「GPSは人間がつくりだした、
最も美しいテクノロジーのひとつだと
ぼくは思っている」
「不可視」の彫刻をつくることに
没頭した美大生は、広告会社を経て、
ゲーム会社を起業する。
GPSを用いたゲームで彼が目論んだのは、
仮想世界と現実世界を結びつけることだった。
──学生時代はニューヨークの美術大学、クーパーユニオンで彫刻を学んでいたと聞いていますが、何かテーマをもって制作していましたか?
彫刻を学ぶ人たちは、写真や絵画と違って、作品のつくり方よりも、それを通して何を訴えたいかを重視する傾向があります。ぼくは幸運にも「システムズ・アーティスト」として名を馳せるハンズ・ハーケに教えを請うことができました。彼からはオブジェクトやアーティファクトをつくることよりも、システムのつくり方を学びました。その考え方は後の仕事にも大きな影響を与えています。卒業後、ぼくはいちアーティストとして活動し、世の中に何か新しい作品を追加するのではなく、「不可視」なもの、そこに作品があることを忘れさせるようなものをつくろうというテーマで制作していました。ただ、それで生計を立てるのは難しくて、1995年から10年ほど広告会社に勤めていました。
──その後、独立してゲーム開発会社を起業していますが、そのきっかけは?
2005年に独立して、仲間ふたりとArea/Codeを立ち上げました。そのきっかけのひとつは、「ジオキャッシング」を体験したことなのですが、ご存知ですか?
──GPSをつかった宝探しゲームですよね。
そうです。いまでも続いているようですが、1999年当時は、商用・軍事用のどちらでない、世界初のGPSの利用例だったと言われています。そのころ、GPSを使うというのは大変なことでした。電気屋でGPSの受信機が入った黒い大きな箱を買ってきて、同じ場所に4分間立ち続けて、ようやく衛星との通信ができて自分の位置がわかるといった状況だったのです。街のどこかに宝が隠されていて、重たいGPSの装置を各自持ち歩いて、宝の在処を突き止めるわけです。宝を隠すのもプレイヤー同士で行なうので、宝のほどんどはガラクタです。でも宝の在処を探すこと自体が楽しいんです。実際にやってみて「これは何か未来な感じがする」と思ったのを覚えています。
──具体的にはどのあたりに未来を感じたのですか?
当時、最新のテクノロジーだったGPSが、スクリーンの中の仮想世界で使うのではなく、実際に現実世界に接続する形で使用されていたことです。実世界とのコネクションを生み出すものとして、こうして普及したいまでもGPSは人間がつくりだした、最も美しいテクノロジーのひとつだとぼくは思っています。
──「現実世界と接続している」ところがポイントだったんですね。
起業の直接のきっかけとなったのは、2003年に開発された「Big Urban Game」でした。ミネアポリス市のために制作されたゲームで、実際の街をゲーム盤として使い、オンライン投票によって決めたルートに沿って、空気で膨らませた巨大な駒を街中で動かしてゴールまで競うというものでした。ぼくは、そのゲームのクリエイターのひとり、フランク・ランツに連絡をとり、もっとこうしたプロジェクトを増やしていくにはどうしたらいいかを語り合いました。そのアイデアをもとに彼と一緒にArea/Codeを起業したのです。
──そのころ、フランクとはどういったことを語り合っていたのですか?
建築家は基本的に「街のハードウェア」をデザインします。では「街のソフトウェア」をデザインしようと考えたときには、どういうものがつくれるだろうか、という問いに挑戦してみようと話していました。しかも同じソフトウェアでも、運輸や交通ではなく、エンターテイメントとして何ができるかを考えました。すべてのスマートフォンにGPSが内蔵された2015年のいまとなっては、目新しさのない問いに聞こえるかもしれませんが、2005年当時はほとんど誰も考えていなかったものでした。GPSは、いずれタクシーや荷物の配達、地下鉄などをより便利なものにすることは容易に想像できました。でも、そうではない使い方はないものか、とぼくらは問いかけて探り始めたのです。
──それをビジネスとして、いかにして成立させることができたのですか?
ビジネスを成り立たせるのは大変でした。3つのやり方があったように思います。ひとつは完全なる「アート」として企画して、州の援助をもらうという方法。「アカデミック」として研究投資を受けることもできたでしょう。でもぼくらは「コマーシャル」として企業に企画を売り込む方法を選びました。
──広告業界での10年の経験を生かしたわけですね?
その通りです。当時の大企業が求めていたものはだいたい把握できていたので、彼らにどういった価値を訴求すればいいかを考えて企画しました。それでも相当な困難が待ち受けていました。2015年のいまとなっては、位置情報を使ったのは、珍しいものではなくなりましたが、当時は、それを説明するための言葉すらなかったのです。クライアントに企画案をプレゼンしようにも、彼らが理解できる共通言語が見当たりませんでした。
──たしかにiPhoneが発売される2年も前から「GPS」に馴染みのある人はほとんどいなかったかと思います。いかにしてそのチャレンジを乗り越えたのですか?
そもそも当時のケータイにはGPSがまだ搭載されていなかったので、プレイヤーの位置を特定するには、ひと工夫が必要でした。例えば、2003年に東京を訪れたときにQRコードを見かけました。まだアメリカでは馴染みのない技術だったので、そのノウハウをアメリカに持ち帰って、あるケータイ会社のために企画したゲームの設計に組み込みました。ビル2階ほどの大きさの巨大なQRコードを街のいたるところに設置して、それを通してプレイヤーの位置を特定する仕組みを開発したのです。「Conqwest」というそのゲームは、ぼくが知る限りでは、アメリカで初めてQRコードを利用した事例になったかと思います。ただ、本来QRコードというのは、情報により簡単にアクセスできるようにするためのものです。当時、アメリカ人はQRコードが何なのかを知っている人はほとんどいませんでした。街中で多くの人が目に留まるものであるにも関わらず、唯一ぼくらが開発したソフトウェアをもっている人にしか解読できないものだったことに、このゲームのおもしろさを見出していたのです。