わあ…すごい。
うわ〜自然光ですよ。
ああそうそうこれ。
これが見たかったんだ。
奄美大島の森の奥。
南国の緑に身を潜めるとかつてこの地で絵に命を懸けた画家の息吹が伝わってきます。
入魂のしかたがやっぱちょっといい意味として常軌を逸してる感じがしますね何か。
ふらっと立ち寄った芸術の理想郷。
お〜!景色いいっすねえ。
思いがけない美と出会う。
力強いなみたいな。
まあ確かに力強くはあるんですけども何かその…ギューッてやられる感じですね。
あっきれいですね。
まだ寒さ厳しい東北。
その風土に育まれた偉大な芸術家の世界へ。
(ヤマザキ)山の壮大さ自体がもう女神様みたいなイメージが棟方さんの中にあったのかもね。
もっと自由に感じるままに。
さあ「美をみつける旅」に出かけましょう。
うわ〜!やっぱり海の色が明るいですねえ随分。
やっぱり関東近郊とは全然違いますね。
いや〜すごい。
何か昨日までは雨が降って大変だったそうなんですけど今日はよく晴れてほんとに海に来たかいがあります。
うわ〜すごい透明度が高い。
あっ。
閉じ籠もっちゃいましたけどヤドカリが。
ハハハハハ。
出てくるかなあ。
いいですねちょっと砂浜入っただけでこんな生き物がいて。
画家さんの方で晩年南の方に渡る方って意外と多いと思うんですけどその中でも田中一村がすごく好きで。
初めて知ったのは二十歳過ぎたぐらいの頃だったと思うんですがその時に何かこう…自分もいろいろ行き詰まっている時期でもあったので見た時にすごく爽快感と何だか救われるような思いというのがあってその時の感覚というのがここから発祥してるんだなというと何を考えてこの島に渡ってきてどういう思いで制作活動していたのかなっていうのをちょっと探ってみたいですね。
ドキドキしますね。
やっぱり来たかった場所に来るというのは。
はい。
「田中一村記念美術館」という事でやって来ました。
入ります。
よいしょ。
あっこんにちは。
こっちにまっすぐちょっと行ってみますね。
あっすごい。
中水が張られているんですね中庭。
あ〜きれい。
え〜面白いですね。
はい。
じゃあちょっとまず奥の作品からという事なので。
あっ…お〜!うわ〜結構思った以上に照明をピカピカに当てるのではなく高い所からちょっとした自然光とライトで…。
へえすごいいい展示のしかたですね。
どうしようどれから見よう。
わあ…すごい。
あっこれは結構あれですよね。
よく表題になったりしてるやつですよね。
画集とかで見るよりも鳥の顔が精悍ですね。
すごいキリッとしてて。
画集で見てる時かわいらしいなという印象だったんですけど全然印象が違います。
生い茂る南国の植物。
その隙間から海をのぞくと…岩場にとまる赤翡翠。
一村は亡くなるまでの19年間をこの地で暮らし絵を描き続けました。
(ミムラ)でも鳥を囲んでいる蘇鉄のこの割れてるとこなんか随分大胆な事をしましたね。
ほぼ真っ黒でパカッと割ってて。
スポットライトみたいにこの空間が空いているのがすごいですね。
あえてという感じがかっこいいなあ。
(取材者)かっこいいですか?かっこいいですね。
やっぱり何かに挑戦してる感じがするのがやっぱりたまらんのでしょうね見てる側にとっては。
やっぱり…「奄美の海に蘇鐵とアダン」ですね。
赤く色づく蘇鉄の実。
パイナップルにも似たアダンの実は熟すほどに緑から黄色に変わっていきます。
こんなに何かこう…一回赤いなあ緑だなあ黄色だなあブルーがあるなあって見ているのにパッてこう一回それを取っ払ってもう一回見ると何にも色の印象が残らないというのが。
残らないわけはないんですけどそれぐらい葉っぱの濃淡がすごいんですよね。
葉っぱ1枚の中に対しての表現がすごくてそれの集合体なので。
ほんとに一本一本念じながら描いているような感じがして。
結構南国に移動してきた画家さんにしては極彩色使ってないという部分もあったりで。
チャレンジ精神みたいな。
ここに移動はしてきたけどここになじんでここならではの絵を描く事ではなくてここで俺の絵を描くんだみたいな感じが勝手に受けてしまって。
ああそういう事を考えてもしかしたら描いたのかなと。
一村最晩年の作…画家自らが「命を削って描いた閻魔大王への土産品」と語った作品です。
(ミムラ)絵を描く時に画家の作戦的にここに目を置いてくれというのがあるはずなんですがどこに持っていっていいのか分からないという。
どこ見ても楽しいなというのでここでも楽しいしこっちでも楽しいしここもここもという。
この何か入魂のしかたがちょっといい意味として常軌を逸している感じがしますね。
勝手にこう見て解釈して「わ〜楽しい」という一好きな人間としては存分に今楽しませてもらってるんですがでもその中で田中一村という人となりに迫れるかというとすごくブロックしてるような感じがしますね。
その辺りの何かものが全く見当たらないというのがちょっとショックといえばショックですね。
もうちょっと近づけるかと思ってました。
うわっお〜!またガラッと絵が違いますね。
わ〜わ〜。
尾長鶏の…これも好きなんです。
かわいい。
ふふふ。
さっきの奄美の時代の鳥は結構静止してる状態ですけどこれは多分羽繕いしてブルブルブルってしてるところ。
動いてる動のところを描いてる感じなのでまたちょっと違いますよね。
(ミムラ)いつもの感じだとここの渡りのとこなんかギッチリ描くのであえてラフな感じのかすれとかを残してる状態で塗ってるのでこれも面白いですね。
昭和30年ごろ千葉に住んでいた時代の作品。
農村に訪れたまだ浅い春。
このころの一村は何度も公募展に出品しながら落選を繰り返す日々でした。
(ミムラ)これも人は下にいて人に目がいっちゃうけどここの後ろのグラデーションがすごくきれいで。
ちょっと淡い藤色からこのブルーも何か…ペールトーンのブルーがすごいまたきれいで。
ほんと何か春かすんでる感じのですよね。
結構奥の葉っぱの感じとか背景の針葉樹っぽいシルエットとかかなり大胆な描き方をしてますね。
それにこの細かさというのが面白い。
やっぱり最初のこのころは自分として認められたかったんだろうという。
もちろん奄美の時代にもそれはあったんだろうけどそれ以上の何かが出てきてそれが薄まっていったという感じがするのでまだこの時代はやっぱり多くの画家が通る道で「認められたい」というところがあるのが逆に言うとちょっと近い感じというんですかね。
まだ理解できる心理状態ですよね。
昭和52年9月。
一村は名瀬市郊外の畑の中のこの小さな一軒家で誰にもみとられる事なく息をひきとった。
奄美に移り住んで19年後の事であった。
パンツ一枚で野菜を刻んでいるところを心不全で倒れたものと警察の検視調書は語っている。
69歳。
生涯独身を通した一村の孤独な死であった
ピカソの絵に見入る田中一村
パンツと下着1枚というのがふだんの服装だった。
その貧しいなりからかつて高名であった画家を想像する事はできなかったという
一村はここの大島紬の小さな工場に染色工として務める事になった
「私は紬工場に染色工として働いています。
有数の熟練工として日給450円なり。
まことに零細ですがそれでも昭和42年の夏ごろまで働けば3年間の生活費と絵の具代がほぼ出来ると思われます。
そして私の絵描きとしての最後を飾る立派な絵を描きたいと考えています」。
ちょっとお邪魔してみましょう。
すてきですね石造りのテーブルが。
おっにゃんこだ。
チチチッお邪魔します。
こんにちは。
あっこんにちは。
すいません。
ミムラと申します。
本日はよろしくお願いします。
こちらこそ。
(山田)よろしくお願いします。
足が悪くてほんと…。
(ミムラ)とんでもないです。
今日は田中一村さんの事についてお話し伺えるという事で伺ったんですが。
(ミムラ)声が高い?へ〜!
(山田)大きな声で。
お魚とかは絵に描かれる時ってどんな感じで描かれてました?「奥さ〜ん!」って呼ばれるから「あら」って行ったら海老描いてらしたのよ。
そしたら「海老のねこれは一本一本違うんだよ」って。
「分かります?」っておっしゃるから。
(ミムラ)トゲトゲしてるとこ。
もうねこれ一本一本変わるってよ。
(山田)指紋のように変わると。
(押川)これもみんな変わってるんだよって。
(ミムラ)トゲ一つそのものとっても違うと。
(山田)模様が。
だけど酒飲みが多いから。
ちょっとそういうのとは違う感じがよかったんですね。
(山田)そういうのは嫌いでしたね。
どちらかというと静かな環境の方がお好きだったんですかね。
(山田)もう絵を描くためだけでした。
そのために来たから絵を描く環境に合ってればこっちの方がいいと。
人と触れ合うというのは…。
(ミムラ)二の次三の次。
そうです。
むしろ苦手。
歩く姿も脇目も振らずにもうほんと輝いてる。
全然もう周りの何者をも感じないまま自分の世界を歩ききったという。
あの歩き方とあの雰囲気とが神々しいというそこに尽きると私は思いますね。
最後まで近づけない存在でしたね。
(鳴き声)
(ミムラ)薄暗さとか葉っぱが重なって日光を遮る感じとかからすると外の世界がどんなに明るくても山の中は一定の空気が保たれていてっていうところのちょっと自然ではあるけどちょっと異界チックでもありというところであ〜何かこの緑の重なったところでの重厚感をやっぱり大事にしたんだなと。
だからこうジャングルの中からの外というのは描いたけど外からのジャングルを描くのでは全く意味がないというふうに思ったのは中に入ってみると確かにこっちが本質だとしたら外から描こうなんて思わないなっていうのはう〜ん…何となく分かった気がしました。
一番絵を見て実際に一村がいた場所に訪ねていって思ったのはほんとに一村は自分に対して誠実だったんだなというのを思っていろいろなかなか…孤独だったとかそういうところに目が行きがちですけどいやそうではなくてほんとに自分に真っ正直に自分の思い描いたとおりに生きられた人なんだと思うと多分そこから…私も何か役者になって10年近くたちましていろいろこう自分も30になってあれこれ…これから自分がどういう人間として生きたいのかという事考えた時にやっぱり何か自分に誠実でいるという事がすごく難しいし人の生き方としてちょっと大げさに響くかもしれないけど美しいなっていうふうに思いました。
まだ雪を頂く南アルプスの山々。
旅先でふらっと美術館に立ち寄るのが何よりの楽しみという青木崇高さん。
まだちょっと寒いですね。
もうちょっと春になったら多分すごいいろいろと木の芽が木が芽吹いたりとかするんでしょうけど。
この日は撮影の合間。
休みには必ず旅に出ます。
(青木)はいはい。
どうも。
チョウチョ。
(取材者)そういうの気になるんですか?
(青木)結構気になりますね。
仕事とかで地方ロケとかあるじゃないですか。
それだった場合とか台本の裏側とかにやったり結構しますね。
あっ信玄餅。
標高750m高原の町山梨県長坂町。
ここに自然に囲まれたアートスポットがあります。
おっすごい!清春芸術村。
いきなりドンとありますけど行きましょうか。
失礼します。
お〜すげぇ。
ラ・リューシュ。
え?え?結構すごいっすよここ。
言ったら何ですけど監獄みたいですよ。
何かまあこう…。
(青木)Nicetomeetyou.MynameisMunetakaAoki.ウー・ハオです。
どうもよろしくお願いします。
よろしく。
(青木)わ〜すごい。
絶対3階がいいですねこれ。
自分が画家だったら多分住まないと思いますね。
住まないしアトリエとして選ばないかなと思いますね。
何かこう悔しいって思っちゃうかもしれないです。
それこそ僕もともと東京に出てきたのはデザインの方で。
何かコンピューター使ってデザインってやってましたけど最終的にすごい嫌になっちゃったのはコンピューターを使って作品を作る事がそのツールを作った人に負けちゃうんじゃないかなって思っちゃったので。
結局それをやめて自分で絵描いて直接ペン握って描くっていうとか塗るとかそっちの方が結局興味湧いちゃったんですよね。
なので自分が作るんだったら人の作ったところに乗っかってから始めたくはないみたいな。
最低なのかもしれないですけど。
でもそれは多分羨ましいっていうところの裏返しなのかもしれないですけど。
ほ〜。
へ〜へ〜!へ〜。
(声の反響音)
(青木)すごい響く。
わ〜すごい。
すごい。
自然光ですよ。
これ光すごいですよね。
声も響きますけども。
今また日が出てきたからこれ。
これでまた雲に入ったら絵の見え方変わりますもんね。
何か…いやでもこっちの方がすごい作品をすごい身近に見られるかもしれないですね。
(青木)だって作品にこう影なんて入る事ないですもん。
展示ってきっと。
きれいに見えるように影を入らないように均等にとかいうのは既に絵に対してもう一つ加工がされてるのかもしれないですね。
そのまま見せるっていう事の方がダイレクトなのかもしれないですね。
でもよくここに飾る事を許しましたよね。
ハハハハ!めっちゃ日に焼けちゃうかもしれないのに。
でもいいな〜。
人によっちゃもうここ腰掛けちゃいそうですもん。
ハハハ!絵にもたれかかっちゃうんじゃないかっていうような。
でもそのぐらい身近に感じるのもいいかもしれないですね。
何かこう正面と向き合ってるんじゃなくて寄り添ってるような感じになりますよね。
白樺ですね。
あっすごい。
礼拝堂。
おぉ〜…。
いやぁ…。
20世紀最大の宗教画家フランスのジョルジュ・ルオー。
「ミセレーレ」と名付けた連作その意味は「憐れみたまえ」。
第1次世界大戦のさなかに描かれました。
人間の苦悩や罪深さそして救い。
率直な感想で言うとですけどちょっと怖いです。
ちょっと怖い。
さっきまでこうやってすごい開いて見てたけど「おぉ〜!」っていう感じ。
声も大きく何かできないような感じですよね。
何かその…本であったりだとかそういう映像とかネットとかで見れたりとかしますけどそういうのとはまたちょっと…。
何か力強いなみたいな。
確かに力強くはあるんですけども何かそのう〜ん…。
何かこうズシーンとこう寄りかかるギューッとやられる感じですね。
のしかかってきますよね。
本音を言うとあんまりここにいたくないっていう。
ちょっと外出たいっていう感じです。
ちょっと出ます失礼して。
あぁ…。
いやぁなかなかびっくりしましたね。
(パイプオルガン)白樺美術館入ります。
お邪魔します。
こっちですかね?う〜わう〜わ!
(青木)何の予備知識もなく来ましたけど結構食らっちゃってる感じはしますけどね。
何だろうなこれ。
(青木)何かずっと見ていられるような正面に立てないような逃げ出したいような。
ハハッ。
見られる人のために描いてない感じがするというか見る人のために描いたとかじゃなくて。
そうですね何かこう自分の気持ちのみに100%素直に従って描いた…キリストに対する強い気持ちを持って絵筆を握ってたら結果こういう形になったとかそういうのなんですかね?何でしょうね?人の心に影響を与える行為なんじゃないかなと思いますねもはや。
行為というか…。
結構今フラフラですもん。
でも例えば今日家帰って見た絵を描けって言われたら何を見たのかというか描く事できないような気がします。
(取材者)それどうしてですか?見てないからです。
分かんないですけど何か。
エネルギーしか見ようとしてないからですかね。
分かんないですけど。
僕は何を見てるのかよく分かんないです。
変なトランス状態になってますよね今。
(青木)分からなくてもいいんですよね。
分からなくてもいいから何かこう感じてみるっちゅうのが何か面白いのかもしれないですね。
分からなくていい…分からないものに出会えるって最高ですよ。
うん。
ああこれはこうだなって分かっちゃうよりは分からない事考えても分かんなくて自分の感情とか何か感覚とか総動員しても追いつかないものが世の中にあるってすばらしいじゃないですか。
うん。
ですね。
(取材者)まさにこの絵はその絵ですか?なかなか振り向けないんですけど。
ハハハッ。
東京で桜が咲き始めた頃。
(ヤマザキマリ)・「さよならあなた」・「私は帰ります」すっごい風。
・「風の音が胸をゆする泣けとばかりに」揺すられるのは胸だけじゃありませんよ。
体中。
・「冬景色」もう春なんだけどな〜。
すっごいわ。
うわ〜!すごい!北海道がすぐそばに。
風もすごいが。
やっぱり他の海と違いますね津軽海峡の海って。
白波がすごい細かく立つじゃないですか。
子供の時から津軽海峡は連絡船で乗って本州の方に渡ってきてましたけど。
やっぱり他の海の波とはちょっと違うし。
他の日本の地域では育まれない感性っていうのが生まれてくるんだろうなと思います。
ヤマザキさんは17歳の時西洋絵画を学ぶためイタリアに留学しました。
29歳で漫画家デビュー。
大ヒット作「テルマエ・ロマエ」。
現代の日本にタイムスリップした古代ローマ人がお風呂を巡って巻き起こす奇想天外なコメディーです。
(ヤマザキ)あっすごい。
やって来ました。
おおっ!いい写真だ。
「いらっしゃい!」って感じですね。
「よっ!」って感じの。
私を知る人間が私の事を棟方志功みたいって表現した事があって。
何がってわけじゃないけど私のこのうわっとこう脇目も振らずに猪突猛進で何かに向かって突進していく様子であったりとか作品を作ってる時の様子であったりとかやっぱりエネルギッシュさであったり鼻息の荒さであったりそういったものが棟方志功的って言われた事があって。
普通もうちょっと他の人と表現しても対比してもいいのに何で棟方志功なのかなって思った事があって。
(削る音)
子供の頃からひどい近視だった。
左目はいつか失明。
今は僅かに見える右の目だけが頼りである
谷崎先生が僕の仕事ぶりをですねもう森羅万象をえぐるように棟方の版画は生み出すという事を詩にしてますけどもまあそういう一つの在り方がほんとに「猛然と彫るよ」っていうんですね。
「猛然と彫るよ」っていうんです。
そういう仕事ぶりを谷崎先生が私に与えてくれたんですが。
ほんとに外から見てそう思えるかもしれません。
まあこの私は自分自体ではそういう具合に勢い込んではいないんですがひとりでに体がこう上がってくっていうかこう湧いてくるっていうんでしょうかね。
あふれてくるっていうんでしょうかそういうようにひとりでになってきますね。
うわ〜。
おでこの広い胸像でございます事。
ああそうそうこれ…これが見たかったんだ。
普賢菩薩と文殊菩薩そして釈の10人の弟子を描いた棟方の代表作。
(ヤマザキ)すごいよ。
ギリシャ・ローマのヘレニズム時代の神様の彫刻とかそういったもののダイナミックさとすっごく共通してるような気がしますね。
限られた板の中で彫られてるんだけどもすっごい動きがやっぱり感じられますし。
例えば表情にしたって彼の表情にしたってこの次が連動してあるだろうと思わせる表情であるわけですよ。
だから人間が生み出すものというのは止まらない。
動くもんなんだよっていう事をすごく体現してるされてるような作品ですよね。
手がやっぱりすごいですよね。
棟方さんの表現の一つとしては関節とかふしぶしとか体がこうガーッてなってるっていうのがそれこそ日本だったらヘレニズムの文化の影響をシルクロードから受けた時の仁王像であったりとか。
ああいったものの継続上にあるという感じがしますよね。
あと何かどことなくユーモラスなのがいいですよね。
ゆとりを感じさせるじゃない?いっぱいいっぱいになってる絵って見てるとやっぱり疲れてくるんだけどどこかでその人となりの面白さというのが露見してるとすごいエンターテインメント性を感じるっていうかね。
自分に籠もって自分のための自分の何かっていうんじゃないでしょ棟方さんの絵って。
見てほしいんだよって描いてるところがやっぱりすごくいいですね。
大好きだったベートベンの「第九」をイメージした作品。
「歓喜の歌」の旋律が棟方の手にかかれば女性の姿に。
(ヤマザキ)いっぱいたくさん女の人たちがいるんです中に。
みんなすっごいいろんな形でひっくり返ったり舞ってたり中にお魚がいたり。
何か楽しげな。
それこそベートベンの「第九」ではないですけどやっぱりこの歓喜の地球における人間の歓喜を訴えてくるかのようなね。
やっぱりね津軽は基本は現実は黒白なんですよ。
雪と荒々しさと。
黒白しか生まれない現実の中にいながら絢爛豪華な想像力をここに駆使してるというかね。
ボッティチェリの「春」っていう絵画があるんですけど女神たちがいてその下にワーッと草と森とっていう。
それを初めて見た時と同じようなイメージが。
何だろう同じ音が聞こえてくるというのかね。
いやこれは…すごいね。
何でほんとにこんな真っ黒なのにうれしくなる絵なんでしょうこれは。
(ヤマザキ)八甲田連峰か。
女の人たちが山なのね。
いいなこの感性も。
お尻の曲線山なのかな?曲線とこだわらず多分もう女の人…山の壮大さ自体が女神様みたいな女の人みたいなイメージが棟方さんの中にあったのかもね。
棟方さんのカラーっていうか色彩を使った版画でもやっぱり黒っていうのは絶対外せないじゃないですか。
別に黒のない状況で版画にする事だって可能なんだけども彼はやっぱり黒がないといけない。
やっぱり黒っていうのは例えばさっきも言いましたけど津軽の厳しさであると。
現実なんですよね。
やっぱり現実をうまく駆使できない人間は創造力を表現化うまくできないっていう。
そこをすっ飛ばさないでそれを踏まえて分かっててそして彩りあるものに表現して…こう。
すごく純粋な意味での想像力っていうか空想じゃないんですよ。
ああきれいですね。
(ヤマザキ)棟方さんの絵を見せて頂ければやっぱり彼の感性が育まれた大自然。
彼が畏怖の念を常に感じていた自然っていうものを体感したいっていうのあるんで。
だからやっぱり私は旅に行くと他の人が行かないような場所を歩きたくなりますし。
旅人でいたくないんですね住んでいる人みたいな気持ちになって見てみたいっていうのがあるので。
やって来たのは江戸時代から続く…いい感じの…。
これは何かすごい男っぽい八甲田山ですね。
(ヤマザキ)いやでもすごいうわ〜って描いた感じだねこれ。
(ヤマザキ)筆だったら筆圧という言い方をするけど版画は手にかかる圧力っていうのが相当棟方さんの場合強い方だと思いますけど。
これはその同じようなパッションというかそれが墨をつけた筆にうわ〜っとこう出て流れるような曲線になりもうルールとか秩序とかそれはもう後付け。
こういう描き方じゃなきゃいけないっていうのがないのがやっぱりこの方の作品の魅力ですよね。
ふるさと青森に戻る度にこの湯治場を訪れた棟方。
温泉で疲れを癒やしながら絵筆を走らせました。
これが酸ヶ湯の薬師様でございます。
何か色っぽい。
流れるような線で描かれてますね。
今まで見た中で一番ソフトな柔らかい感じの女性像ですね。
この掛け軸はふだんは見られない?土用の丑の日丑の刻にやるお祭りがございましてその前後にだけご覧頂いてます。
(ヤマザキ)棟方さんにとってこの酸ヶ湯温泉っていうのはある意味でインスピレーションをこう湧かせてくれる大事な霊場じゃないけどそういう場所ではあったはずですね。
だから薬師如来としてやっぱり感謝の気持ちとか何かいろんなものが表れてますよね。
いつもの志功さんのうわ〜っという描き方じゃなくて大事なものに対してきちんと描かなきゃ的な…何だろうそういう筆跡がうかがえるような気がするんですけど。
きれいですよね女性の顔も。
あれだなだからやっぱり志功さんの作品は自然に対する畏怖の念が全部感じられるって言いましたけどやっぱりそれがこういう温泉に対してもねものすごい温泉を大事に思ってたんでしょうね。
そんなに頻繁にいらしてここで実際に絵もお描きになられて。
大地が与えてくれる恵みですからね。
うん。
(ヤマザキ)そんなに温泉とつながってたのかというところできっとお話たくさんできたはずなのになと思いますよね。
もしいらっしゃってたらね。
語り合いたかったですね。
酸ヶ湯温泉は混浴だし。
(扉を開く音)40年目を迎えた「日曜美術館」。
これまで1,800回以上さまざまな美を紹介してきました。
今全国110の美術館と美術がもっと身近になるキャンペーンを繰り広げています。
題して…美術館にある本物の名作と一緒にその作品を紹介した番組の名場面を上映します。
(舟越)苦しんだり悲しんだりあがいたりするという事の中に生きていく真実みたいなものを見つけられれば重要なテーマとして追いかけるに値するものになるんじゃないかな…。
美術館と映像の情報はスペシャルサイトで詳しくお伝えします。
40年目を迎えた「日曜美術館」があなたと美の世界をつなぎます。
「みつけよう、美日曜美術館」。
2015/05/10(日) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
日曜美術館・選「アートの旅スペシャル みつけよう、美」[字]
日曜美術館40年を記念した60分の拡大版。3人の旅人が、奄美の田中一村記念美術館、青森の棟方志功記念館など、番組にゆかりある美術館を訪ねる。貴重な映像の記録も。
詳細情報
番組内容
日曜美術館は1976年に放送が始まり、この4月、40年目を迎えた。今回は60分の拡大版。3人の旅人が番組にゆかりあるアートスポットを訪ねる。漫画家・ヤマザキマリさんが青森の棟方志功記念館へ。女優のミムラさんは奄美の田中一村記念美術館。そして俳優の青木崇高さんがルオーの名作で知られる清春芸術村へ。かつて作家・遠藤周作がルオーを語ったシーンなど、貴重な映像の記録も紹介。発見と感動の「アートの旅」!
出演者
【出演】ヤマザキマリ,ミムラ,青木崇高,【語り】伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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