歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
ここは日本初の歴史アイドル養成学校です。
今回学ぶのは…みんな古墳時代というとどんな事知ってるかな?前回の弥生時代の次ですよね。
前方後円墳っていう大きなお墓があったのは知っています。
おっなかなかやるねぇ。
それでは更に深く掘り下げてみるため早速今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回は…巨大な前方後円墳。
日本独自の形をした支配者の墓がこの時代に九州から東北地方にかけての広い地域でつくられました。
これは一体何を意味しているのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…古墳時代大和王権の秘密に迫ります。
今回は古墳時代。
大和王権の事なんだね。
まだまだ古代の国造りの途中の段階だね。
館長。
実は今日その古墳と深い関係があるものに来て頂きました。
ものに来て頂く?どういう事?それではお呼びします。
はにぽん!
(3人)かわいい〜!アッハハハハ。
いらっしゃ〜い。
はにぽんだ〜。
かわいいね。
こちらの方は?
(込山)はにぽんです。
埴輪をモデルにした埼玉県本庄市の公認キャラクターなんですよ。
ほ〜うなるほど。
埴輪というのは古墳から出土しますからね。
まあ詳しくは後ほど。
はい。
実はこの古墳時代の日本の事は前回習った中国の歴史書「魏志倭人伝」には書かれておりません。
日本にも文献がないので謎の多い時代なんですね。
そこで古墳を手がかりにして歴史をひもといているんです。
では早速古墳を中心に大和王権の歴史を見てみよう。
「三つの要」その一。
卑弥呼がこの世を去ったあと3世紀後半ごろに近畿地方から瀬戸内海地域にかけて独特の形をした巨大な古墳が出現します。
表面には土が崩れたり流れ出たりするのを防ぐため石が敷かれる事が多く円形の部分には王の遺体が安置されていました。
こうした前方後円墳は近畿地方から次第に全国に広がり4世紀後半ごろには九州から東北地方まで日本各地でつくられました。
古墳がつくられたこの時代を古墳時代と呼びます。
近畿地方奈良県の纒向遺跡にある…日本最古の前方後円墳といわれ全長276mの巨大な古墳です。
大阪府にある大仙陵古墳は全長486m幅305m。
世界最大級の面積の墓です。
古代エジプトのピラミッドよりはるかに広大な面積を誇ります。
この巨大な大仙陵古墳をつくるためには一日に1,500人が働いたとしても15年以上かかる計算になります。
当時の権力者の力の強さを誇示しています。
こうした巨大な前方後円墳は近畿地方に集中しています。
この事から近畿地方を中心にして巨大な連合国家がつくられたと考えられています。
それが大和王権なのです。
当時あんなに大きな古墳をつくれていたって事はすごく大きな権力を持っていたんですか?そうなんですよ。
この前方後円墳の全国分布図を見て下さい。
どう思います?確かに巨大なものは奈良とか大阪に多いですね。
大和王権というのは奈良や大阪を中心に広く展開していたんですね。
でも館長古墳はみんな前方後円墳の形なんですか?いやいやそうじゃないんですよ。
丸い円墳や四角の方墳などいろんな形があるんですよ。
この古墳の数いくつあると思いますか?え〜。
これはですね全国のコンビニの数よりもはるかに多いんです。
コンビニよりですか?コンビニより多いんですか?何となく古墳時代のイメージが湧いてきました。
そう?いやいやそれだけじゃないんだよ。
このころの日本を知るためには周りの国の様子も知らなければなりません。
では「三つの要」その二。
日本の古墳時代の4世紀中国大陸や朝鮮半島の情勢は大きく変わっていきました。
中国では北方民族の侵入によりそれまで統一していた国家が北魏と宋に分裂しその後も王朝の交代を繰り返しました。
中国大陸の混乱を背景に朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばし4世紀後半に百済へ侵攻してきました。
百済は大和王権と同盟して高句麗に対抗しようとしました。
369年に百済王が作り大和王権の王に贈ったといわれる…百済と大和王権の結び付きを表しています。
高句麗の広開土王碑には大和王権が軍隊を朝鮮半島に送り高句麗と戦った様子が書かれています。
5世紀ごろから大和王権は朝鮮半島や中国から日本列島に移住してくる人たちをたくさん受け入れました。
渡来人と呼ばれる人たちです。
彼らは大和王権に新しい文化をもたらしました。
その一つが土器を作る新しい技術でした。
須恵器と呼ばれるこの土器は朝鮮半島で行われた作り方で生産されました。
また大和王権は中国とも関係を築いていきました。
中国の歴史書「宋書倭国伝」によると大和王権は5世紀ごろから宋など中国南部の王朝に使いを送り皇帝の権威を求めました。
その時の大和王権の王は…当時中国は今の日本を倭と呼んでいた事から彼らは「倭の五王」と呼ばれています。
倭の五王は中国皇帝の権威を背景に朝鮮半島における大和王権の立場を有利にしようと考えたのです。
でも館長どうして大和王権は中国大陸や朝鮮半島と関係を持とうと思ったんですか?それはまたいい質問ですね。
それは中国大陸や朝鮮半島の進んだ技術あるいは文化が目的でした。
例えば鉄を作る技術などです。
そうして手に入れたものをどんな事に使っていたんですか?はい!その手がかりとなるものを持ってきました!はにぽ〜ん!かわいいねぇ。
あれ?込山君これ何持ってるの?これはですね…ジャジャ〜ン!はにぽんのモデルとなった埴輪です。
(一同)かわいい!似てる〜。
はにぽんの故郷を訪ねて大和王権が鉄や進んだ文化をどのように利用していたのか調べてきました。
「三つの要」その三。
せ〜のどどん!やって来たのは埼玉県…近畿地方からはるかに離れたこの場所と大和王権とはどのような関係があるのでしょうか。
(太田)こんにちは。
こんにちは。
込山榛香ですよろしくお願いします。
本庄市教育委員会の太田ですよろしくお願いします。
ここにははにぽんのモデルになった埴輪が展示されています。
こちらがそれです。
はにぽんのモデルになった。
(込山)かわいいですね。
似てるはにぽんと。
はにぽんのモデル…当時の大和王権と地方の関係を象徴しています。
古墳時代の前期から中期までは大和政権から土師氏という埴輪作りの指導者が来てこの地域の土器作りの技術者たちを臨時に編成して埴輪を作っていたというふうに考えられています。
大和王権は…大和王権の技術を基にして地元のアレンジが加えられこのような独特の表情をした埴輪が生まれました。
更に大和王権と地方との関係を示す手がかりを求めて古墳を訪ねました。
行田市にあるさきたま古墳群はこの地を治めていた豪族の墓が集まっています。
その中でも最初につくられたのが…5世紀後半ごろにつくられたと考えられている前方後円墳です。
これですか?そうです。
こちらの古墳ですね。
あ〜大きいですね。
(鈴木)そうですね。
全長が120mあります。
稲荷山古墳に登ってみました。
実際登ってみると本当に広いですね。
そうでしょ?土を使ってつくっているんですよ。
へえ〜。
円の頂上部分には墓の内部が復元されていました。
この地を治めていた豪族の墓です。
ここから日本の歴史上とても貴重な発見がありました。
状態そのままなんですよこれ。
それがこの…鉄剣には115文字の漢字が刻まれその解読により古墳時代の様子が分かってきました。
鉄剣に刻まれた文字はこう解読されています。
ワカタケル大王とは当時の大和王権の王と考えられています。
ワカタケル大王という言葉が大事になってくるんですが雄略天皇に仕えた。
雄略天皇いわゆる大和政権というものがこの東日本の地域にまで及んでいたと…その勢力が及んでいたという事を表す事になるんです。
豪族たちはどのように古墳の中に眠っていたのでしょうか。
古墳内を再現した展示館も訪ねました。
(鈴木)ここは古墳の内部ですね。
(込山)へえ〜。
遺体と共に鉄製の品々が大切に納められています。
当時とても貴重だった鉄は大和王権の大王からの贈り物だと考えられています。
大和王権というのは大陸から得た鉄や技術を利用して地方にまで影響力を及ぼしていたんだな。
そうなんです。
実際に現地に行っていろいろなものを見たりお話を聞いたりしたらとてもよく分かりました。
そうやって九州から関東地区まで広く勢力を及ぼしていた大和王権は同時に豪族たちを支配する仕組みも整えていきました。
その一つが氏姓制度です。
当時豪族たちはそれぞれ人々や土地を支配していました。
豪族の代表者は氏上として大和王権に仕えました。
大王は氏上に対して地位や身分に応じて姓を与えました。
氏上に姓を与えて統制したこの仕組みを氏姓制度といいます。
大和王権というのは鉄や新しい文化だけではなく支配の仕組みを整えて国造りを始めたんだね。
現地まで行って更にリポートをまとめた込山君よくやったね。
はにぽんのルーツこれもよく分かりました。
我が女学館の特別講師であります渡辺先生です。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
(3人)お願いしま〜す。
先生。
文献の少ない古墳時代に関してはやはり発掘。
発掘する事が歴史を推理する上で重要なんですか?はいそうですね。
熊本県の江田船山古墳という所からも稲荷山と同じように大王の名前の書かれた刀が見つかっているんです。
実はこれまでは別の大王の事だと考えてきたんですけれども稲荷山の鉄剣が見つかって解読が進んだ事によって熊本の刀の大王もワカタケル大王だと分かってきたんですね。
この事によって……という事が分かってきた訳です。
はあ〜。
古墳だけではなくて鉄剣に書かれていた事からも大和王権が広い地域を支配していた様子が分かったという事?そうです。
そのワカタケルさん。
この人はどういう人ですか?ワカタケルという人は「古事記」や「日本書紀」に出てくる雄略天皇の事だろうというふうに考えられています。
そして先ほどお話に出た…
(渡辺)関東から九州まで治めて一方大陸と中国とのつながりも持って全国を支配していた。
雄略天皇ワカタケルの時代というのは大和王権の支配の中でも一つの大きな重要な時代だと考えられています。
はぁ〜。
ではその大和王権というのは地方の隅々まで強い力で支配していたんですか?ちょっと違いまして実はワカタケルの時代には地方に影響は及ぼしていましたけれども…これを難しい言葉で言うと国造制と呼んでいます。
先ほどお話に出た氏姓制度こういった制度を作り上げていく事によって全国的な支配をより強めていくという事になっていく訳です。
その組織作りがうまかったという事ですかね?そういう事ですね。
これもどこか…中国とか朝鮮とかそういう所から学んでいくんですか?学びながら日本独自のものを作っていったと考えられます。
いや〜面白いね。
渡辺先生本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
はにぽんも今日はありがとうね。
(3人)ありがとう。
お〜来た来た。
お〜回ってる〜。
決まった〜!お見事。
前方後円墳の大きさと分布から…2015/05/08(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「大和王権と古墳文化」[字]
旧石器時代から現代まで、日本の社会はどう変わったのか?どうして変わったのか?日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館でその謎に迫る。【出演】高橋英樹・AKB48
詳細情報
番組内容
3世紀後半から6世紀にかけて、近畿地方を中心に広い地域で前方後円墳が作られるようになった。これら共通の形の支配者の墓の分布から、この時代「大和王権」が成立、拡大していったと考えられている。大和王権はどのようにして日本の広い範囲に影響力を強めていったのか、そして朝鮮半島や中国とはどのような関係を結んでいたのか。埼玉県で出土した埴輪(はにわ)や鉄剣を手がかりに、秘密に迫る。
出演者
【講師】奈良文化財研究所史料調査室長…渡辺晃宏,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
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