メモ
ずっと前からモヤモヤ思っていたことなんですけど、所謂「ヤリ捨て」という行為が世の中にはあるようです。
ヤリ捨てされても気にしなければいいのでは
「人災」ともいえるヤリ捨てと称される行為に遭遇してしまった場合どうすればいいのかというと、これは風邪を引いたときと比喩ではなくほとんど一緒で、美味しくて身体にいいものを食べてあったかくして早く寝ればいいと思います。ようは「あんまり気にしなければいい」ってことなんですけど、あったかくしていっぱい寝たら問題の8割くらい解決しているってのが人間じゃないですか。
私は見てくれがいいわけでもスタイルがいいわけでも一緒にいて盛り上がるタイプでもないので、もしもしヤリ捨てとかをされたら、たい焼きのシッポだけ食べられた気分になると思うんですよね……。「そこ全然あんこ入ってないけどいいの」というか、「そこいちばん面白くないとこですけどいいの」というか。
早く寝れば治るわけです。
私はヤリ捨てされたとしてもたいして傷付いてない自分しか想像できないのはなぜなんだろうなあ……。
だれかこの界隈の話題に強い方、どうか予防法だけでなく治療法も考えてあげてください。
私の言葉が足らなかった部分はきっと後ろの3名がきれいに回収してくれるだろうという信頼があったから、私はある意味無責任に、いいっぱなしのやりたい放題で書かせてもらったわけです。トップバッターの甘えですね。
インターネットの遊び方は無限大です。
これが“いじめ”
“軽い気持ち”が相手には“大きな苦しみ”になるのです!
いじめとは
弱い者に対して個人又は集団で、意識的に、精神的あるいは肉体的な苦痛を与えることであり、いじめられた人は想像もできないほどの深い苦しみを味わうことになります。
発見しにくいいじめ
あそび(プロレスごっこ、鬼ごっこ等)、からかい、無視、いたずら、ふざけなど、行動として識別しにくいいじめ
いじめの特徴
いじめの深刻さを認識しないで、からかい、いたずらなどの遊び感覚でいじめる。(本人は屈辱をこらえてにこにこしながら抵抗するが・・・)
―子どもの声―
ゲーム感覚でいじめに加わったB男さん
私たちは「いじめ」ではなく、遊びとゲームに参加する感覚だったからです。○○くんの気持ちなんか、考えたこともありませんでした。
だれも信じられなくなったC子さん
大人に相談すると、「いじめなんて気のせい」と言われ、私は大人への信頼も捨てた。もう誰も信じない。
事実というのは、人によってまったくその重みが違う。この一点をお互いに理解することで人間関係の私的なトラブルはどのくらい避けられるか分からない。
どんな小さな事実でもよい。とにかくなんでもない日常生活のさまざまな事実は、人によって全く重さが違う。
それはある人にとって、どうでもいいことであるが、別の人にとっては自分の自尊心をひどく傷つけるものである。
傷に触れられると、痛むかもしれない。
痛まないにしても、治るまでは触ってほしくないと思う。
肌の傷は見えるけれど、心の傷はどうだろう?
気軽にタッチするかのように、何かを言った。
相手は困った顔をするかもしれない。
高い自己評価を持ち、自尊心の健全な人はあまり傷つかないといいます。
一方で、低い自己評価に苦しみ、生き辛さを抱えている人は、非常に傷つきやすくなります。
そして、健康な人にとっては、相手がどれほど傷つきやすいかは想像を超えています。
だから、繰り返し相手を傷つけながら、なぜ相手がそんなに怒ったり不愉快になるのかが分からないといいます。
その人の先天的な気質や、繊細さ、傷つきやすさは、人の数だけ違います。
なかには、相手の弱さを分かっていながら、入れ代わり立ち代わり嫌がらせを平気でする「下劣な人間」もいます。