思うんだけどね。
そして今年
芦田さん66歳節子さん64歳
よいしょ…結婚の証しはこれぐらいしかないからね。
結婚して10年がたちました
左手だっけな。
はいこういう感じこれどう?大きいんだよね。
(ディレクター)ハハハ!いいじゃないですか。
記念ですよ。
(ディレクター)ねっ。
ねっ。
これ知ってるか?これこの指輪。
指輪だよ指輪指輪。
うん?
医療の進歩でお腹の赤ちゃんに障がいの可能性があるか分かるようになって来ました
知りたいですよね。
・知りたい?・
もしもの時あなたは産みますか?
それともやめますか?
2015/05/11(月) 01:00〜01:55
読売テレビ1
NNNドキュメント「晩春 認知症の彼女と結婚した理由」[字]
結婚にも子供にも興味がない男性が、56歳で想定外の結婚。16年間同棲した女性が若年性認知症になったからだ。介護のため会社を退職。まさかの結婚でみつけたものとは。
詳細情報
番組内容
「結婚しない男」がまさかの結婚…。家庭にも子供にも興味がなく独身を通してきた男性が、56歳にして想定外の結婚をした。京都に住む芦田豊実さん(66)。きっかけは16年間同棲した女性が若年性認知症を発症したこと。初めての家事と介護に悪戦苦闘。サラリーマン生活と両立ができず、会社を退職した。他に頼る人もいない1対1の介護で、2人の関係は悪化していく。しかし、芦田さんには人生の晩年にみつけたものがあった。
出演者
【ナレーター】
余貴美子
制作
日本テレビ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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