東北Z「“里浦”に生きる〜石巻 長面浦の4年〜」 2015.05.11


太平洋に注ぐ東北一の大河…川海森。
この3つが出会う場所にあるのが…豊かな里浦として知られカキの養殖などが行われてきました。
しかし津波に襲われ周囲の集落は水没。
一帯で100人以上が犠牲になりました。
半農半漁の暮らしを支えてきた田畑の多くも水底に沈みました。
大半の地域は住む事ができなくなりました。
あれから4年。
それでもふるさとを諦めず新たに生まれたつながりを頼りに再起を図る人たちがいます。
カキの成長が三陸一早いと言われる浦で養殖を再開した漁師。
(小川英樹)これでね。
多くの支援者たちと共に歩みだそうとしています。
田畑を荒れたままにしてはおけないと若い農家たちを集めたリーダー。
緑豊かな里浦の姿を取り戻したいと考えています。
住む事がかなわなくなった集落に通い新たなふるさとの形を探り続ける人々。
ねえもう咲いてるでしょ?ほら。
長面浦に生きる人々の4年間の記録です。
震災発生の2週間後。
長面浦に続く道はあちこちが寸断されていました。
俺もね姉埋まってるから助けにゃならんだ。
今チェーンソー取りに行った。
今から。
遺体上がらん事にはだって…。
長面浦周辺は壊滅的な被害を受け子供からお年寄りまで10人に1人が亡くなりました。
集落ごと水没した地区もありました。
長面浦の目の前にある漁師民宿です。
(取材者)あっ坂下さんこんにちは。
ちょっと取材になんねえんでねえか?今日。
漁業のかたわら自宅で民宿を営んでいた坂下健さん。
避難所から毎日片づけに通っていました。
1階の天井近くまで津波が達した民宿は全壊。
カキの養殖やハゼ漁に使っていた船も全て使えなくなりました。
1年が過ぎても長面浦周辺は水没したままでした。
ライフラインの復旧は進まず県内で最も復興が遅れた地域と言われていました。
おお〜いやいや…。
それでも坂下さんはふるさとに通い続けていました。
漁師の中で最初に船を新調。
この浦で漁業を再開する事を決めたのです。
みんなも喜んでくれてるからね。
「頑張れよ」つってね。
漁師仲間と有り合わせの木材でカキいかだを作り再起に向けて一歩を踏み出しました。
それから2年後の…里浦に通う坂下さん夫婦の姿がありました。
震災前より生産量は減ったもののカキの養殖などを続けていました。
一方里浦を取り巻く状況は大きく変化していました。
地域の大半が災害危険区域に指定されたのです。
坂下さんが漁業のかたわら営んでいた民宿です。
(取材者)お邪魔します。
(取材者)宿泊施設なのに泊まっちゃだめって事ですか?
(取材者)ここが?はい。
(清子)そっちから入って下さい。
夫婦が蔵を改築して民宿を開いたのは22年前。
過疎化が進む里浦をもり立てようと手探りで始めました。
子供たちが喜ぶようにと健さんが設計したロフト。
もてなす客は一日1組だけに限定しました。
宿の自慢は里浦の新鮮な食材だけで作った清子さんの手料理。
健さんの船に乗ってのタコ漁や地引き網などの漁業体験も人気を呼び多くの家族連れがやって来ました。
小さな里だがここには誇るべき豊かさがある。
50代で出発した二人のふるさとづくりは実を結び始めていました。
(取材者)海水浴場があって…。
(清子)そう。
(取材者)キャンプ場…。
(清子)もあったし。
今何も…ここスポっと何もないでしょう。
漁師民宿を核にした地域づくりで全国的にも注目された坂下さんたちの試み。
しかし震災は長年積み上げたものを一瞬で奪い去りました。
ここは長面浦海のカキの養殖する所。
(取材者)ほんとにいい場所…。
(清子)だったのにねぇ。
(取材者)いろんな事ができたんですね。
(清子)そうだねぇ…。
ほんとに何だったんだろうねぇって。
どうしようもないな。
今は民宿を営んでいた頃につながった人たちから注文を受けカキを販売しています。
水揚げしたての浦の幸をここで振る舞う事はできません。
夫婦は毎日夕方になると我が家を離れ20キロ内陸にある仮設住宅に帰って行きます。
災害危険区域となった里浦。
それでも毎朝通ってくる坂下さんの仲間がいます。
(取材者)おはようございます。
おはよう。
この日は長面浦で養殖するカキの稚貝を運んできました。
(取材者)お邪魔します。
あっすごいいろんなものが…。
この里浦で生まれ育った漁師の…津波で半壊したかつての自宅を作業小屋として使っています。
それがほら…全部ほら。
こっちは…。
(取材者)布団敷いてあるんだ。
(取材者)1階で寝てて怖くないんですか?
(小川)一応そういう兼ね合いですね。
小川さんたちは去年の暮れ3年8か月ぶりにむきガキの出荷を再開しました。
息子の英樹さんも会社員を辞め長面浦の漁師になりました。
真新しいカキの処理場。
小川さんたち15人の漁師仲間が借金をして再建しました。
しかし多くの仲間は船も漁具も流され漁の再開を断念しました。
小川さんたちはカキが僅か1年で育つこの浦の豊かさを信じてきました。
自分たちが暮らしていける事を示す事で各地で避難生活を送る仲間を呼び戻したいと考えています。
小川さんたちが諦められない里浦。
長い闘いの末守ってきたものでした。
浦を囲む1,300ヘクタールの森。
養分を豊富に含んだ沢水を汽水湖に注ぎます。
冬場でも流れは絶える事はなくその量は森全体で毎秒8tに達します。
やっぱり全部落葉…広葉樹林。
この森が燃料として伐採された事がありました。
坂下さんたちは半世紀かけて一本一本木を植えてきたのです。
(取材者)山がなければ。
もう一つの闘いがありました。
昭和35年食糧増産のために長面浦を埋め立てる干拓事業が国の主導で始まったのです。
坂下さんは漁師仲間と9年にわたって反対運動を続け計画を撤回させました。
大切に守ってきたこの里浦を離れるわけにはいかないといいます。
そういう国のあれでね…。
(大槻)ゆうべいろいろ復興に関する話し合いがあってこの小学校を残すべきか壊すべきかでゆうべで2晩目。
多くの人が津波の犠牲になったこの地域。
姉やおいなどを亡くした悲しみを抱えながら里浦の再生に立ち上がった人がいます。
田畑の緑を取り戻そうと若い農家たちを集め農業法人を立ち上げました。
被災して農業を諦めた人から農地を預かり去年4年ぶりに米を作付けしました。
これとこれと…
(取材者)稲刈りしたんですか?そうです。
(取材者)出来はどうだったですか?塩害などが心配されましたが米は無事に実りました。
大槻さんたちは災害危険区域とはならなかった場所で菊の栽培も手がけています。
ここを開けて隣のハウスに行って。
社員は全部で10人。
20代から30代の若手も入社しました。
不安な面もあればワクワクな面もある。
まあでも楽しいっちゃ楽しいですよ。
一人でも多くの若者を雇う事で里のにぎわいを取り戻したいと考えています。
子供の声の聞こえない集落っつうのは恐ろしねぐ寂しいもんだ。
不気味だったよ。
今慣れたから不気味だと思わなくなったけども。
落ち着いてその辺さ街灯なんかつくようになった頃に普通なら「キャーキャーキャー」って子供の声聞けるわけよ。
そいつが聞こえてこないわけさ。
みんな隣近所と挨拶はすんだよ俺は「おはよう」とか。
子供の声はないんだもん。
不気味な静けさだ。
だから子供の声の聞こえるね村づくりやりたいのさね。
農業で進める里浦の再生。
しかし農地の復旧工事は1年以上遅れていました。
農水大臣が現場の視察に訪れる事になっていたこの日。
大臣に対し県の職員と大槻さんは国の支援の継続を要望しました。
海の養分が入ったかもしれないですね。
ハハハハ。
確かにそういう部分もあるようです。
あ〜そうですか。
いやこれ大変ですねしかしね。
国の支援がなければ立ち行かないのが被災地の現実です。
更なる課題もありました。
去年は米の価格が暴落。
この先農業でふるさとづくりができるのか不安を感じていました。
田んぼとしての利用なんだなや。
やっぱり…震災前まで漁師民宿を営んでいた坂下さん夫婦を訪ねました。
(取材者)おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
(取材者)今日はお邪魔します。
はい。
(取材者)今何されてるところですか?あの人準備。
(取材者)これ今何してるところですか?秋田県まで足を運びカキやムール貝などを販売する準備をしていました。
漁師仲間と向かったのは山あいにある羽後町。
ふるさとづくりを通じて震災前から交流してきた友人が暮らしています。
商店街の広場には地元の人たちが待っていました。
坂下さんを誘った20年来の友人…阿部さんもまたふるさとにあるものを生かした町づくりに取り組んできました。
かやぶき屋根の農家民宿に農業体験。
過疎の里に誇りを取り戻そうと坂下さんと励まし合ってきました。
長面浦の幸をふだんよりも高い値段で買うという申し出でした。
里山と里浦のつながり。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
もっとあるの?あとはあっち焼いて食べさせるカキ?はぁ…終わった。
(取材者)あっという間。
(取材者)健さんお疲れさまでした。
はいはいどうも。
(取材者)もう完売ですか?これ。
んだねぇ。
この晩30年近く続く祭りが開かれました。
寂しい出稼ぎの町と言われていた頃に阿部さんたちが始めた「雪の花嫁道中」。
結婚したばかりの町のカップルを皆で祝います。
祭りには地元の子供たちがたくさん集まっていました。
(男性)どうぞ〜!はい。
思いっ切りまいて下さいね。
ふるさとを思う人々が大切に育ててきた祭り。
(男性)ず〜っと向こうの方に投げてあげて下さい。
震災前の里浦のにぎわいが重なります。
長面浦に戻った坂下さんたちは動きだしました。
この日番屋小屋では里浦の幸を使った料理の試作が行われていました。
ここでカフェを開きかつての住民やボランティアが集う事ができる場所をつくろうというのです。
その時…。
その節はいろいろお世話になりました。
ありがとうございました。
(男性)久しぶりだろ。
津波で姉を亡くした友人の一家が墓参りの帰りに顔を出してくれました。
(女性)のんびり村の奥さん。
(清子)大きくなって…。
主人です。
(清子)どうも。
お世話になりましたいろいろと。
(女性)ありがとうございました。
大きくなって!
(清子)大きくなって…。
ねえ。
お世話になって…。
友人はふるさとを離れ県外で暮らす事に決めたと坂下さんに伝えました。
(清子)どうも!
(女性)どうもお元気で!
(清子)ありがとう!どうも。
(女性)失礼します。
はい!このころ坂下さんたちはある問題にぶつかっていました。
防潮堤の建設計画です。
この日は先に建設が始まっていた他の町にやって来ました。
長面浦に計画されているのはこれとほぼ同じ高さの防潮堤。
造られれば里浦の景観は一変し森と海のつながりが絶たれるのではないかと心配していました。
坂下さんの漁師民宿を解体し用地を提供してほしいという申し出も届いていました。
(取材者)擁壁?
(清子)反対しなきゃね。
うん。
あの日から4年の歳月が流れました。
(読経)長面浦の人々は一歩を踏み出しました。
準備してきたカフェの店開きを祝う祭りが開かれたのです。
かつての住民やボランティアが集まりました。
はいOK!え〜おはようございます。
来て下さいよ!食べて!この日水揚げされたカキが振る舞われました。
(女性)お一人一個で〜す!人数が多いので。
久しぶりのふるさとの味。
久しぶりの子供の姿。
あ〜ん。
久しぶりの再会。
田畑の再生に取り組む大槻幹夫さんの姿もありました。
年を考えて。
張り切る気持ちも分かんだけっどもさ。
おかげさまでね。
わあカキが!はいカキ。
かつて坂下さんの民宿に泊まった子供も来てくれました。
(女性)こんにちは〜すいませんありがとうございます。
また来てね!はい。
また来てね。
うん。
里浦を思う人たちのつながり。
少しずつ見えてきた新しいふるさとの形です。
翌日。
(取材者)もうこたつもストーブもぼちぼち…。
(清子)そうだね。
清子さんはこの日も里浦の家に来ていました。
そこに秋田で暮らす友人阿部さんから荷物が届きました。
坂下さん?はい。
健で。
あっ阿部則夫さん。
荷物届いてましたので…。
これはそして何だ?荷物開ける時って…あら!
(清子)ん〜…ほらかわいい。
(取材者)かわいい。
あららら〜。
もうこれくらい咲いたんだ。
ねえ〜。
冬に耐え春に花を咲かせる福寿草です。
ほら!箱さ入れて。
これと秋田で今これが…。
やっと…っていう感じ。
ねえ。
飯行くぞ。
うん。
はいはいはい。
(取材者)健さんやっぱりこういう人のつながりっていうのは…。
健さんはいつものように浦に向かいました。
(取材者)大丈夫なの?年取って。
(清子)年取って心配だし「無理しないでね」とかって言ったって「うるせえ!」とか言われっから。
「じゃ勝手にして」みたいなのもあるし…う〜ん。
住む事がかなわなくなった里浦に体のもつ限り通い続ける事を決めた夫婦です。
2015/05/11(月) 14:05〜14:50
NHK総合1・神戸
東北Z「“里浦”に生きる〜石巻 長面浦の4年〜」[字]

三陸でカキの成長が最も早い豊かな汽水域がある。石巻の長面浦。一帯は津波で壊滅的な被害を受けた。それでも仮設住宅から通い、ふるさと再生に挑む人々の格闘の記録。

詳細情報
番組内容
三陸でカキの成長が最も早い豊かな汽水域がある。石巻の長面浦。海と森と川の3つが出会う“神様が生んだ海”だ。一帯は宮城で最も復興が遅れた地域でもある。電気が復旧したのも最後だった。しかし再び立ち上がった人々がいる。20キロ離れた仮設住宅から通いカキ養殖を再開した漁師。人が集う場を取り戻そうとカフェを開いた女性。水没した田を復旧しようと若者を集めた農業法人のリーダー。故郷再生に挑む人々の格闘の記録。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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