サワコの朝【天童よしみ▽激白!ドン底人生】 2015.05.09


(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは前回お会いしたのが17年前ぐらいだったんですけれどもそのころからちっとも変わってらっしゃらない。
大御所なのにいつまでもかわいくて性格もかわいい方です。
天童よしみさんです。
おはようございます。
おはようございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
変わらず大きくならないね〜お互いに。
あははっ!ほんとに。
なんか中学生からあんまり伸びてないみたいです。
ほんとね。
うれしいわ。
ありがとうございます。
どっちが大きい?ふふふっ。
うれしいです。
忙しいでしょうね。
(天童)そうですね。
コンサートやそれにレコーディングやライブなどいろいろと幅広くやってます。
今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
(ナレーション)今日のゲストは1996年に発表した「珍島物語」がミリオンセラーを達成。
これまで「NHK紅白歌合戦」に19回も出場を果たした演歌界の女王です。
抜群の歌唱力を育ててくれたのは両親でした。
音楽好きだった新聞記者のお父さんに鍛えられ小学生にしてそしてしかし…。
15年もの間ヒットに恵まれず引退を考えるほど追い込まれたつらい時期を経験。
それでも諦めずに歌い続けたられたのは両親の支えがあったから。
よしみはお前はな「遅う歩け」?もう絶対今日は天童さんが両親と共に「負けたらあかん」と乗り越えてきた紆余曲折の人生をサワコに語ります。
前お会いしたのが雑誌のインタビューで…。
そうですね。
見てみたら1998年かな?変わってないですね。
ほんとですか?うん。
なんか打ってる?ううんそれはしてないです。
まあ打ったふうな感じが…。
あははっ!それはないですね。
ないですか。
ないですか。
いやいや…でも途中でその髪型になられてね。
私そうそう…ちょっと髪型そろそろ変えたいなとか思ったりしないんですか?実はずっと割とロングではないですけどセミロングぐらいに…。
昔はねもうちょっとなんていうのかな?女っぽい…。
(天童)そうなんですね〜。
こちらだって女っぽいけども。
(天童)いえいえもうねほんとに顔をね出したくなかった。
ああ〜。
(天童)全部出たくなかったので極力このサイドを下ろして「おっ顔ちっちゃいね」っていってほんとはこんな感じっていう感じ。
あははっ!ええ〜まずは2曲選んでいただいている1曲目…今でも記憶に残ってきらめいている曲は何を選んでいただきましたか?はい。
弘田三枝子さんの「子供ぢゃないの」。
ほう〜。
6歳のときに生まれて初めて歌った歌です。
生まれて初めて歌った?6歳のときに。
そして覚えた歌です。
覚えた歌。
父も母もなぜか私が歌うと最高の笑顔で拍手してくれるんですよ。
へえ〜。
お父様が指導者としてずっとついてくださったんですか?はい。
一人っ子?一人娘です。
一人娘。
じゃあお父ちゃんも集中的に「よしみよしみ」っていう感じだったの?あの〜2階に…父がちゃんと途中からは大工さんを入れてステージを作ったんですよ。
きゃあ〜!えっマイステージがあるの?マイステージです。
すてき!そうなの。
ミラーボールまで付けました。
ミラーボールまで付けて…。
それはなんで?やっぱり回ってる方が…。
雰囲気が出るから?そうなんですよ。
ああ〜すごい!ああ〜!よみがえりました。
よみがえりました?はい。
もともと演歌に魅了されたんじゃなくて…。
やっぱりこうリズムとか詞の内容とかかわいいところがいっぱいあるしやっぱり子供ながらに演歌よりもポップスが好きでした。
好きだったんですか。
で8歳ぐらいのときにはもう完全に演歌に切り替わってましたね。
なんで切り替わったんですか?あのねこぶしを回すのがものすごい魅力的に思えたんです。
へえ〜。
どうやったら回るんだろう?っていう。
で畠山みどりさんの「女侠一代」っていう曲があって
(こぶしを回して)・女だてらにっていうこの節が全然回らなかったの。
でやっと回せたのは父の自転車の後ろです。
自転車の後ろで初めて回せたその衝撃の瞬間を覚えているわけだ。
はい。
でこぼこ道を父が偶然通りました。
そして自転車の後ろにつかまった私はバウンドで回せたんですね。
あははっ!「んん〜んん〜」って?そうそう。

(こぶしを回して)・ああ〜ああ〜〜」って。
「あっお父さんこれなんや!」っていう。
こぶしが。
でも毎回でこぼこ道通らなきゃいけないじゃないですか。
そうなんですよ。
だから毎回父は難しいチャレンジをするときはそのでこぼこ道を一回ボン!って「しっかりつかまっときや〜」って言って結構声を出して「
(こぶしを回して)・ああ〜ああぁ〜〜」っていう。
あははっ!
(天童)揺れみたいな。
なるほど。
だからそこからもうあの〜こぶしのおもしろさ身に付いてきて…はい。

(でんきやさん)こんにちは〜。
《オーブンレンジってあっためるだけじゃもったいないんで》ご主人せっかくなんで。
《なので私は食材や調味料を持って行って一緒にお料理を作りながら使い方の説明をしてるんです》
(夫)2のほうね。
はいそうですね。
早いですね覚えるの。
(妻)あっジュージュー鳴ってる。
《電化製品買ってそれでなんか幸せな暮らしができればいいなって。
そういうお手伝いをしたいです》レンジが全部やってくれたんで簡単だったです。
簡単でした?あっよかった〜。
厳しいお父様だったっていう噂も聞きますけども。
そうですね。
歌詞の内容…この内容のことになると漠然と悲しい歌なのか楽しい歌なのかでそれで悲しい歌のときに思い切りパンチを込めてガン!って歌うと…。
私こぶし回せるわよみたいな気持ちの方が強かった?そうなんです。
でそんなときに父はもう一回歌詞を…。
あっ歌わないで?歌詞を…。
歌詞をまず読む。
だからもうずっと読まされました。
で「どこがいちばん切なく悲しいと思う?」「そんなんうち分かれへん」って言うたときにものすごい怒られた。
けど演歌なんて特に大人の男と女の機微っていうんですか?「そこはもっと悲しくものすごいつらいって思ったことないか?」って言うんですけどなかなかつらいことってその当時なくて。
おやつ食べられないとか。
そうですね。
あははっ!じゃあ一つ一つこう含んで理解できるような練習方法で…。
そうですね。
父はもう得意になってもう学校から帰って来ると「よしみ今日は歌の練習しようか」って言ってすごいうれしそうに言うし本当はちょっと嫌だなと思うときもあったけど…。
あったの?もっと遊びに行きたいな〜みたいな。
ありましたけど。
父がすごいうれしそうに言うんでね。
それでもう初めてテレビに…そういう「のど自慢」的なものがこうどんどんテレビに出てきてね…。
そしてチャンピオンを取ったり。
チャンピオンになって。
じゃあプロの歌手になりたいっていう気持ちがおありだったの?ありました。
そういう意味では父も母も教育熱心なそういう家庭で育たず歌を一生懸命…。
やってそれを極めていきなさいと。
そうなんです。
だから私の小さい頃の声は全部父が残してくれています。
あっ実は6歳の頃のお声が残っているそうで。
聞いてみましょう。
これは貴重ですぞ。
ありがとうございます。
(天童)・可愛いベイビーハイハイ・可愛いベイビー
(天童・スタジオ)ああ〜懐かしいな〜。
・プリティ・リトル・ベイビー・可愛いベイビー・恋をするって素敵じゃない・若いこの日を・二人で過ごしましょう・いついつまでもすごい懐かしい。
・私のベイビーむちゃくちゃ上手ね。
いえいえ…。
言うのも失礼ですが。
何?これ。
懐かしすぎて…。
懐かしすぎる?なんか自分の声でないみたいな。
そう…。
はいもうあのころがまたよみがえってきました。
でもちっちゃい女の子にしてはちょっとハスキー系の声も入ってる。
だから思い切りその…大人の歌をやっぱり選曲してきましたね。
あっそうか。
この声の質だと…。
はいそうなんです。
だって私の友達はみんな…。
・シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだって歌ってるのに私は…。
・じれったいほど・あの娘のことがって歌ってましたから。
全然こうギャップありますよね。
あははっ。
友達の間でも評判だったんですか?特に私の思い出に残ってるのは今でも感謝をしてるんですけど担任の先生がものすごく…私を見いだしてくださったのは…。
私吉田っていうんですけど「吉田君ちょっと職員室来なさい」って言われたときにあっ昨日テレビ出たからそれがばれたかって…ものすごい怒られるのかなっていう気持ちになって「保健室の方にちょっと来なさい」って言われてそれで私保健室へ行ったんです。
そしたらそこに先生が3人ぐらい教頭先生もみんないらっしゃって…。
怖い〜。
でそこで「昨日歌ってた歌はあれ今日今歌える?」って言われて「じゃあちょっと歌ってもらおうか」って言ってそれで「・男まさりは」って歌ったら拍手してくださって先生。
うんうん。
でそのあと「春日八郎さんの歌知ってる?」って言われて…。
どういうリクエストなの?それ。
歌を次々とリクエストしてくださってそこで先生が楽しんでくださったっていう…。
「楽しんで」…。
「よしみちゃんは絶対歌手になって達成するように頑張れ」っていうふうに言われたんですね。
へえ〜!
(ナレーター)ぬくもり驚きを届けてきたパナソニックの光が今進化する。
LEDの光で情報をつなぐ新たな技術を開発。
光あるすべての場所であなたと街に新しい関係を。
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
(妻)年を取ってからあなたはお魚を選ぶことが多くなったわね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
野菜や魚を出し入れしやすい真ん中収納に。
しかも鮮度にこだわる冷蔵庫です。
(夫)うまいなぁ。
これからの日々にパナソニック「Jコンセプト」天童よしみさんは幼い頃から天才少女とたたえられ若干15歳でデビューを果たしました。
しかし…。
でそれからはどうなったんですか?まあデビューが中学生がデビューなのでお母さんとまず上京してで父だけ大阪に残ったんですよ。
お父さんお仕事があるから。
仕事…はい都合があって。
別々に暮らしはじめて。
離れ離れで。
でもなかなかヒットにつながらず。
はい全然ありませんでした。
全然なかったんですか?ありません。
何曲も出しても…。
子供がね演歌を歌うっていうことだけで最初のうちは珍しいしあっ子供なのに演歌を歌うっていうところ…。
「上手ね」っていう…。
うん。
でも年を重ねるとやっぱりそれは通用しないということがよく分かりましたね。
それからはどうなったんですか?私は自分が…悔しいけれど東京から大阪に戻らなければならなくなって。
東京で一生懸命やってたのに大阪に帰ろうと…。
父が最初「よしみ帰って来るか?」って…。
電話で?はい。
「よしみお前はなもう遅う回れ。
遅う歩け」。
「遅う歩け」?はい。
「もうそんなに慌てずまだ若いし。
ゆっくり回り道せぇ」っていうことです。
もう歌手なんかやめちゃえ諦めろってことではない?はい。
嫁いけとか…。
それは言わなかったですね。
それ言われたときはどう思われたんですか?「間に合えへん」って言って。
「間に合えへん」。
あははっ「こんなんあかん。
私はやっぱりそんな遅う待ったらあかんねん。
今すぐにやりたいねん」っていうこと…。
そしたら父は「今そんなん考えんでええねん。
とにかく迎えに行くからもう帰ろう」って。
えっ天童さんご自身としては悔しかった…。
あのねなんかね…。
納得して帰った?大阪と東京ってめちゃくちゃ離れてる感じが…。
もうすごい遠い遠いとこへ帰るみたいなそんな感覚で当時はいたんですよ。
だからほんとに都落ち?うん…。
どっかもう敗北宣言みたいな気持ちが…。
はい。
実にその言葉がぴったりの…。
「負けた」って感じ?「負けた」です。
どうなさったんですか?帰って。
(天童)で父は歌とのつながりだけは絶対外さずにやっていった方がいいって。
で父の友達が…その当時カラオケがすごかったんですよね。
素人がどんどん歌う時代になっていった…。
けれどもカラオケについて歌えないとかそういう方がものすごく多かったんですよ。
まあそうね。
でそして父の友達が「おたくのお嬢ちゃんプロだからワンポイント教えてくれないか」って言われて。
私は「もう嫌」って。
それは「もう私は教えるっていうようなそういうなんじゃなくて私は歌いたいねん」って。
でもまあ父がどうやってもっていうことでそれで教えて…。
そのおじさんに教えたんですか?教えたんですよ。
そしたらすごいみるみるうちに増えてきたんです。
何が?生徒さんが。
5歳から…。
なんで5歳から…。
80歳のおじいちゃんまで。
ず〜っと詰めかけてきてくれて。
それぞれに違うでしょ?教え方も。
(天童)そうですね。
この歌を30回以上は聴いてくださいっていう…。
でそのとおりに歌えない人いますよね?そのときはほんとに一から…。
直して音を取れるように…。
取れるように。
そしたら嫌になりますよね?もうすごい嫌になるんですよ。
そういうときは曲を変えてどんどんその人に合う選曲をしていって。
その人の声に合う選曲をすればちょっと気持ちよく…。
気持ちが切り替わって朗らかになって歌ってくれるみたいな。
あら〜。
だからそこで学んだのはいろんな人の歌を「これあの…よしみさんあれですよこういう歌が今ねすごい我々は歌いやすいんですよ」って持ってこられたときに「あっこの歌が今みんな歌いやすいんだ」と思って…。
プロ的に聴くよりもアマチュアの人が聴いて歌いやすいのがヒット性が高いんだっていうのがすごい分かった。
なるほど。
つまりファンの気持ちをそこでつかんだって感じですか?そこですね。
へえ〜。
それから?そこから「道頓堀人情」という曲に巡り会いました。
「テイチクレコード」なんですけどその当時。
テイチクさんの方から「大阪で頑張っている天童よしみっていう女の子がいるから。
しかも今カラオケで教室を持ってて…」。
その話も広まってたんですか?広まってました。
はい。
というのはたまたま生徒さんの中にスナックに飲みに行かれるお客さんがいてそこでテイチクさんの部長さんと出会ったんですよ。
おお〜なるほど。
「ええ〜歌い方が違うけど誰に受けてんの?」って。
「天童よしみさんです」ってポンと名前を言われたときにその部長さんがびっくりして「連絡取れないか?」みたいな。
そこがつながっていくんですね。
はあ〜。
ほんとにお父様の言葉じゃないけども…。
「遅う回れ」。
遅う回れを体でずっと続けてた人だなと…。
はいそうですね〜。
諦めずに。
焦りはなかったですか?そのころ。
いやお父さんもお母さんも私を信じてくれてたから絶対にこの子やれる子やっていうふうなそういうものすごく味方をしてたので絶対それが何よりでしたね。
だから私ねこれやれたから強くなれた。
でもそれで「紅白」にも出られて…。
「珍島物語」と出会ったのが?なぜか「珍島物語」だけ私の雰囲気と全然違うんですよ今まで歌ってきた楽曲と。
いわゆる演歌とちょっと違う…。
違ったんですね。
こぶしをね今まで中心に歌ってきたのにここでこぶし回すところないんですよ「珍島物語」。
「珍島物語」にはないんですね。
ないですね。
得意のこぶしがないのに売れるのかなっていう不安は?それはちょっと自信があったわけではないですね。
「あったわけではない」…っていうことはないってことね。
そうですねないっていうことですね。
なんでストレートの方がいいの?っていう…。
ちょっとだけ思いましたね。
例えば「USEN」の放送から流れた場合…天童よしみの姿が見えないときに声だけ流れた場合私って分かるかな?っていう…。
私がないじゃないのっていう。
文句を言ったんですか?いえ言えなかったです。
これレコーディングだけはそう歌うけどもしコンサートで歌うようなことがあれば絶対こぶし回してやるって思ってたんですよ。
(一同)あははっ!なるほど。
今は黙って我慢してるけど…。
そうなんですよ。
でもやっぱりこぶし回したら全然来ないですよ拍手が。
回してみたんですか?回してみたんです回してみたら全然来なかったんですよ。
そんなに違うもんなんですか?
(天童)えらい違いなんですよ。
こぶし回すことによってものすご〜く歌が演歌っていう感じになるんですよ。
でそうすると若い方たちがやっぱりそれを聴いたときにあっ演歌なんだっていう…。
それを全部取ることによってまた違ったファン層が聴いてくれてまたこう…見直してもらえるみたいな。
ああ〜。
これがじゃあ人気が上がってきたときっていうのはどう思われたんですか?すごかったですね。
ほんとに「珍島物語」の反響はほんとに半端じゃなく…。
例えば新幹線乗っててもあの…切符拝見って来られますでしょ?「切符拝見させていただきます」って淡々と来る人が…。
淡々と来られる方が「はい」って渡すじゃないですか。
「珍島物語私大好きです」って。
(一同)あははっ!「珍島物語大好きです」。
目をそらして…。
そうなんですよ。
「珍島物語」との出会いとこう反響を見てご両親は?これはよしみじゃないみたいな抵抗はおありになったんですか?もちろん父は演歌じゃないのでこれからどういうふうになっていくんだろうっていうのはありましたね。
でもこれだけたくさんの皆さんに支持してもらえば天童よしみはこういうスケール感のある歌やまたこぶしに戻ってもいいしものすごい幅広くなったっていうのでそういう意味では喜んでくれましたね。
でもそのずっと支えてくださったお父様が7年前に亡くなられて…。
そうですねはい。
ちょうど私舞台でお芝居と歌の公演を1か月やってたんですよ。
でそのときに全部舞台終えてそれで私が帰ろうとしたときに病院にもうそのまま私は行こうと思ったんですお父さんの。
お父さんもう入院してらしたの?はい。
行こうとしたときにもう容体が急変して亡くなったから家に戻ってるっていうふうに言われてとても信じられなかったですね。
それはもうねこれからまだまだ千秋楽まですごいやらなきゃならないんですよね。
日にちがあったんですね。
うん…ありました。
舞台に上がってMCもあるわけでしょ?はい。
「昨日父が…」っていうことを。
言わなかったです誰にも言わなかったです。
最後まで?はい。
もうそれを言うと共演者の皆さんもスタッフの方も…。
共演者にもスタッフにも言わなかったんですか?言わないです。
気を遣われるしいろいろ私のことも考えてくださるのでそれはやっぱり大事な舞台なので…。
じゃあもういつものとおりケラケラ笑ってニコニコ笑って…。
はい。
で一人で帰るときにはもうものすごい涙がこぼれてくるような日々をずっと千秋楽まで続けて。
いや…へえ〜。
よく言ってたんですよ「どんなことがあってもお前の代わりは誰もいてないんやで。
だからファンのために歯を食いしばって頑張れ。
どういうときもどんなことがあっても」。
それをずっと言ってたから…。
ちゃんと言葉を守って。
守ってます。
勝っておごらず負けても泣かずっていう…。
「勝っておごらず負けても泣かず」。
「なめたらあかん」。
はい「なめたらあかん」。
「人生なめずに」。
「なめずに」…。
じゃあもう一曲今よしみちゃんを元気にしてくれる曲はなんですか?はい。
EXILE「ChooChooTRAIN」です。
どうして?番組でご一緒させていただいてそれで一緒にコラボしたんですよ。
あっ踊ったの?踊りました。
どんな感じで?こういう感じです。
こういう…あるじゃないですか。
ああ〜これこれ。
それ。
それをちょっと互い違いになってましたけど。
(一同)あははっ!すごい迷惑かけましたけど。
イエ〜イ!のってるのってる!のりました。
あははっ!楽しいですね。
こういう方向もどうですか?持ち歌として。
やりたいですよ私。
やってみてくださいよ。
もうチャレンジというよりもね即座にやりたいですね。
「即座に」…あははっ!誰に要求されなくてもやりたい。
やりたい。
今はどんな夢を持ってらっしゃるんですか?そうですねこだわらずに豊富にチャレンジ精神を持ち続けることですね。
でやっぱり年齢が重なっていくから私は毎年10歳引くんですよ年齢を。
年齢を?はいその気持ちで取り組んで歌を育てていこうと思ってます。
じゃあ今二十歳じゃん。
はい。
(一同)あははっ!びっくりです。
2015/05/09(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【天童よしみ▽激白!ドン底人生】

ゲスト・天童よしみ/歌手▽ヒットに恵まれない中、胸を打った父親のある言葉…歌手人生支えた家族の絆。阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。

詳細情報
番組内容
ゲストは歌手の天童よしみさん。様々なコンクールで活躍し、幼くして天才少女として注目され、現在は圧倒的な歌唱力で人々を魅了する演歌界の大スター。
だがデビュー後は、紆余曲折の時期も経験…。あきらめずに歌い続けさせたのは、彼女の成功を信じ見守ってきた両親の存在でした。ヒットに恵まれない長いトンネルの中で、彼女の胸を打った父親のある言葉とは?支えとなった家族との絆について伺っていきます。お楽しみに!
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
天童よしみ(歌手)
大阪府・八尾市生まれ。
1972年、「風が吹く」でデビュー。
1985年、「道頓堀人情」を発売。
1993年、『NHK紅白歌合戦』に初出場。
1996年、シングル「珍島物語」を発売。
2015年2月、シングル「いのちの春」を発売。
 
公式ページ
◇番組HP http://www.mbs.jp/sawako/
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
おことわり
番組の内容と放送時間は変更になる場合があります。

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
音楽 – 歌謡曲・演歌
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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