所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! 2015.05.08


思い入れのある白黒写真を持つ人を探す
昔の唄の店ちょっと行ってみますか。
そこは年配の人たちで賑わうカラオケ喫茶
歌を歌っていらっしゃいます。
この場所でどうも!ちょっと見させてもらってよろしいですか?すごい古いのある?お母さんある?これはすごい写真ですよこれ。
戦車でしょ?戦車部隊だったの。
すげえなおい!
こちらは戦車部隊にいた兄の戦時中の姿を写した1枚
お守りにして?これいいですね。
実はこの写真戦死したそれはそれでね…。
そして後日詳しい話を聞きに自宅へ
おじゃまします。
そこで当時これも古いな。
読めないでしょ?
戦争でビルマにいた兄から届いた2通の手紙。
そこには…
「文子さん折り紙ありがとう」。
折り紙送ったんだよね。
「文子さんも毎日一生懸命勉強しているとのこと兄さんも陰ながら喜んでいます」。
7人兄弟の末っ子だった文子さんをとてもかわいがっていた兄一郎さん。
手紙では体調を気遣うだけでなく当時まだ幼かった文子さんでも読めるようにと文面は全てカタカナでつづられていた
兄貴だっていうのがね。
かわりますねどんな戦車なのかと。
わかりましたじゃあ私
亡き兄が写ったたった1枚の白黒写真。
果たして兄一郎さんは
カラー化をお願いするのはこちらの会社
しかし肌身離さず持っていて…
修復に修復を繰り返してなんとかカラー化。
すると
後日完成したこんにちは。
こんにちは。
ようこそいらっしゃいませ。
さぁ私今こちら持ってまいりました。
できあがりました。
こちら。
これできてきたの?お兄さんの写真をカラーにしてもらいました。
はいどうぞ!
果たして戦争で亡くなった兄の姿はうわぁ!あぁ…。
文子さんも驚いたカラーになった写真がこちら!
戦車に乗ったお兄さんの姿が色鮮やかに蘇った
生きてる感じする。
いや〜嬉しいわ。
更にこちらの写真カラーになったことでこちらの写真ビルマ。
うん。
どこですか?いたんだね。
あ〜そうなんだ…。
専門家によるとこの戦車配色と形状から当時フランスからたった12両しか輸入されていないルノーNC27型であることが判明。
実戦ではそのほとんどは福岡の久留米にあったというのだ
あぁなるほどね。
大正14年
戦車兵は日本全国から集められ久留米で戦車の穏やか穏やか。
それを裏付けるようにお兄さんが履いている靴は営内靴と呼ばれる宿舎の中だけで履く靴。
そのためこの写真は休憩中に撮影したものではないかと考えられる
マジですか?うん。
思い出しました?思い出した。
言ってらっしゃいました?うんうん。
さぁといったわけで文子さん。
小さめのサイズを用意しました。
うわぁ。
またこちらを定期入れの中に入れてもらって。
そういうことです。
あぁそうなんだ。
木8じゃないです。
いやいや木8っていうから…。
あぁすみません。
カラーになった写真を持って向かったのは…。
実はここにあるのがよかったねみんながこうやってやってくれてさ。
カラーになったことで
引き続きレッドとスタッフで聞き込み調査。
白黒写真を大事に持っていそうな人に話を聞いてみる
すると!
その写真はかつて日本中を熱狂させた歴史的瞬間を収めた1枚で結婚47年目の2人にとってとても大切な1枚だという。
しかもその1枚
ということで杉並区の自宅におじゃますることに
あぁここですか。
あぁりっぱなもんでうわぁりっぱな松で。
早速白黒写真を見せてもらう
その1枚を収めたアルバムは居間の押し入れに大切にしまわれていた
すると…。
なんと出てきたのは
実はカラーにしたいものとは
2人がまだ出会う前君子さんと兄姪が写ったこの写真
まん前。
この前ですか?
そうこの写真は東京オリンピックマラソンの日。
家の前で撮られ新聞に掲載された記念の1枚。
昭和39年のあの日甲州街道をマラソンランナーたちがかけていったのだ
午後1時68人の選手は一斉に国立競技場をスタートしました。
オリンピックの
コース沿道にはなんと120万人もの観衆が集まった。
そのお目当ては…
すべて今プーって入ってますねそういうのは。
陸上競技で当時日本に28年ぶりの銅メダルをもたらした
その姿をひと目見ようと君子さんもあの熱狂の中にいたのだ
この新聞の写真を見ておおいに盛り上がったという。
というのも当時なるほど通報があった。
義彦さんが急いで現場へ向かうとそこにいたのはオリンピックに出場中の選手。
しかも水泳で金メダルを獲得したオーストラリア代表
義彦さんが捕まえ署へと連行したのだという
かたや新聞に写りかたや金メダリストを捕まえるというなるほどだからこの写真で距離が縮まったみたいなもんですよね。
そういうことですよね。
じゃあ早速行ってきたいと思います。
よろしくお願いします。
どうもすみません。
楽しみにして待ってます。
ほいじゃあお願いします。
この写真が
新聞社協力のもと写真の原板を入手しカラー化
レッド吉田です。
どうもお母さん。
どうもいらっしゃいませ。
こちらのほうに白黒からカラーに変わった写真が入っております。
ありがとうございます。
じゃあいいですか?どうぞ。
今50年の時を超えて蘇る!
あら出ますよ出ますよ…。
すごい!ほら見て。
これなに?あれ?あれのやつ?
こちらがカラー化した1枚
当時君子さんが着ていた服の色まで鮮明に。
更にオリンピックの旗の色や沿道の一角は近所の小学校専用の観覧席となっていたこと円谷選手のふるさと福島県須賀川市の応援団がいたことなど…
50年前は兄と見たあの景色を5年後2020年今度は夫婦で一緒に見るのが君子さんの夢だという
なんだこれ?なんだこの番組。
いいじゃないかよこれ。
この番組なんか路線変えたな。
これいいんじゃないの。
たった50年なのにずいぶん古いよね。
ちなみにちょっとこちらをご覧ください。
これ当時警察官だったお父さんが捕まえたこのドーン・フレーザーさん。
たぶんあれじゃない?のぼりみたいなのが欲しかったんじゃない?あれ漢字が書いてあったりなんかするから。
なんで?こちらです。
強盗を撃退と。
逆なんだ。
そうですよ。
なに韻踏んでんだよそれ。
すごいフレーザーさん変わってるね。
続いてはビルに埋まるタイムカプセルを開ける新企画
続いてはノスタルジックスペシャルということでこんなものを開けようと思います。
開けるのはこちら。
定礎。
これミキティ見たことはある?見たことはあります。
こちらご覧ください。
実ははがすとこういう箱みたいなのが入ってるんですね。
定礎箱と言うんですけどこの箱の中にはそのとおりこの定礎と定礎箱なんですけど…。
そらそうだよね。
どうぞ開けてくださいということでそれがオッケー出たんでねちょっとこちらご覧くださいどうぞ。
やってきたのは東京丸の内。
調査するのは気合い十分この男
どうも東MAXの秘蔵っ子このロケを成功させて必ず売れます!行きましょう!
オフィスビルにまじり歴史を感じさせる建造物が数多く残る丸の内。
今回特別に定礎箱を開けさせてくれる建物とは?
あ!あれですかね?あれですね。
それは帝国劇場の横にある解体工事真っ最中のビル
見えますかね?東京會舘東京會舘でございます。
そう今回定礎箱を開けるのは創業から92年
当時東洋一とも評された絢爛豪華な装飾に本格フランス料理。
連日華やかな宴が催された
近くに本部が設置されたため将校たちの宴会場となり専用に作られたバーにはあの最高司令官マッカーサーもよく訪れたという
それから44年周辺の再開発に伴いまたも建て替えられることになり
ここから案内してくれるのは
早速工事中の建物の中へ
もうだいぶ片づいてるんですね。
だいぶ解体が進んでますね。
なくなっちゃいましたね。
こちらは?玄関ロビーですね。
お客さんをまずお迎えするところですので。
見る影がない。
これですね。
これが?だいぶもう面影はないですね。
取り壊しが進んだ今変わらないのは屋上からの景色だけ
いちばんいい場所にあります。
知らなかったですよね私も知らなかったです。
建設する際その建物ゆかりのものを入れるという定礎箱
マッカーサーも愛した東京會舘ならば戦後の日本に関する貴重なものが入っているに違いない
これです。
これは期待できるな。
正面玄関の壁に取り付けられた定礎板
もう入りますね。
いよいよ始まった定礎板の解体作業。
カッターで定礎板の周りを丁寧に切断していく
いったか?いきましたね四隅いきました。
何回か外してますよ定礎。
初めてなんですか!?
めったに立ち会えない貴重な瞬間
いよいよですよ渡辺さん。
ついにそのときが近づく
今がばっとほら!せ〜の…。
うわぁ!あ!
ところが…
せ〜の…。
あ!やだやだ…。
なんと定礎板の奥は壁
実は必ずしも定礎箱を入れるというわけでもなく確かに。
明らかに音が違う!ほら一度新しい違うコンクリートで埋めた感じありますよね。
これで終わりだったらどうしようかと思った。
どうしました!?なになに?銅板!?箱が入ってるってことですか?
なんとコンクリートを削ると
およそ40年前に建て替えられていたとはいえ大正時代に創業しマッカーサーも愛した東京會舘。
定礎箱の中にはどんな貴重なものが入っているのか?
うわぁちょっとこれ…。
定礎箱はコンクリートに完全に埋まった状態。
取り外しは困難を極めた
うわぁ…。
これ!
ついに創業から92年東京會舘の定礎箱が開かれる
3人でとりましょう。
せ〜のオープン。
お〜!
ついに創業から92年東京會舘の定礎箱が開かれる
3人でとりましょう。
せ〜のオープン。
お〜!入ってた!皆さん入ってたよ。
ちょっとまず新聞。
昭和46年10月7日木曜日。
わ〜1971年。
まず出てきたのは定礎式の日の
そして…
そしてお札お金ほら!皆さんほら。
(拍手)もういいよ写メ撮ってどんどん。
どんどん撮って写真。
その後も続々と。
定礎箱には新聞をはじめ当時の役員名簿設計図など合計10点の品々がそのときの姿のまま大切にしまわれていた
いやぁやりました。
入ってました。
ほんとに…。
ありがとうございました。
よかったですよほんと。
よかったですよ渡辺さん。
東京丸の内の歴史的建造物
定礎箱を開けるとたくさん出てきましたね。
あってよかったね。
一時はないかと思ったけどまさかの復活チャンスがね。
でもうガッチョンってやっちゃったんだ。
やっちゃったかもしれないというね。
保存できたということでこの番組もお役に立てたんじゃないかと…。
いやいいでしょべつに。
せこいな。
あれ1万6,000円くらい欲しいんですかねあれ。
せこすぎるでしょ。
続いてはお店の最後の1日に密着するこの企画
街の人々に愛されたあの店が長い歴史に幕を下ろすとき。
そこにはいったいどんなドラマがあるのか。
そんな閉店当日の1日に密着。
題して…
この街のシンボルとも言われた施設が42年の歴史に終止符を打つ
今から43年前の
機械式に変わり始めた頃…
テレビ番組にも数多く使用された人気ボウリング場だったが去年8月
そんな人気ボウリング場が閉館する日
日が昇り始めた早朝…
1台のバイクがやってきた
営業開始の4時間前に到着
毎日この時間に出社する彼の仕事とは…
立ち並ぶ機械を抜けて穂刈さんが向かったのは…
誰もいないボウリングレーン。
穂刈さんの仕事はいつもこのレーンメンテナンスから始まる。
静かなレーンには穂刈さんたった一人
そして掃除を終えると…
このレーンロボットでレーンにオイルを塗っていく
しかしあとは機械任せというわけでもない。
穂刈さんなぜかレーンを水拭き
実はボウリングのレーンはオイルが塗ってあるのは35フィートより手前。
それより奥はあえてオイルを塗っていない。
そのため途中から摩擦がかかりボールがよく曲がるのだ
今ではほとんど機械化されているこの作業を一人手作業で行う。
プロの試合も行われる田町で長年レーンコンディションを守り続けてきた
その頃…
この日は10時から5時までの営業で一般客常連の会員に無料開放するという
すでに入り口には田町ハイレーンと別れを惜しむ人たちが列をなしていた
予定よりも45分早めてこの日の営業をスタート
その頃穂刈さんは
(ブザー)
ブザー音に反応しどこかへ走り出した
営業中穂刈さんの仕事は
(ブザー)
どこにいてもトラブルがあれば客にブザーで呼ばれる気の抜けない仕事
CMにも出演。
当時社会現象にもなった彼女はここ田町ハイレーンにゆかりの深い人物
田町ハイレーンの閉館を惜しむ多くの人々。
その様子をマシンの陰から静かに見守る穂刈さん
しかし…
(ブザー)
なんとマシンの
この金具がないとレールの分岐点でボールがつまり客のもとにボールが戻らない。
レーンは満員
穂刈さん廃棄用の機材からボルトを外した
プレーのさまたげにならないようにマシンは止めずに慎重な作業
ボールもすんなり戻るようになり短時間で修復できた
ただいまの一投をもちましてファイナルとさせていただきます。
そして田町ハイレーンのフィナーレ終投式
ありがとうございました!
最後の投球を見守るのも自分が担当する持ち場
こうして42年に及ぶ田町ハイレーンの営業が終わった
ボウリングブームを長年支えてきた田町ハイレーン
巡礼にご報謝を。
(鈴の音)あれなんだ?鈴鳴らして。
巡礼にご報謝を。
巡礼にご報謝を。
(鈴の音)はいカット。
なんかやってたんですか?今。
今映画の1シーンだよ。
何の映画とかそういうのなんでもないんだよ。
この間コマーシャル撮ってるときそういえば今でもコマーシャルこれやるんだよ。
やりますね。
やるやる。
カチンコね。
これがね…やる助監督さん慣れてないんだよこれに。
格好ばっかで帽子斜めにかぶっちゃって髪の毛ばっか気にしてる奴なんだよ。
そいつがこれ打つんだけど。
再現するんですねはい。
俺が何かやるじゃんそれがよ〜いスタート。
両手でやれお前は!みたいな。
監督もおもしろくてよ〜い…。
スタートってときもあればよ〜いスタート…。
どうぞ…。
何かわかんないですね。
悪いけど1個にしてくんねえかな。
俺集中できねえからっていう。
っていうと私は1回で何度もやりたくないっていうようなわがままに聞こえるだろう?そのとおり!そのとおりなんですか?そのとおりなんだよ。
わかっちゃいないなと思ってね。
立ち位置をまたもとに戻す。
そんな文句言っちゃいけません。
いやだいぶ言ってましたよ今。
自ら言ってたんですよ。
早っ!あっやってないこれ。
大事なのやってないです。
ご報謝を。
(鈴の音)思いついたこと何でもやりますよね。
はいこれいいよ。
「人生は平野だ。
」。
ちょっとこれ深そうですね。
よく人生は山あり谷ありとか言うじゃん。
山があって谷があったらそれで平らだろ。
悪いときもあったけどいいこともあったな。
人生は平野。
押しなべてみると平野だと。
あとね山に例えてるじゃん。
はい。
でも山嫌いな人もいるんだよ世の中には。
立場立場でこれ変えなきゃ。
で考えた。
例えば漁師さんとか漁業関係の方たちはこれじゃないか。
「人生は本マグロありタコあり」。
だいぶ差ありますね。
これは本マグロ釣りにいったときにみんなが本マグロわ〜ってやってるときにひとりタコ釣ってみ?こんな寂しいことないだろ。
切ないですね。
切ないだろ。
「本マグロありタコあり」って。
幅広いですね。
幅広い中にいろんな知恵が入ってますねこれね。
気遣うタイプだからね俺は。
そうなんですね。
あたりまえだよ。
だったら素直にコマーシャルを撮りなさいっていう。
2015/05/08(金) 21:00〜21:54
テレビ大阪1
所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ![字]

あなたの思い出の白黒写真をカラーにしませんか?驚きの昭和が鮮やかになったSP▽あの有名ボウリング場の最後の日に密着▽昭和のタイムカプセル!定礎の奥に衝撃の中身ほか

詳細情報
番組内容
【ノスタルジックJAPAN!昭和プレイバックSP】◇「あなたの白黒写真カラーにしませんか?」戦時中に撮影されたある男性の写真、カラー化で意外な新事実が明らかに。◇「本日閉店します」この春長い歴史に幕を下ろした老舗ボウリング場。ずっと支えてきたスタッフの最後の1日に密着。◇「定礎を開けろ!」東京丸の内の超歴史的ビルの解体で初めてあけられる定礎箱から出てきたものとは?
出演者
【司会】所ジョージ、繁田美貴(テレビ東京アナウンサー)
【コメンテーター】
清水ミチコ、東貴博、アンジャッシュ
【ゲスト】藤本美貴
【ロケリポーター】レッド吉田(TIM)、浜谷健司(ハマカーン)
【ナレーター】槇大輔
関連情報
【日常の疑問やお悩みを大募集!「そこんトコロ」で検索!】

http://www.tv-tokyo.co.jp/sokontokoro/

構成作家
 川原慶太郎
 大井洋一
 クリタヤスシ
 今田佑

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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