NHK高校講座 世界史「ローマ帝国」 2015.05.08


(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!リーダーの眞鍋かをりです。
歴史を知れば旅はもっと楽しくなります。
今回も世界を旅して歴史を学んでいきましょう。
そして我が倶楽部のプランナーが…。
はい。
プランを考えていくうちに世界を旅したい気持ちがますます強くなっている永松文太です。
今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
文太君に与えたミッション今日は「ローマ帝国」。
ローマ帝国。
…なんですがどんな歴史があるんでしょうか。
「全ての道はローマに通じる」というこの言葉聞いた事あると思うんですけど。
うん。
ローマ帝国はヨーロッパで最大の帝国を築いたんです。
そして長い時代ローマの平和が続き古代ローマは繁栄していったんです。
なるほどね。
ローマっていうと私も旅行では行った事あるんだけど遺跡を見てもその時ね歴史を勉強してなかったから…。
だから今回すごい楽しみになってきました。
はい。
それでは早速私が作ったマジカル・ヒストリー・ツアーに出かけましょう。
まずは今回の見どころです。
3つのビューポイント!今回のマジカル・ヒストリー・ツアーは現在のヨーロッパ社会の基礎を作った古代ローマの繁栄をたどる旅。
訪れるのはイタリア。
時代は…まずはローマが都市国家から世界帝国へと成長した背景を探ります。
ローマ帝国時代庶民の生活とはどんなものだったのでしょうか。
マジカル・ヒストリー・ツアー古代ローマの繁栄をたどる旅へさあ出かけましょう!へえ〜。
でも世界帝国って言葉だとちょっと大げさすぎる気がするけど。
いえいえいえ。
ローマ帝国はそう呼ばれるにふさわしい広さがあったんです。
へえ〜。
こちらをご覧下さい。
これはローマ帝国最大の時の領土を示した地図です。
このローマイタリアを中心に地中海全域そして北はイギリスから現在の中東やアフリカ大陸にまで広がっているんですね。
へえ〜これは巨大だね。
はい。
まあそう聞くと世界帝国っていうのも何か納得できるよね。
過言ではないですね。
まあでもここまで広げていくのって相当大変だと思うんだけどどうやって広げていったのかな?はい。
そこでファースト・ビューポイント。
ローマ帝国の繁栄の謎を探る旅にいざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー初めは年間およそ1,000万人の観光客が訪れるローマから。
世界遺産ローマ歴史地区にはローマ帝国の数多くの遺跡が残されその繁栄を今に伝えています。
遺跡の水飲み場にある文字が刻まれています。
「SPQR」?町のお巡りさんに聞いてみると…。
お巡りさんの帽子にも「SPQR」。
実はこれ…どんな意味があるのでしょうか。
そのカギを解くためにマジカル・ジャンプ!紀元前6世紀末のローマでは有力貴族の話し合いによる共和政が敷かれました。
その政治機関が元老院でした。
元老院の議員たちは独裁者が現れて個人に権力が集中しないように集団で意見をまとめて国家を運営していこうと考えたのです。
共和政ローマは強い軍事力によって周辺の都市国家や部族を征服し紀元前3世紀前半にはイタリア半島の統一を成し遂げます。
都市国家の一つにすぎなかったローマはその後も地中海世界に領土を広げていきます。
ローマの領土が拡大していくにつれて元老院議員をはじめとする貴族たちはばく大な富を手にするようになりました。
一方軍の中枢を担っていた一般民衆であるローマ市民は相次ぐ戦争によって疲弊していきました。
両者の対立は次第に深まり紀元前2世紀後半からのおよそ100年間は「内乱の一世紀」と呼ばれる状態になってしまいます。
こうした混乱の中共和政ではなく権力を集中させようとしたのがカエサルです。
紀元前46年カエサルは強大な権限を持つ独裁官となりました。
しかし彼の独裁政治は反発を招き共和政崩壊を恐れる人々によって暗殺されます。
再び始まった内乱の状態に終止符を打ったのがカエサルの養子オクタヴィアヌスでした。
オクタヴィアヌスは紀元前27年元老院から尊厳者アウグストゥスの称号を受けてローマ帝国初代の皇帝になります。
アウグストゥスは…これは皇帝の独裁を防ぐため元老院と市民が帝国をチェックするという仕組みを尊重したのです。
SPQR意味は…この共和政の仕組みをローマ市民は誇りに思い今も町の紋章に使っているのです。
帝政開始からおよそ200年間ローマは「ローマの平和」と呼ばれる最盛期を迎えます。
なるほど。
SPQRってローマの元老院と市民っていう意味があったんだね。
はい。
2,000年以上たった今でもローマの人々はその時代のローマを誇りに思ってSPQRつまりローマの元老院と市民という言葉を使い続けているんですね。
そうだったんだね〜。
いやそれにしてもさやっぱり200年以上も平和な時代が続くというのはすごい事だよね。
いい事ですよね。
うん。
それには市民を満足させる政策がカギとなったんです。
市民を満足させる政策。
どんな政策なんでしょう?そこでセカンド・ビューポイント。
「ローマの平和」での庶民の暮らしに迫ります。
いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー続いては…ここはローマ帝国のもとで平和な時代に生きた人々の暮らしを物語る遺跡として知られています。
この町は紀元79年火山の噴火によって火山灰に埋もれてしまいました。
しかし発掘によってまるで時間が止まっていたかのように当時の人々の生活の様子を今に伝えています。
ここで時間を遡っていきましょう。
マジカル・ジャンプ!紀元1世紀ごろのポンペイは人口1万人ほど。
町は住居はもちろん劇場や公衆浴場下水道まで完備されていました。
道路は車道と一段高くなった歩道とに分けられ更に横断歩道まで造られていました。
市内には至る所に水飲み場がありました。
こちらはパンを焼いていた窯。
市民一人一人にパンを配る様子を描いた壁画が残っています。
ローマ帝国では暮らしに必要な食料が無料で与えられる事もあり生活が保障されていたのです。
そして帝国が用意した最大の娯楽が…試合が行われる日には付近の都市からも大勢の人々が詰めかけ大歓声が響き渡っていました。
この時代ローマの人々は豊かな暮らしと平和を楽しんでいたのです。
へえ〜いい暮らししてるね。
すっごい楽しそうですね。
ねえ。
でもさパンを無料で配ってくれたりとか最低限の生活がちゃんとできるって思うとやっぱ安心もしただろうし。
そうですね。
やっぱりね人々がそうやって満足してたってのはすごい納得したんだけど。
はい。
まあそういう平和な時代が200年続くじゃない。
そのあとってローマ帝国どうなっちゃうんだろ?実は再び混乱の時代を迎える事になるんです。
へえ〜何で?あんなに楽しそうだったのに?はい。
これはちょっとひと言では言いにくいんですが人々を満足させていくにはお金が必要ですよね。
でやっぱりその費用を賄うために領土を拡大していく。
でも軍事費がかかる。
う〜ん。
という事で帝国の財政が破綻していくんです。
いや〜そっか。
何か悲しいね。
そうですね。
更に外からの異民族の進入もありました。
だから何だかんだで不安が広がる中人々の心を捉えるものが広がっていきます。
心を捉えるもの。
はい。
それはキリスト教です。
キリスト教かあ。
それでは最後のマジカル・ヒストリー・ツアーサード・ビューポイント。
いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー最後は…ローマ市の中にある世界で最も小さな国です。
バチカンは…キリスト教は現在信者の数が20億人にも上るといわれています。
しかしローマ帝国の初期の時代では一つの新興宗教にすぎませんでした。
ではなぜキリスト教はここまで大きくなったのでしょうか。
マジカル・ジャンプ!これは1世紀ごろローマ帝国の領土だった北アフリカで出土した石像です。
真ん中はローマの神両側には北アフリカの神々が並んでいます。
もともとローマ帝国は自分たちの文化を押しつけるのではなく征服した国や民族の神々をも認める…そんな中帝国の東の端パレスティナで…イエスはユダヤ教を批判し民族や階級にかかわらない神の愛と隣人愛を説きました。
しかし彼はローマに対する反逆者であると訴えられ処刑されてしまいます。
イエスの死後弟子たちによって彼の教えが広められキリスト教が成立しました。
その後3世紀になるとローマは政治が混乱しキリスト教に救いを求める人々が増え始めます。
やがて国の統治に利用するようになります。
これによりほかの神や宗教を認めないキリスト教の教えによって一神教世界へと変わっていきました。
ローマ帝国の後ろ盾を背景に…現在ヨーロッパの多くの国々でキリスト教を信じる人が多いのはローマ帝国がキリスト教と結び付いたためでもあるのです。
なるほど。
キリスト教はローマ帝国の保護を受けたからあんなに広い地域に広まっていって今もたくさんの人が信じてる訳だよね。
そうですね。
でローマ帝国側にとってもキリスト教を利用する事で人々の不安とか国の混乱を収めようっていうそういう思惑もあった訳だね。
はいそうです。
うん。
実はローマ帝国が一神教世界になった事で支配される地域にとっては自分たちの宗教を禁じられるようにもなったんですよ。
なるほどね〜。
まあそれだけローマ帝国の支配の方法とか方針が変わっていったっていうそういう歴史があったんだね。
はい。
そっかそっか。
ここからは歴史の深いお話です。
アドバイザーの本村先生よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ今日はどういうお話でしょうか。
今日はですねまああのプリニウスという人物がおりまして先ほどポンペイの遺跡を見ましてそこで繁栄していた様子を皆さんに見てもらったんですけれどもその時期にですねプリニウスという人がポンペイの埋没した火山の爆発で火山灰にあおられて亡くなってしまうんですね。
その様子をですね手紙に書き残しているのがあります。
非常に貴重なものですけれどもそれでそのプリニウスはちょうどその時にポンペイやナポリの近くにある港の艦隊の司令長官をやっていた訳ですね。
あっ偉い人だったんですか。
ええ。
でしかも彼は非常に人間自然の森羅万象に興味がある博物学者でしたのでこんなですね大事件が起これば願ってもないというそういう人物でとにかく人を助けに行ったついでにいろいろ調べたいという好奇心がとても旺盛な方だったんですね。
ただ彼はそういうふうに非常に好奇心が強かったですからいろんな事に興味を持っていると。
その中でもですね例えば地震が起これば津波が起こるというそういう事を見て多くの古代の人たちというのは大体こういう事は神々のせいにしやすい訳ですけれども彼はそれをですねもっと自分の目で観察しながら自然現象や人間あるいは動物植物の生態をこう調べていくっていう事になってそれで膨大な「博物誌」を残すんですけれどもこれなんかも津波のシーンですけれどもその前に当然地震があったと。
その地震の原因をですね風のせいにしていると。
風?風が吹いて地震が起こる?へえ〜。
風が吹くっていうか地中から風が湧いてくるというようなそういう発想をしている訳です。
あ〜なるほど。
それはあのやはり現代の基準からすればとてつもない説になってしまうけれどもその単に神々のせいにしないっていう意味では…。
そうかちゃんと科学的な目で検証しようと思ったんですね。
彼なりの観察に従ってやっているという事です。
それにまあもちろんそれ以前によく勉強してた訳ですからこれだけのたくさんの書物を持っている。
うわ。
うわアハハ。
非常にあの熱心でしたからですね食事をしている時もお風呂に入っている時も勉強していると。
(永松眞鍋)へえ〜。
何でそんな事が可能かっていうとですね奴隷に読ませる訳ですね。
そして聞いてやってるというそれだけの人で彼のやはり著作を我々はあの〜ほとんどが膨大なものですけれども残っておりますから。
あっそうなんですか。
それを見る事によって古代の人々のやはり心の一端をね見る事ができるという事です。
いや〜すごい面白いお話でした。
先生どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
いや〜何かこれを踏まえた上で何かまたローマに行ってみたいなって。
そうですね。
うん。
やっぱり遺跡巡り。
ちょっとねもう一回これを知った上でやりたいな〜。
それとお巡りさんにSPQRの文字どこにあるか聞いてみたりして下さい。
あっそうだよね。
今もあるという事ですけど結構いろんな所にあったりするんですか?ええ。
一番見やすいのはマンホールの蓋ですね。
どこにでもありますから。
マンホールにも。
へえ〜。
マンホールにも。
2015/05/08(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ローマ帝国」[字]

歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる!世界の観光地を訪ね、隠された歴史の謎に迫る。200年に及ぶ「ローマの平和」のカギとされる、皇帝と元老院と市民の三者関係とは?

詳細情報
番組内容
魅力的な時間旅行のプランを提案する「マジカル・ヒストリー倶楽部」で、世界史の舞台を旅しよう!今回のミッションは「ローマ帝国」を知る旅。現在もローマ市内には、古代ローマの象徴的な言葉「SPQR」があちこちに残されている。その意味するところは?また、当時の様子を克明に伝える遺跡から、「ローマの平和」の時代、庶民の暮らしがどのようなものだったかを探る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】早稲田大学特任教授…本村凌二,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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